FC2ブログ

気になる話 その30 機那サフラン酒本舗の鏝絵蔵

27sannti.jpeg
今回は新潟県の長岡市に鏝絵(こて)を見に行きました。
鏝絵とは左官が壁を塗る鏝で絵を描いたものです。
江戸時代中期から徐々に盛んになり、静岡県松崎町出身の名工、入江長八が鏝絵として芸術の域にまで昇華させました。
もとは財を成した豪商や網元が母屋や土蔵を改築する際、富の象徴として外壁の装飾に用いたものです。
題材は福を招く物語、花鳥風月が中心です。
戦後、在来工法の衰退と共に腕利きの左官職人が減少し一時は幻の技巧となりましたが、近年、建築の分野で再評価が進んでいます。
静岡県松崎町や大分県安心院では町のいたるところで鏝絵が見られます。
今回の機那サフラン酒本舗の鏝絵は保存状態も良くその美しさで日本一の鏝絵と言われています。
1safuran
機那サフラン酒は明治時代、養命酒と人気を二分した薬用酒でサフラン、はちみつ、桂皮、丁子、甘草などが入っています。
2サフラン酒
このサフラン酒で巨万の富を得た吉澤仁太郎が鏝絵で飾られた蔵を広大な敷地に建てたのです。
そして知人の伊吉を左官職人にして富士に修行に出し、蔵の鏝絵を任せました。
伊吉は期待に応え、蔵の扉に十二支、鳳凰、麒麟、大黒、恵比寿など縁起物で飾りました。
それが素晴らしい出来なのです。
それでは見学します。
3safuran.jpg
まず目につくのは2階の窓の左右の鳳凰です。
4鳳凰1 5鳳凰2
珍しいのはその上の軒下にも左右に龍が彫られています。
6屋根
1階には麒麟と亀と亀です。
7キリン 8カメ
側面に回ります。
9側面
2階は窓が3つあり左右は片開きで真ん中は観音開きです。
左の窓はイノシシです。
10イノシシ
植物はよくわかりませんがガマの穂にも見えます。
中央観音開きの左側は虎と竹、右はネズミです。
11トラ 12ネズミ
右の窓は牛と梅です。
13牛
1階は左の窓が観音開きで左側は馬と桜、右が犬と牡丹、
14ウマ 15ネコ
右の片開きは羊です。
16ヒツジ
入口の2階です。
17入り口
観音開きは左に鶏に菊、右側はウサギと松です。
19トリ  18ウサギ
1階は母屋とつながっているので屋内です。
右側の観音開きの窓の左側には鶴と亀、左側には鶴と松です。
20ツルカメ 21ツルと松
蔵の入口の扉左側は恵比寿、右は大黒です。
22恵比寿 23大黒
蔵の中には創業当時から現代にいたるまでの関連商品が展示されています。
当時の広告やポスターがあり、近年は同郷の三波春夫を宣伝に使っていたようです。
24三波春夫
吉澤仁太郎はその財力で日本中から貴重な石や木材を取り寄せ、素晴らしい庭園や日本家屋を建てました。
全く手入れをしていなかったのでかなり痛んでますが、現在地元のボランディアの方々が修復をしています。
26母屋
機那サフラン酒本舗の鏝絵蔵は吉澤仁太郎の財力と伊吉の感性と技が生み出した日本が誇る文化です。
度重なる地震に耐え今も誇らしげに立っています。
しかし屋外にあるため保存が心配です。

ホームページ  www.ravana.jp


映画の話 その78(暗殺のオペラ)

