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石の巡礼 その31(庚申塔7相模原の庚申塔)

AA1_0292のコピー
相模原地方の石仏を見ているときに、とても面白い形の庚申塔を見つけました。
愛川町の上野原バス停のそばです。
1上野原バス停の庚申塔
そこには色々な石仏が安置されています。
片隅に愛川町教育委員会の立札が立っています。
「上原の庚申塔 愛川町指定文化財 田代上原の庚申塔は、数ある町内の庚申塔の中で最も古く、寛文8年(1668)の造立である。碑面には神像とも仏像ともとれる珍しい異形像が浮き彫りされており、初期庚申塔の一形態を示している。下部には3猿が刻され相州愛光郡上川入田代村とある。」
この舟形光背型庚申塔はとても特徴的で1面2臂、右手に三叉戟、左手に輪光を持っています。
着ているものは僧侶と同じ納衣です。
下部には3猿が彫られています。
3猿
この3猿は向かって左側の言わざる猿が右を向き、中央の見猿は左を向き、右の聞か猿も左を向いています。
あまりに不思議な庚申塔なので調べたら相模原地区独特の庚申塔で他に数体あるそうなので見にいくことにしました。
次の庚申塔は愛川町半原にある滝神社の入り口に安置されていました。
2滝神社入り口の庚申塔
保存状態が非常に悪く白カビが一面に付着し良くわかりません。
舟形光背型で1面2臂、三叉戟、輪光を持ち下部に3猿を彫り出し、上原の庚申塔と瓜二つです。
造立は寛政元年(1789)になっていますが上原の庚申塔と120年の開きがあるとはとても思えません。
三番目は緑区長竹の白山神社の側にあります。
3白山神社近く
旧道沿いにあると言っても現在旧道はほとんどわからなく、とても苦労しました。
保存状態は悪くありません。
舟形光背型で1面2臂、三叉戟、輪光を持ち下部に3猿を彫り出しています。
寛文9年(1669)の造立で上原の1年後です。
4基目は同じ長竹の自治会館の裏山の中にあります。
4稲生自治会館の裏山
ここも探すのに苦労しました。
笹の中に埋もれていました。
舟形光背型で1面2臂、三叉戟、輪光を持ち下部に3猿を彫り出しています。寛文11年(1671)の造立です。
5基目は相模原の大戸にある大戸観音の庚申塔です。
5相模原大戸観音
寛文10年(1670)の像立で舟形光背型 ではなく隅丸角塔で1面2臂、三叉戟、輪光を持ち下部に3猿を彫り出しています。
6基目は緑区根古屋の谷戸自治会館の前に安置されています。
6谷戸自治会館
舟形光背型で1面2臂、三叉戟、輪光を持ち下部に3猿を彫り出しています。
残念なことに、顔の一部が破損しています。
今度は少し離れた緑区佐野川へ行きます。
ここに切妻造りの石祠が安置されています。
その中に舟形光背型で1面2臂、三叉戟、輪光を持ち下部に3猿を彫り出している庚申塔が安置されています。
7佐野川1335(鎌沢・八幡) 南(1)
紛れもなく同じ庚申塔ですが3猿が全て正面を向いています。
延宝8年(1680)の造立です。
そのほか形が違いますがほぼ同年代の庚申塔があります。
緑区の青山にある光明寺の境内にある庚申塔です。
8光明寺
舟形光背型で1面2臂で剣と柄杓のような物を持っています。
下部の3猿も同じです。
造立は寛文3年(1686)です。
同じような庚申塔は緑区鳥谷にもあります。
9鳥屋6付近の庚申塔
舟形光背型で1面2臂で光明寺と同じく剣と柄杓のような物を持っています。
下部に3猿を彫っています。
造立は寛文2年(1662)です。
これらはとても近い時期に造られ、形態もほとんど一緒なので、同一の石工か同じ工房の人たちによって造られたと思われます。
とても不思議な庚申塔です。
これからまだ見つかるかもしれません。

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寺院彫刻 その82(スカンダ 東南アジア)

