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寺院の彫刻 その70(シヴァ20ナンディに乗るシヴァとウマー2)

15PANATA132.jpg
東南アジアにおけるナンディに乗るシヴァとウマーを見ていきたいと思います。
クメール帝国では特に好まれた題材です。
88年にカンボジアを訪れた時は10日間のツアーでシェムリアップに滞在できた時間は5時間ほどでした。
その時間でアンコールワットとバイヨンを見学です。
その後もシェムリアップに宿泊する旅行はありませんでした。
そんな時「仏教の国ラオスとタイのクメール遺跡を訪ねて11日間 」というツアーがあり、すぐに参加しました。
このツアーは東北タイのクメール遺跡とラオスのビエンチャンとルアンプラバンを巡るツアーです。
このツアーで訪れた東北タイの寺院の中でムアンタム寺院の楣に彫刻されたナンディに乗るシヴァとウマーの彫刻に感動しました。
1TAM064_1
とても優しくて、可愛いのです。
いわゆるヘタウマです。
11世紀初めのジャヤヴァルマン5世が建立した寺院で石工の意匠が現れています。
私の大好きな彫刻です。
すぐ近くにあるPRASAT PHANOM RUNGは12世紀の初め、スールヤヴァルマン2世とヒランヤが建立した寺院で素晴らしいラーマーヤナの彫刻で有名です。
ここの破風にナンディに乗るシヴァとウマーの彫刻がありますが残念なことにシヴァとウマーは破壊されています。
奇跡的にナンディだけはよく残っています。
2RUNG025
KAMPHAENG YAIの破風にもナンディに乗るシヴァとウマーの彫刻がありますが、保存状態が良くありません。
3YAI021
もうひとつ楣にも見つかります。
従者を従え、とても魅力的な作品です。
4YAI029
コンケーンにあるKU PUAI NOI(11〜12世紀)の遺跡にもナンディに乗るシヴァとウマーの彫刻があります。
とても良い出来です。
5KU PUAI NOI
ペッチャブーンにある12世紀のPRANG SONG PHI NONG寺院の楣もとても面白い彫刻です。
とぼけたナンディに対してシヴァがとても大きく顔もユニークです。
6Prang_Song_Phi_Nong-007
タイのクメール寺院でも好まれた題材でした。
それでは本家カンボジアのクメール遺跡を見てみます。
まずはクメールの至宝BANTEAY SREI寺院からです。
リンガの参道に素晴らしいナンディに乗るシヴァとウマーの彫刻があるのですが残念なことにウマーの顔がありません。
7SREI167_1_2
12世紀のBANTEAY SAMRE寺院の破風にもあります。
やはりウマーの顔がありません。
8SAMRE087
同時期のTHOMMANON寺院の破風のシヴァはリシとして描かれています。
この像もウマーの顔はありません。
9TOMMANON107
以前シェムリアップの遺跡保存事務所を訪れた時、倉庫で発見した楣です。
アイラーヴァタの上に乗るインドラの上に小さくナンディに乗るシヴァとウマーの彫刻がありました。
9保存事務所021
11世紀の終わりにタ・ケオ州に建立されたPHNOM CHISSORには掘りかけの彫刻があります。
ナンディ、シヴァ、ウマーはだいぶ完成しています。
CHISSOR025_4.jpeg
シェムリアップ川の源流にあるKBAL SPEANは川底にたくさんのリンガが掘られています。
「アナンタ龍の上に横たわるヴィシュヌ」がメインですが、ナンディに乗るシヴァとウマーも彫刻されています。
11Kbal_Spean.jpeg
タイとの国境にあるPREAH VIHEAR寺院の破風にも彫刻されています。
12VIHEAR074.jpeg
当時はタイ側からしか見学できませんでした。
クメール揺籃の地ラオスのWAT PHUにもあります。