128ガレン
久しぶりに名画を見ました。
ベルナルド・ベルトルッチ監督の「暗殺のオペラ」です。
暗殺のオペラ1
「ラストタンゴ・イン・パリ」で私は監督の熱狂的支持者になりました。
そのさらに2年前の作品で同時期の「暗殺の森」は大作ですばらしい映画でしたが、「暗殺のオペラ」は珠玉の小品です。
同じ年によく二つの質の高い作品が作れたことに驚きです。
この映画の特徴は何と言っても映像のうつくしさです。
イタリアの田舎町をこれだけ美しく幻想的に写したヴィットリオ・ストラーロとフランコ・ディ・ジャコモの努力と才能によるものでしょう。
終始カメラは水平に移動するのです。
そしてそれがとても心地よいのです。
暗殺のオペラ2
舞台は1960年代の北イタリアの田舎町タラで英雄として称えられている父の死の謎を探るべく訪れた、父と同じ名前の青年アトスが真相を突き止めるまでを描いた物語です。
父アトスは約30年前その街でアンチファシズムとして戦っていました。
オペラ劇場でムッソリーニの暗殺を計画しましたが、誰かがその計画を密告し、逆にそのオペラ劇場でヴェルディのオペラ「リゴレット」を観劇中に暗殺されました。
暗殺のオペラ8
父の愛人であったドライファから父の死の真相を突き止めてもらいたいと依頼されたアトスは、当時、父の仲間であったアンチファシストの3人に当時の状況を聞き出します。
様々な情報や自身の直感から、ついに父の死の真相を突き止めます。
それは、父の暗殺は民衆にアンチファシズムを浸透させるべく、父自身が演出したものだった、という衝撃的な事実でした。
つまりムッソリーニ暗殺計画の密告者は父自身で、仲間に自らを殺害させていたのでした。
さらに驚くべきことに、街に住む人々は皆、この事実を知っていたのです。
キャストが素晴らしい。
暗殺のオペラ3
二役のジュリオ・ブロージはサファリジャケットとバンダナで父親になりますが違和感は全くありません。
父の愛人のアリダ・ヴァリ、3人の親友たち皆一流の俳優でさらに映画に重みを与えます。
まずはオープニングのタイトルバックの絵画で脅かされます。
ラストタンゴインパリのフランシス・ベーコンとガトー・バルビエリでノックアウトされたのですがこちらが先でした。
カメラが木々を写しそのまま水平移動するとそこはタラの駅でドンピシャで列車が入ってきます。
そしてアトスが降りてきます。
このタラの駅が重要でアトスが列車に乗ろうと帰りかけて訪れる夕方から夜にかけての美しさは筆舌に尽くし難いです。
そして真実に気づき町に戻ります。
ansatsunoopera-movie.jpeg
町では人々が(老人しかいない)夕暮れの中、外で時間が止まったように「リゴレット」に聞き入っています。
このシーンがベストでシュールな絵画のようです。
そして全てがわかって駅に戻ります。
暗殺のオペラ7
アトスは列車を待っています。
何気無くレールを見ています。
そしてレールをカメラが水平移動していくとレールは徐々に雑草に覆われ、やがて雑草でレールは見えなくなり終わります。
なんと素晴らしいエンディングでしょう。
ベルナルド・ベルトルッチ監督は本物の監督です。

8-2ウィジョヨクスモの花


ホームページ  www.ravana.jp

食べ物の話 その24(牡丹鍋)