PANATA162.jpeg
スカンダは東南アジアに伝わりました。
まずは彫像から見ていきたいと思います。
カンボジアのプノンペン国立博物館には6〜7世紀の孔雀に乗るスカンダ像が2体あります。
1体は羽を広げた孔雀にまたがり、とても良い顔をしています。
1 6〜7世紀孔雀に乗るスカンダ
もう1体は孔雀にまたがり左手で孔雀の首をつかんでいます。
2 6〜7世紀孔雀に乗るスカンダ2
ジャカルタの国立博物館にも8世紀の孔雀にまたがるスカンダの像があります。
3 8世紀ジャワ国立博物館
いかにもジャワ的です。
ベトナムのダナンにあるチャム彫刻博物館には10世紀のミソンで発見された像があります。
4ミソン10世紀
残念なことにスカンダと孔雀の首から上がありません。
スカンダは孔雀の上に立ち手にはヴァジュラのようなものを持っています。
寺院ではカンボジアのBANTEAY SAMRE寺院の破風に彫刻されています。
5SAMRE046 2
6SAMRE089
インドの隣のネパールのBHAKTAPURにあるヴィシュヌ寺院に孔雀に乗るスカンダ像があります。
7カトマンドゥ
日本にも中国経由でスカンダは入ってきました。
仏教において韋駄天となりました。
増長天の八将の一神で、四天王下の三十二将中の首位を占める天部の仏神です。
一般的には道教の韋将軍信仰と習合した影響で、唐風の甲冑をまとって剣を持つ若い武将の姿で描かれます。
元来はスカンダに由来するため、六面十二臂の少年神で孔雀に乗ります。
夜叉が仏舎利を奪って逃げ去った時、これを追って取り戻したという俗伝から、よく走る神、盗難除けの神として知られるます。
しかし韋駄天(スカンダ)が俊足なのは日本だけのようです。
木造韋駄天像はありますが、孔雀に乗っている像はありません。
京都の萬福寺には江戸時代の像があり、甲冑をまとい剣を捧げています。
9萬福寺江戸時代
岐阜県の乙津寺の像は鎌倉時代の造立で厨子に入っています。
10乙津寺鎌倉末期
やはり甲冑をまとい剣を持っています。
京都の泉湧寺舎利殿には鎌倉時代に描かれた韋駄天図の壁画があります。
11泉涌寺鎌倉時代
この題材は先に述べた夜叉(鬼)が仏舎利を奪って逃げ去った時、韋駄天がものすごい速さで追いかけ、仏舎利を取り戻したことを描いています。
そしてついに石像を見つけました。
それは上野にある西光寺の境内にありました。
大きな丸彫の韋駄天像です。
12西光寺
韋駄天は甲冑をまとって剣を持つ武将の姿です。
この像は秀吉の朝鮮入国の際、同行した藤堂高虎が朝鮮から持ってきたものと言われています。
韋駄天は甲冑をまとい剣を持っていること、足がとても速いことによって武将にとても好まれたようです。

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映画の話 その99(オテサーネク)

144ブリスロウォ

以前「アリス」でお話ししたヤン・シュヴァンクマイエル監督の「オテサーネク」です。
「オテサーネク」とはチェコの民話で食人木の怖い話です。
1オテサーネク

あらすじは『不妊に悩むホラーク夫妻は、アパートの隣人シュタードレル氏の勧めで購入した別荘にやって来る。
夫のカレルは別荘の庭で赤ん坊のような形をした切り株を見つけると、ノイローゼの妻ボジェナをなぐさめるために切り株を赤ん坊の形に整えてプレゼントする。
4オテサーネク

ところが、ボジェナはその切り株を息子と思い込んで溺愛し、自分が産んだと見せかけるために妊娠したように振る舞うようになる。
カレルは何度も切り株を処分しようとするものの、結局は妻の望みを聞いてやってしまう。
3オテサーネク

そして8ヶ月が過ぎたところで、ボジェナが出産したふりをすると、「オティーク」と名付けられた切り株は自らの意思で動き出し、恐ろしい食欲であらゆるものを食べるようになる。
見る見る成長したオティークが、飼い猫だけなく、訪ねて来た郵便配達人や福祉事務所の女性まで食べてしまうと、この事態に、ホラーク夫妻はオティークを地下室に閉じ込めることにする。
2オテサーネク

ところが、「オテサーネク(食人木)」の民話を読み、かねてからオティークの存在に気付いていたシュタードレル夫妻の娘アルジュビェトカが、実の弟のようにオティークの面倒を見るようになると、オティークもアルジュビェトカの言うことを聞くようになる。
5オテサーネク