私が行った1993年はまだタイのチョンメックからラオスに入国するルートは一般的ではなく、パクセーにしかホテルの設備はありません。
陸路を通り、チャンパサックで筏のフェリーに乗り、リンガ・パルパダの聖山が見えた時には感動しました。
リンガの参道をぬけると左右に11世紀に建てられた建物が現れます。
ここ建物の破風に素晴らしいナンディに乗るシヴァとウマーが彫られています。
13VAT PHU-4
クメール帝国以外には見つけることができませんでした。
ただインドネシアでとても興味深い彫像を見つけました。
それは牛頭人身のナンディ像です。
14Nandi, Surabaya, East Java, 13th c
牛頭人身の像はインドではよく見かけますが、頭が小さく立像です。
13世紀の造形で頭が大きく坐像でとてもリアルなのです。
ガネーシャと違いとても不気味です。
現在残っているナンディに乗るシヴァとウマーの彫刻はほとんどクメールのものです。
クメールの王たちにとても愛されていたことがわかります。

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石の巡礼 その17(長泉寺十六羅漢)

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杉並区にある長泉寺には素晴らしい十六羅漢像があります。
十六羅漢とは釈迦の命により、この世に長くいて正法を守り、衆生(しゅじょう)を導く16人の大阿羅漢のことです。
阿羅漢は仏弟子の到達する最高の階位とされ,これ以上修すべきものがないという意味で無学とも言われます。
十六羅漢は本堂の前に左右8体ずつ安置されています。
それでは見てみましょう。
1)賓度羅跋囉惰闍(ピンドーラ・バーラドゥヴァーャPiṇḍola-bhāradvāja)眷属として1000阿羅漢を有し、西瞿陀尼に住す。
西瞿陀尼洲とは、須弥山世界の四大洲のうちの西大陸、ゴーダニーヤ・ドヴィーパ
賓度羅跋囉惰闍は、賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)即ち「おびんずる様」として知られる。
8賓度羅跋囉惰闍尊者 24賓度羅跋囉惰闍尊者
2)迦諾迦伐蹉(カナカヴァツァKanakavatsa)
眷属として500阿羅漢を有し、北方の迦湿弥羅国(カシミール)に住す。
9迦諾迦伐蹉尊者 25迦諾迦伐蹉尊者
3)迦諾迦跋釐堕闍(カナカバーラドゥヴァージャKanakabhāradvāja)
眷属として600阿羅漢を有し、東勝身洲(とうしょうしんしゅう)に住す。
東勝身洲とは、須弥山世界の四大洲のうちの東大陸、プールヴァヴィデーハ・ドヴィーパ
7迦諾迦跋釐堕闍尊者 23迦諾迦跋釐堕闍尊者
4)蘇頻陀(スヴィンダSuvinda )
眷属として700阿羅漢を有し、北倶盧洲(ほっくるしゅう)に住す。
北倶盧洲とは、須弥山世界の四大洲のうちの北大陸、ウッタラクル・ドヴィーパ(Uttarakuru-dvīpa)
10蘇頻陀尊者 26蘇頻陀尊者

5)諾距羅(ナクラ Nakula)
眷属として800阿羅漢を有し、南贍部洲(なんせんぶしゅう)に住す。
南贍部洲とは、須弥山世界の四大洲のうちの南大陸、ジャンブー・ドヴィーパ
6諾矩羅尊者 22諾矩羅尊者
6)跋陀羅(バドラ Bhadra)
眷属として900阿羅漢を有し、躭没羅洲(たんもらしゅう)に住す。
諸寺の浴室では首楞厳経の記述に随いこの尊者像が安置される事が多い。
11跋陀羅尊者 27跋陀羅尊者
7)迦理迦(カーリカ Kālika)
眷属として1000阿羅漢を有し、僧伽荼洲(そうかだしゅう)に住す。
5迦哩迦尊者 21迦哩迦尊者
8)伐闍羅弗多羅(ヴァジュラプトラ Vajraputra)
眷属として1100阿羅漢を有し、鉢剌拏洲(はらなしゅう)に住す。
12伐闍羅弗多羅尊者 28伐闍羅弗多羅尊者