127スマル
私は猪鍋が大好きです。
12月から3月にかけては特に美味しくなります。
6牡丹鍋
イノシシに肉は硬い、くさいなどと言われますが、それは新鮮でないイノシシだと思います。
新鮮なイノシシは臭みはありません。
硬くはなく適度な弾力はあります。
豚肉程度に。
牛肉と比較して低カロリー、高タンパクで鉄分が多いのが特徴です。
また血中コレステロール値を上げる飽和脂肪酸の含有量が牛肉の半分以下で、血液をサラサラにする多価不飽和脂肪酸は1.5倍含んでいます。
でもそんなことより、美味しいから食べるのです。
12イノシシ
ここで注意しなければならないのはブタにイノシシを掛け合わせたイノブタです。
イノブタはそれはそれで美味しいのですが、脂肪が少なくあっさりしているので豚肉に近く物足りません。
肉の美しさも違います。
牡丹鍋と言われるように、脂身と赤身のバランスが絶妙でお皿に盛るととても綺麗で食欲をそそります。
特に花のように盛り付けると最高です。
1牡丹鍋
いまでは日本全国、ジビエブームで野生のイノシシを食べさせるお店がいっぱいあります。
特に兵庫、京都、岐阜、神奈川、伊豆などが力を入れております。
わたしは東京に住んでいるので神奈川の大山の方に食べに行きますが、イノブタが多いです。
牡丹鍋は新鮮さが決め手なのでできれば猟師さんの民宿とか猟師さんから直接買っている民宿、旅館がオススメです。
関西の方では高級料理店でも出しますが、サービス料を15%もとる一流の店は敬遠です。
鍋は仲居さんにしてもらうのではなく、みんなで突っつきあって食べるのが最高です。
3牡丹鍋
鍋は味噌か醤油ベースで食べます。
どちらも美味しいです。
味噌は赤でも白でも合わせでも美味しいです。
猟師さんの民宿ではイノシシの骨で出汁を取るので特に美味しくなります。
野菜は何でも良いのですが、根菜の、ゴボウ、人参、大根、ネギ、白菜、春菊、水菜、エノキ、椎茸、コンニャク、トウフなどです。
5牡丹鍋
卵をつけて食べるところもあります。
締めの第一弾は残ったスープにうどんを入れてまず食べます。
第二弾はご飯と卵を入れ、オジヤにするか卵とじの状態でご飯にかけるかです。
これでもうお腹いっぱいです。
冬、旅行する機会があったらそこの旅館か民宿で牡丹鍋をやっているか調べます。
また牡丹鍋を食べさせる料理屋がある場合はビジネスホテルに泊まり食べに行きます。
牡丹鍋が食べたくなったら伊豆へ行きます。
天城には猟師さんがやっている民宿があるので一泊で温泉に入り、たらふく牡丹鍋を食べて帰ります。
中伊豆は楽しい所で、イノシシだけではなく、素晴らしい温泉があります。
修善寺や湯ヶ島など歴史のある温泉場は雰囲気が素晴らしく、散歩をするのに最適です。
湯ヶ島は井上靖が少年時代を過ごした所で「しろばんば」の舞台です。
いまでも小説になった場所が保存され、モデルコースもあるので巡るのも良いでしょう。
修善寺は老舗高級旅館がひしめき合い、散策するのが楽しい場所です。
ここでとても特徴のある屋根が見えます。
修善寺ハリストス正教会・顕栄聖堂です。
11イノシシ
一見の価値があります。
冬の温泉と牡丹鍋、最強の組み合わせです。

8-2ウィジョヨクスモの花

ホームページ  www.ravana.jp

寺院の彫刻 その75(シヴァ25 水牛の魔神を殺す女神−マヒシャスラマルディニー) 