しかし、しばらくして食料を用意できなくなったアルジュビェトカは、アパートの住人を「エサ」に選ぶようになり、遂にはホラーク夫妻もオティークに食べられてしまう。
立て続けに人が消えて行くことを不審に思ったアパートの管理人は、オティークの存在に気付くと、泣いて止めるアルジュビェトカを押しのけて、民話で怪物オテサーネクを倒したキャベツ栽培の農婦のように鍬を持って地下室に下りて行く』という話です。
まさにヤン・シュヴァンクマイエル監督のためにあるような民話です。
そして映画の中でも重要な役割をする絵本の「オテサーネク」は監督の奥さんエヴァが民話を元に絵本にしました。
監督は自分のことをシュールレアリストと言っていますが、エヴァもシュールレアリストに間違いありません。
オープニングクレジットの赤ん坊の泣き声と音楽が不安を誘います。
そして魚のように水槽から網で取り出され、新聞紙に包まれ売られる赤ん坊は、いきなりシュヴァンクマイエル監督の世界です。
シュタードレル家の食事ほとんどシチューかスープのようなもので得意の口のアップ、アパートの性欲が衰えない老人、専門書を読む、とてもこましゃくれた子供アルジュビェトカ、家庭菜園でキャベツを作っている管理人のオバさんがシュヴァンクマイエル監督の世界を作り出しています。
この世界が好きな人にはたまらない映画です。
なを「シュヴァンクマイエルのキメラ的世界」では「オテサーネク」のメーキングが見られます。


エヴァ・シュヴァンクマイエル 「オテサーネク」
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8-2ウィジョヨクスモの花


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食べ物の話 その28(牛フィレのベーコン巻きステーキ)

141スティヨワティ

とても懐かしい食べ物です。
今でもありますがなかなかお目にかかりません。
初めて食べたのは中学の頃だと思います。
その頃の最高級の食べ物です。
1牛フィレ

当時、肉の最高の部位は絶対フィレでした。
今でこそ私は脂が大好きでステーキはサーロイン、焼肉はカルビですが当時はほとんど脂は食べられませんでした。
そして出会ったのが牛フィレのベーコン巻きステーキです。
どこで食べたか覚えていませんが、当時はホテルを初め高級レストランにはほとんどあったと思います。
今でこそ良い肉は塩・胡椒、柚子胡椒、ワサビ醤油などシンプルなもので肉本来の味を楽しむ傾向にあります。
さらに塩の種類、海水塩なのか、岩塩なのか、どこで取れたのかなど選択範囲は広がります。
しかし昔はステーキ屋以外でステーキといえばフランス料理で、使う肉もフィレです。
2牛フィレ

そして決め手はその店のソースなのです。
今でも結婚式などのコース料理のメインはフィレのステーキでソースが掛っています。
牛フィレのベーコン巻きステーキはトルネードとも呼ばれています。
牛フィレのベーコン巻きに使う肉は基本的に80〜120gぐらいです。
したがってフィレの中でもミニョンと呼ばれる後ろの小さい部分が好まれます。
その肉にベーコンを巻きます。
3牛フィレ

ベーコンを巻く理由はフィレ自体に脂が少ないこと、焼いた時にフィレの脂が外に出ないようにすることと言われています。
巻くにはタコ糸や串、楊枝を使います。
塩・胡椒をして両面に焼き色をつけオーブンに。
フィレは焼きすぎないようにミディアムレアぐらいに。
決め手はソースです。
フランス料理ですからソースです。
フォンドボーや赤ワイン、マデラ酒を使ったデミグラソースが一般的です。
そこにマスタードや黒胡椒などをきかせます。
付け合わせは温菜です。
人参のグラッセやポテトです。
ポテトはマッシュが好きです。
フランス料理ですから鉄板は使いません。
白いシンプルなお皿です。
4牛フィレ

フランス映画を見ていると凝った料理よりもステーキをオーダーするシーンが時々見られます。
それを見るととても嬉しくなり、一人で納得して、やっぱりステーキだよなと感心します。
先日とある洋食屋に入り、メニューを見ていたら牛フィレのベーコン巻きステーキが載っていました。
結構高かったのですが迷わず注文です。
思った通りの味で大満足でした。
私の中では牛フィレのベーコン巻きステーキは高級フランス料理の味でもあり、洋食屋の味でもあるのです。

8-2ウィジョヨクスモの花


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音楽の話 その76(Yumi Aria The Concert with old Friends)