9)戍博迦(ジーヴァカ Jīvaka)
眷属として900阿羅漢を有し、香酔山(こうすいせん)中に住す。
香酔山とは、須弥山世界での南贍部洲の最北辺の山脈。
4戎博迦尊者 20戎博迦尊者
10半託迦(パンタカ Panthaka)
眷属として1300阿羅漢を有し、三十三天(忉利天)に住す。
第16の注荼半託迦(周利槃特)の兄、摩訶槃特(マハー・パンタカ)のこと。
忉利天とは、須弥山世界の須弥山頂上。
13半諾迦尊者 29半諾迦尊者
11囉怙羅(ラーフラ Rāhula)
眷属として900阿羅漢を有し、畢利颺瞿洲(びりようくしゅう)に住す。
釈尊の実子
3囉怙羅尊者 19囉怙羅尊者
12)那迦犀那(ナーガセーナ Nāgasena)
眷属として1200阿羅漢を有し、半度波山(はんどはせん)に住す。
ミリンダ王の問いに出るナーガセーナと思われる。
16那伽犀那尊者 32那伽犀那尊者
13)因掲陀(インガダ Iṅgada)
眷属として1300阿羅漢を有し、廣脇山(こうぎょうせん)に住す。
2因掲陀尊者 18因掲陀尊者
14)伐那婆斯(ヴァナヴァーシン Vanavāsin)
眷属として1400阿羅漢を有し、可住山(かじゅうせん)に住す。
ヴァイデハは小ヒマラヤ山脈に比定される。
14伐那婆斯尊者 30伐那婆斯尊者
15)阿氏多(アジタ Ajita)
眷属として1500阿羅漢を有し、鷲峯山(じゅふせん)に住す。
仏典の一部で弥勒菩薩と同一視されることがある。
1阿氏多尊者 17阿氏多尊者
16)注荼半託迦(チューダパンタカ Cūḍpanthaka)
眷属として1600阿羅漢を有し、持軸山(じじくせん)に住す。
周利槃特のこと。
持軸山とは、須弥山世界の四大洲から須弥山に至る七金山(しちこんせん)のうち6番目(須弥山側からは2番目)の山脈。
15注荼半諾迦尊者 31注荼半諾迦尊者
十六羅漢は日本では好まれ、日本全国に見られます。絵画や木造は堂内に、石造は境内の参道や庭などに安置されています。山形県飽海郡遊佐町の吹浦海岸にある十六羅漢岩はなんと海岸の岩に彫られています。このほか経典によってあと二人を追加して十八羅漢とする場合もあります。さらに仏陀に常に付き添った500人の弟子、または仏滅後の第1回の結集(けつじゅう、仏典編集)に集まった弟子を五百羅漢として崇拝する場合もあります。たくさんの羅漢さんが集まればその表情は千差万別です。知り合いの顔を探すのも一興かもしれません。

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映画の話 その69(インド夜想曲)

110オントセノ
今回は一番好きな映画で、一番多く見た(DVDを購入)、アラン・コルノー監督の「インド夜想曲」です。
まず原作のアントニオ・タブッキが大好きです。
インドが大好きです。
アラン・コルノーが大好きです。
ミステリアスな物語が大好きです。
ある日いきつけの本屋で「インド夜想曲−アントニオ・タブッキ 白水社」という本を見つけました。
1インド夜想曲
その本の帯に「インドの深層にふれるミステリアスな内面の旅行記-失踪した友人を捜してインド各地を旅する主人公、彼の前に現れる幻想と瞑想の世界」と書かれており、インドと付くものすべてに興味を持っていた時期で、なにか運命的な出会いを感じてその日のうちに読み切ってしまいました。
本のはじめに「これは不眠の本であるだけでなく、旅の本である。不眠はこの本を書いた人間に属し、旅行は旅をした人間に属している。しかし、この本の主人公が旅したいくつかの場所へは私自身も行ったことがあるので、簡単な道案内をつけるのが適切と思われた。・・・・・それとも、こんなつじつまの合わない行程を愛してしまっただれかが、いつか、これをガイドブックとして活用するかもしれないという、ばかげた希望がさせたことか。」と書いてありこの本に出てくる場所やホテルの住所が載っています。