PANATA145.jpg
前回はドゥルガー女神の布施が主体の彫刻についてお話ししました。
今回はドゥルガー女神の「水牛の魔神を殺す女神−マヒシャスラマルディニー」としての彫刻のお話です。
すでに「うめがおかの遺跡の旅-ⅩLⅡ ドゥルガー・マヒシャスラマルディニー」でお話ししましたが、もう一度ここでお話しします。
20.jpg
「ヴィシュヌ、シヴァを始め神々の協力で作られたドゥルガー女神は神々から授かった武器を手にして魔神マヒシャとの戦いに臨みます。
手下どもをすべて殺されてしまった魔神達の王マヒシャは水牛の姿でドゥルガー女神と戦いました。
山はくだけ、海の水は陸にあふれ、雲はちぎれ、天上の山々は地上に落下しました。
マヒシャは形勢が悪くなると次々と姿を変えて戦います。
すなわち、水牛からライオン、そして人間、象、そして再び水牛の姿を取りました。
形勢が悪くなり水牛の口から人間の姿を半分ほど出したときついにドゥルガーの強烈な一撃を受けて死んでいったのです」
この最後の一撃が彫刻としてインド全土およびインド化された東南アジアに伝播しました。
まずはインド国内から見ていきます。
彫刻の歴史は古く2世紀にはすでに彫られていたようです。
「水牛の魔神を殺す女神」像の中で最も古くからあり一般的な構図は、女神が牛の尾をつかみ、一方の足で牛の背中を踏みつけシヴァから与えられた三叉戟でその牛を刺貫いているというものです。
もっとも古い3世紀の彫刻がマトゥラー博物館にあります。
1ドゥルガー3世紀M
同じく4世紀のものです。
2マヒシャスラマルディニー4世紀
非常に構図がよく似ています。
ロスアンゼルスのLMCMA美術館にも同じ時代の彫刻があります。
3LMCMA美術館
寺院彫刻で最も古いものは5世紀のウダヤギリ石窟(マディヤプラディシュ州)のものです。
ここには2つの像があります。
第4窟の像は10臂で水牛の足を持ち頭を踏みつけているダイナミックな像です。
4UDAYA-4006
もう一つは第8窟にありこれもダイナミックな像ですが残念なことに下半身が崩壊しています。
5UDAYA-8007
同じくマディヤプラディシュ州のKatni地区の小さな村 Sindursiに6世紀の像があります。
4臂で水牛の足を持ち頭を踏みつけています。
6Sindursi-12
西インドのOsianには8世紀に建立されたHARIHARA寺院やSURYA寺院などの壁龕に必ずドゥルガー像が彫刻されています。
その中でもSURYA−3寺院の壁龕のドゥルガーは良い出来です。
7SURUYA-3010
今まさに水牛の首から出ようとしているところを三叉戟で刺されています。
同じくラジャスターン洲のジャガトという村のアンビカー・マータ寺院(10世紀)に色々なシーンの「水牛の魔神を殺す女神」像が彫刻されています。
始めは水牛だけで次は首から人間の形をしたマヒシャが現れ、最後は人間の形をしたマヒシャだけになります。
8AMBIKA049 9AMBIKA046
10AMBIKA052.jpg 11AMBIKA028.jpg
この寺院は名前どおりシヴァの妃(アンビカーはドゥルガーの別名)、特にドゥルガーのための寺院です。
東インドではBHUBANESWARのPARASURAMESHWAR(7世紀中頃)のシカラに彫刻された像です。
PARASURAMESHWAR独特の意匠で6臂のドゥルガーが牛頭人身のマヒシャをねじ伏せる素晴らしい像です。
12PARASU079.jpg
もう一つBHUBANESWARには素晴らしい像があります。
VAITAL DEUL寺院(8世紀中頃)です。
8臂のドゥルガーが牛頭人身のマヒシャを押さえつけ三叉戟を突き刺しています。
ドゥルガーの表情がなんとも言えません。
おそらく最高傑作の一つでしょう。
13VAITAL007.jpg
もう一つの最高傑作が南インドのマハバリープラムにあります。
そのなもズバリMAHISHAMARDHINI MANDAPA(7世紀中頃)です。
壁面パネルいっぱいに、ライオンにまたがり、牛頭人身のマヒシャに向かって今まさに弓を引こうとしています。
すごい迫力です。
14.jpg
これと同じような構図の彫刻が近くのATIRANACHANDA MANDAPA(7世紀)にあります。
こちらはこまごまして迫力に欠けます。
15ATIRANACHANDA MANDAPA
エローラの16窟カイラーサナータ寺院(8世紀)の壁龕もこれと同じ形式です。
しかしマヒシャがドゥルガーに向かって戦いを挑んでいます。
16ECAVE16016.jpg
そのほかエローラにはいくつか像はありますが全てドゥルガーが優しい感じです。
17elloracaves.jpg
南インドのPULLAMANGAIのBRAHMAPURISVARA寺院(10世紀)の基壇に彫られた彫刻です。
マハバリープラムと同じ構図です。
16BRAHMAPURISVARA(PULLAMANGAI).jpg
南インドではALAMPURの博物館に保存されている7〜8世紀の2体の像が優れています。
16ALAMPUR.jpg 17ALAMPUR.jpg
AIHOLEにある石窟RAVANAPADI(6世紀後半)も見応えがあります。
8臂でとても古い像ですがとても洗練されています。
マヒシャとドゥルガーの体の線がとても美しく計算されています。
18RAVANAPADI.jpg
南インドのチョーラ朝の寺院(10〜12世紀)では水牛の頭の上に「勝利の喜びに酔って」立つドゥルガー像が人気でした。
AGASTYESHVARA寺院(KALAIYUR)>
19AGASTYESHVARA(KALAIYUR).jpg
BRAHMAPURISVARA寺院(PULLAMANGAI)>
19BRAHMAPURISVARA(PULLAMANGAI).jpg
BRIHADISHVARA寺院(TANJAVUR)>
19BRIHADISHVARA(TANJAVUR).jpg
MELAKKADAMBUR寺院>
19MELAKKADAMBUR.jpg
この彫刻はとても人気があり、インド全土で見つかります。
ドゥルガーの人気に驚きます。