ガンジーファ - 091
1996年8月13日から15日にかけて中野サンプラザで行われたコンサートです。
私は見られなかったのですがすぐにレザーディスクを買い、その後DVDを購入しました。
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その題名の通り、荒井由実時代の曲とその当時のメンバーが参加したコンサートです。
ライブとしては「INTO THE DANCING SUN 」と「SHANGRILA」の間の時期で一番輝いていた時です(もちろん今も)。
大スペクタクルなステージも好きですが、シンプルなサンプラザのステージがたまりません。
なぜこのコンサートを取り上げたのかという理由はただ一つ、全員がとても楽しそうだからです。
それがこちら側にも伝わるコンサートはあまりありません。
それは彼らの余裕からくるものなのか、懐かしさからくるものなのかわかりませんが、全員が信頼の上に成り立っていることは確かです。
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DVDはメンバー紹介から始まります。
ドラム林立夫、両手を挙げて嬉しそうにハグします。
デビューからの仲間でキャラメルママです。
パーカッション斎藤ノブ、サングラスでいつものスマイルでハグ、彼もデビュー当時の仲間です。
ベース田中章弘、初期からのツアーメンバーです。
ハイタッチ。
ギター鈴木茂、めちゃめちゃに嬉しそうです。
ハグです。
もちろんキャラメルママです。
キーボード松任谷正隆、キャラメルママです。
二人とも恥ずかしそうにハイタッチです。
キーボード武部聰志、ツアーメンバーで音楽監督です。
全員揃って「あなたでのもの」から始まります。
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ここでコーラスBUZZ東郷昌和、小出博志と松岡奈穂美、サックス、J.H.CONCEPTIONが加わります。
全員ノリノリになります。
特に茂。
「生まれた街で」名曲です。
J.H.のフルートとノブのパーカションが最高です。
時々会場が映るのですが、みんな感激して全く動きません。
「空と海の輝きに向けて」マンタと武部聰志のキーボードが良い。
マンタ少しは笑えよ。
ユーミンはこのころが一番魅力的です。
ゲストに山本潤子を迎え「あの日にかえりたい」です。
スキャットが素晴しい潤子は大人です。
「中央フリーウェイ」みんな楽しそうです。
茂は「美味しいとメガネが落ちるんですよ」状態です。
マンタも笑顔が見えます。
弾き語りで「ひこうき雲」です。
ユーミン素敵です。
少し清水ミチコが入っているかな。
エンディングが最高。
ゲストで高橋幸宏がドラムで入り「返事はいらない」です。
茂が狂いました。
ここでゲスト高中正義とミカが登場、サディスティクミカバンドです。
もちろん「タイムマシンにお願い」です。
ミカは大姉御です。
ユーミンはサポートのまわります。
当時これだけの音楽をやっていた加藤和彦は天才だ!。
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マンタのエレピで始まる「グッドラック・アンド・グッドバイ」、ヴァイオリンで日色純一が加わります。
「12月の雨」はコーラスと茂です。
「雨のステーション」はJ.H.に尽きます。
「コバルト・アワー」になって呪縛が解けたように観客は総立ちになります。
茂「美味しいとメガネが落ちるんですよ」状態。
石川ひとみでヒットした「まちぶせ」です。
フリが可愛いユーミン。アンコールで「14番目の月」全員ノリノリで楽しそうです。
茂、倒れそうです。
最後の曲は松任谷由実の曲「春よ、来い」名曲です。
私には大連慕情に続く曲です。
素晴しい友人に囲まれて幸せそうなユーミンでした。
最後にマンタと抱き合うユーミン。
このコンサートに行かれた人は幸せです。

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映画の話 その98(アメリ)

140サルヨ
ロスト・チルドレンのジャン=ピエール・ジュネ監督が心優しく描くモンマルトル、不器用な恋の顛末「アメリ アメリ・プーランの素晴らしい運命」です。
1アメリ
物語はアメリは医師である父の診療を受ける度に動悸が激しくなるのを父が心臓病と勘違いしたため、学校には行かず、友達も出来ず、空想に更ける幼少期を過ごしていました。
8アメリ
不幸な事故で母を亡くし、このままではいけないとアメリは自立を決意します。
アメリが働くのは「ドゥ・ムーラン」というカフェ。
恋人もなく週末に父を訪ねるだけの日々を過ごしていました。
ある日部屋の壁の穴から古い宝箱を見つけたアメリは持ち主を探し、返したところ非常に喜ばれます。
そこでアメリは人が少しだけ幸せになる親切を始める事を決意します。
2アメリ
アメリは父親や同じカフェで働く同僚のジーナら、自分の周りの人達にちょっぴりとした親切を施すのです。
ある日証明写真機の下で探し物をしているニノ(マチュー・カソビッツ)を見かけます。
またアメリはスキンヘッドの男を追いかけるニノを見かけ、いつしかニノにときめきを覚えます。
その時に、ニノが落とした荷物からアメリはニノが捨てられた証明写真を集めている事を知ります。
ニノがアルバムを探しているという張り紙を見つけたアメリでしたが、張り紙に書いてある番号に電話をする勇気がなかなか出ません。
アメリは同じアパートのレイモンに恋の相談をします。
7アメリ
勇気を出してニノの職場(ポルノショップ)を訪ねたアメリ、ニノは不在で、ニノのバイクにメッセージを残します。
メッセージの指示通りにやって来て、アメリの不思議な細かい指示に従ったニノはアルバムを取り戻すことが出来ました。ニノは会えなかったアメリの存在が気になり出します。
ニノは謎に包まれたアメリに会いたいが一心で再び張り紙を張りますが、その際に拾った写真にドゥ・ムーランに来るようにと書かれていました。
ニノは指示に従ってアメリに会いに来ましたが、アメリは自分がその謎の存在だということを言い出すことが出来ず、ジーナに頼んでメッセージを渡してもらいます。
5アメリ
またしても言い出すことができず自己嫌悪に陥るメアリはレイモンのところに相談に行きます。
レイモンはメアリを勇気付け、ビデオメッセージを送ります。
そしてついに二人は結ばれるのでした。
3アメリ
この映画はナレーションと独特のカラー(緑と赤)で成り立っています。
特に事件が起こるわけではなく、少し変わったパリの女の子の日常をユーモアで綴っているだけです。
そのセンスがずば抜けているのです。
アメリの空想の世界、アメリのいたずらやニノに対する謎作り、父親の庭に飾ってある小人ドワーフの世界旅行などとCGの世界が絡み合ってジャン=ピエール・ジュネの世界に引き込まれます。
もちろんアメリのオドレイ・トトゥがいなければこの映画は成り立ちません。

