2020/09/26
MEMORIES 1969春

僕はダットサンフェアレディを運転して皇居前を走っている。
となりにPを乗せて。
やっとフェアレディをスムーズに走らせることが出来た。
ダブルクラッチを踏んで回転数を合わせないとスムーズにつながらない。
初めはとても苦労した。
しかし不安はそればかりではない。
僕の免許は軽免許なのだ。
16歳で取れる軽免許は360ccまでの車しか乗れない。
つまり無免許だ。
Pの顔を見る。
春風に髪をもてあそばれ、とても気持ち良さそう。
僕の不安は消し飛ぶ。
1週間前、従姉にソニービルの「カーディナル」に呼び出された。
従姉はロックバンドのボーカルとつき合っており、そこにいたPはリーダーと、Mはベースとつき合っていた。
僕がなんで呼ばれたかはわからないが、とても楽しかった。
従姉とMは何処かへ出かけ、僕とPは家の方向が同じなので一緒に帰る。
Pはとても魅力的で一緒に歩いているだけで嬉しい。
Pは茗荷谷のとても大きい家に家族と住んでいる。
良く解らないうちにPの部屋で今つき合っているリーダーの女性関係の話を聞いている。
Pは同じ大学の「ジャックス」の「空っぽの世界」を何十回もかける。
とても不思議な曲で洋楽しか聞かなかった僕にはとても新鮮だった。
しかし歌詞の内容が、とてもシュールで自殺や死後の世界を歌っている様な気がして、Pがとても悩んでいることがわかった。
僕はPと一緒にいたいので運転手になる。
学校が終わるとすぐにPの家に行く。
ある日、神宮前にあるブッテック「ドリアングレイ」に出来上がったスラックスを取りに行った。
とても不思議なお店で全体的に濃い紫のインテリアで宇野亜喜良さんの人形も置いてある。
店内を見ていると試着室からPが「似合う?」と出てきた。
僕は一瞬戸惑った。
Pが履いていたスラックスは何と裾が少し広がっている。
僕はソウルマンだ。
ズボンは細身でなくてはならない、が出てきた言葉は「すごく似合う」だ。
それから半年後にはパンタロンとなり大流行する。
よく原宿に行った。
「レオン」でコーヒーを飲み、「マドモアゼル・ノンノン」や靴屋の「ブティック・オオサキ」へ行く。
レオンはセントラルアパートの一階にあり、当時のスノッブのたまり場である。
広告関係、写真関係、ファッション関係の人達が集まる特に特徴のない喫茶店である。
セントラルアパートはすべての情報発信基地である。
荒牧太郎さんの「マドモアゼル・ノンノン」は当時一番流行っていたブティックで、レディスのお店だが男も女もマドモアゼル・ノンノンのロゴが入ったボーダーのT−シャツを着ていた。
車が日比谷を通るとPは「日劇の5階よ」と言った。
Pは姉の付き人を始めた。姉はシャンソン歌手で今、日劇のミュージックホールに出演している。
日劇ミュージックホールはトップレスのダンサーがレヴューをおこなう。
その幕間にコントをやったり、歌手が歌ったりする。
Pの姉は幕間にシャンソンを歌うのである。
姉は楽屋を一つもっておりPはそこで色々手伝う。
私はそこで何をするのかわからないが一緒について行く。
「お友達のKENちゃん」「はじめまして、よろしくお願いします」「どうぞ、そこに座って」僕は何をして良いかわからず5階の窓から有楽町を見ていた。
「お昼何食べる? アマンドの海老フライでいい?」じゃ電話して。
悪いはずがない。
アマンドの海老フライがこんなにおいしいとは思わなかった。
姉はステージのためお化粧を始め、Pが手伝う。
着替えのために僕は部屋から出る。
部屋の前の廊下は狭く、ここをトップレスのダンサーが行ったり来たりする。
僕は1人で緊張していた。
コントをやる矮人の人達も通る。
姉の出番だ。
舞台の裾から覗く。
姉は堂々として、歌がうまく、美しい。
歌の中に引き込まれる。
楽屋に戻り僕はお茶を入れた。
これから何回かステージがある。
居場所のない僕はPに後で迎えにくると行って銀座の町に出た。
銀座の空気がとても新鮮に感じた。
小さいころから来ている銀座の町がとても愛おしく思える。
4丁目を新橋方面に向かう。
銀座ヤマハへ行きピアフのレコードを買うために。

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