ホームページ  www.ravana.jp


石の巡礼 その22(四十九院行道山浄因寺)

AA1_0298のコピー
前回は埼玉県寄居町にある普門寺の四十九院石仏のお話をしました。
今回はもう一ヶ所四十九院石仏が安置されている栃木県足利市にある浄因寺を訪れます。
普門寺は境内に一列に並べて安置されているので、見学は楽ですが、浄因寺は行道山という山の中腹にあり、さらに四十九院石仏は山の頂上近くにある奥の院に安置されているので、大変です。
浄因寺は行基の草創と言われ、山岳信仰の霊場として栄え関東の高野山と言われています。
この山は奇岩、怪岩が多くこの寺院を有名にしている清心亭は巨岩の上に立ち、そこへ渡るために巨石から巨石に架けられた空中橋『天高橋』は葛飾北斎が『足利行道山雲のかけ橋』として描いたものです。
1葛飾北斎
2浄因寺
麓の駐車場から長い階段を上り信者が寄進した石仏を見ながら山門を二つくぐると本堂、庫裏、清心亭に着きます。
3浄因寺
さらに本堂の横から急な階段を上るとやがて山道になり奥の院とハイキングコースに分かれます。
四十九院は巨岩の上に安置されています。
4浄因寺
そこからの展望は足利の町や周囲の山々が一望できます。
普門寺の時にお話ししましたが、四十九院は死者が弥勒菩薩の四十九院の兜率天に生まれ変わるように願って、墓所の回りに四十九院の塔婆を立てる風習が室町時代から行われていました。
この風習を受け継いで、江戸時代中頃に弥勒浄土の模倣として四十九院の本尊の建立が行われました。
現在保存されているのが普門寺と浄因寺の二箇所です。
浄因寺では巨岩の上に68体の石仏とそれを守護する四天王を配置して弥勒菩薩の住む兜率天の世界を再現したものだそうです。
建立は享保4年(1719年)です。
5浄因寺
しかし決められた配置になっているのかどうかも分かりませんし、石仏が固定されている訳ではないので、非常に不安定で倒れたり、崩れたりしている石仏がたくさんあります。
ちよっと触るともうグラグラです。
ここで一番有名なのが10番の常念常楽院の釈迦涅槃像いわゆる寝釈迦です。
19浄因寺
この像を見るためにはこの岩の上に登らなくては見えません。
特に道があるわけではなく、急な岩を勝手に登るのです。
その時周りの石仏に触るとすぐに倒れてしまうほど不安定なのです。
保存状態が良く、興味深い石仏を載せておきます。
院名・尊名は判りません。
6浄因寺
7浄因寺
8浄因寺
9浄因寺
10浄因寺
11浄因寺
12浄因寺
13浄因寺
14浄因寺
15浄因寺
16浄因寺
17浄因寺
18浄因寺
ここにたどり着くのは大変ですが、疲れた体に心地よい風とツツジの花が迎えてくれます。
なんとなくここに兜率天の世界を作った訳がわかるような気がしました。