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MEMORIES 1971年春

思い出表紙のコピー2

僕の従姉妹と友人が2週間のアメリカ旅行から帰ってきた。
友人の格好を見て感激した。
なんとバックスキンのピラピラがついたジャケットである。
当時ヒッピーで流行っていたあの憧れのジャケットである。
イージーライダーでデニスホッパーが着ていたあのジャケットである。
友人の靴はモカシンである。
当時の最先端はヒッピーである。
ジーンズはもちろん裾が広がったベルボトムである。
ジーンズを求めてアメ横や青山の栄光へ行く。
しかしそのままでは履かない。
チロリアンテープやワッペンを付ける。
これらは霞町や赤坂、道玄坂にあったヒッピー御用達の店で購入。
チロリアンテープを求めてユザワヤにも行く。
ワッペンは麻の葉やスマイルマーク(スマイリーフェイス)などが定番である。
お尻のポケットに縫い付けるのが良い。
チロリアンテープは裾に使う人もいるが、余計足が短く見えるのでサイドに縫い付ける。
自分では出来ないので女の子の友人に頼む。
アクセサリーはネイティブアメリカンのインディアンものが流行りである。
鳥の羽根やトルコ石、シルバーなどが良い。
これらの指輪やネックレス、ブレスレットなどを身につける。
だんだんヒッピーに近づいてきた。
友人はアメリカからバックスキンのピラピラの付いた巾着型のショルダーバッグをお土産に買ってきてくれた。
ますますヒッピーに近づく。
友人はレコードも持ってきた。
当時ウエストコーストで一番新しい「It's a Beautiful Day」の、あの有名なジャケットのアルバムである。
そのほかGrateful Dead、Jefferson Airplane、Quicksilver Messenger Service、Steppenwolfなどのサイケデリックなアルバムを持ってきたが、皆が少し音に疲れてきたのでIt's a Beautiful Dayのような音が好まれているようだ。
しかし日本ではまだサイケデリックでヒッピーだ。
もちろん部屋にはフィルモアイーストのポスターは必至である。
そして甘く漂うインド香である。
坐禅やヨガの真似事もやってみる。
ヒッピーはベジタリアンで自然食品愛好家であるが、僕ら日本人のヒッピーは肉、肉、肉でなんでも食べる。
タイダイのTシャツかニコルのTシャツを着てチロリアンテープと麻の葉のワッペンをつけたベルボトムのジーズを履き、ピラピラの付いたショルダーバックにモカシンの靴を履いていざ出発。
行き先はもちろん日比谷野音のロックコンサートである。
出演者の友人がいるのでフリーパス。
楽屋に行ってひとしきり「It's a Beautiful Dayは良いよ」などと音楽談義をする。
ちょうどその時は都知事選挙前で美濃部さんと自民党の秦野前警視総監との一騎打ちであった。
なんとロックコンサートの出演者も観客も自分が支持するどちらかのバッジをつける。
ロック人間の間では社会・共産の推薦の美濃部さんが有利。
なんとものどかでおおらかな時代であった。
ヒッピーの女の子たちはスッピンでノーブラだ。
そして僕はヒッピーです。

♥︎1済

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