ホームページ  www.ravana.jp

音楽の話 その70 (新崎純)

ガンジーファ - 015
新崎純はその人間的魅力から「気になる話」で取り上げようかと思いましたが、唯一のレコード「かじゃでぃ風節(ふーぶし)」があまりに素晴らしいので音楽の話にします。
新崎純
新崎純の「かじゃでぃ風節(ふーぶし)」は最近沖縄のことを調べている時に知りました。
沖縄の音楽が好きで、この曲はおめでたい席で踊られる非常に重要な曲であることは知っていましたが、新崎純のことは知りませんでした。
新崎純は1936年生まれの82歳、那覇で生まれました。
中学からトランペットを吹き始め、高校時代は全琉コンテストで三年連続優勝します。
新崎純、14歳中学
高校2年からトランペットで夜間基地のクラブでバイトを行い、当時沖縄県トップのバンド、デューク・ドーシーからスカウトされて入団します。
米軍基地内の将校クラブを中心に高級クラブにて演奏を行い、27歳でバンドを組み米軍基地内のクラブで専属契約いたします。
那覇将校クラブからライカム将校クラブ、更にタッパー・クラブと渡り歩き人気を博しました。
新崎純4
しかし復帰を機にバンドの仕事が少なくなり、現在の ケミックス㈱ を設立。
機械や自動車の整備をトコトン合理化するノウハウを開発。
三分でディーゼルを含むあらゆるエンジンを絶好調にする特殊技術は他に類が無く全国的に超人気で注文多数だそうです。
現在も会社経営の傍ら、バンドでトランペットやコルネットを吹いているそうです。
新崎純3
そして新崎純が1977年に好奇心から琉球古典音楽をビッグバンドで演奏したらどうなるかと思い立ち、琉球古典音楽・琉球舞踊を代表する曲「かじゃでぃ風節(ふーぶし)」を選びました。
この曲は沖縄本島で、祝宴の座開きとして踊られる祝儀舞踊で沖縄に暮らす人々にとって、とても重要な曲です。
歌詞は
今日の誇らしゃや なほにぎやなたてる 
蕾で居る花の 露きやたごと
これを説明すると
今日のうれしさは 何にたとえられるだろうか 
蕾のままだった花に 露がついて花開いたようだ

というとても美しい歌詞です。
この楽曲を新崎純は5人の三線奏者、4人の管楽器奏者、ピアノ、エレキギター、エレキベース、パーカッションとドラムの総勢13人をスタジオに集め、新崎 順とナイン・シープスとして、リハーサル無し、たった一回の演奏で録音したのです。
新崎純5
5人の三線奏者の中には人間国宝の照喜名朝一も居ます。
本人によるとハーモニーが無い琉球古典音楽ゆえに編成と編曲には苦心し非常に複雑なジャズ・コードでバックを演奏したと言います。
そして出来た音は想像を超える美しさと荘厳さを漂わせたものになリました。
新崎純2
それはビーチボーイズの「Pet Sounds」のようでもあり、HIGH LLAMASの楽曲のようでもありとても不思議な音なのです。
しかしこの奇跡のテープは忘れ去られ、本人も紛失したと思っていましたがなんと当時記録用に録音したただ1本のテープが発掘されたのです。
そしてわたし達の耳に届くようになったのです。
なんと素晴らしいことでしょう。
ますます沖縄が好きになっていきます。
新崎 順とナイン・シープスの「かじゃでぃ風節(ふーぶし)」はユーチューブで見ることが出来ます。

ホームページ  www.ravana.jp