映画は確か東急文化村で見たと思いますが、すぐにDVDを購入してしまいました。
2インド夜想曲
そして南インドに行く度に、スケジュールに本に載っている場所やホテルを組み込み体験してきました。
名前の付け方の遊びや、登場人物の曖昧さなど色々な解釈がある映画ですが、素直に映画の中に飛び込めば素晴らしいインド体験が出来ます。
ストーリーはインドで失踪した友人グザヴィエを捜しにきた主人公(ジャン=ユーグ・アングラード)はまずボンベイの安宿で一緒に暮らしていたインド人の娼婦に会い消息を尋ねます(この安宿のシーンやカレーを食べにいくシーンが良い)。娼婦は公園へ行ったり、エレファンタ島へ行ったり、楽しかった思い出を語ります。
3インド夜想曲
手掛かりはマドラスの神智学協会との書簡であることが解りました。
一応インドの病院を訪ね友人の安否を確認します(病院のシーンが良い)。
4インド夜想曲
インド門のタージマハールホテルに泊まり、主人公もエレファンタ島を訪れます。
6インド夜想曲
いよいよ手掛かりのマドラスへ列車で行きます。
これはとても長い旅行です。
インド亜大陸の中央を西から東へ横断です。
アラビア海のボンベイからインド洋のマドラスまでです。
列車では原作にないエピソードが綴られます。
同室のユダヤ人はインド美術に詳しく、以前ドイツ人の医師から教えられたシヴァ神のナタラージャ像を見に行くところだと話します。
不思議なことにユダヤ人の名前はピーター・シュレミールと言い、この名前はシャミッソーの「影をなくした男」の主人公の名前です。
列車はマドラスに着き神智学協会へ向かいます。
そこでマドラス支部長に手紙を見せてもらいます。
一緒に食事をし、ヘルマン・ヘッセやペソアの話をして手紙の住所のゴアに向かいます。
7インド夜想曲
バスに乗りマンガロールに向かいます(今度は東から西へまた横断です)。
そこで乗り換えゴアへ行きます。
バスはマンガロールの途中で停まり、ムダビリからくるバスを待ちます。
バスを降り待合室へ行くと子供がサルを抱いていました。
しかしよく見るとグロテスクな奇形の小さな人間でした。
8インド夜想曲
子供は抱いているのは姉(原作では兄)の予言者(アーハント)で、これからムダビリのジャイナ教寺院のお祭りに行き人々のカルマ(業)を読んで稼ぐのだと言います。
主人公は自分のカルマを読んでもらいますが、あなたはここに居ないので(あなたはマーヤー幻影にすぎない)読めないと、とても暗示的な答えが返ってきます。
ゴアでは修道院で主人公のもう1つの目的(主人公の仕事は古文書の研究)、ポルトガルの古文書探しをしている時に白日夢を見ます。
主人公はゴアでグザヴィエが泊まりそうなホテルを探します。
老舗のホテル・マンドヴィで手掛かりを見つけます。
以前はここに滞在していたが今は新しいオベロイホテルに滞在しているようです。
さっそくオベロイに行きます。
そこで出会った女性カメラマンと親しくなり夕食に誘います。
プールサイドで食事をしながらグザヴィエを探します。
グザヴィエは主人公と同じく女性と食事をしながら主人公を見つめます。
主人公もグザヴィエを見つめます。
そして主人公とグザヴィエは同化して友人探しから実は自分探しをしていたことが解ります。
ラストはカメラマンを部屋まで送って終わります。
終始流れるシューベルトのノクターン(弦楽五重奏曲ハ長調D.956)が素晴らしい効果をあげます。
シューベルトのノクターンがこんなにインドと合うとは思いませんでした。
アラン・コルノー監督のセンスに脱帽です。
名前の遊びとは主人公はロシニョル(仏語)と呼ばれていますが、これはルーシノル(ポルトガル語)、ナイチンゲール(英語)すべて夜鳴きウグイスのことです。
またグザヴィエは手紙で「夜鳴く鳥になりました」と書いています。
このように主人公はグザヴィエと同じ名前であることをにおわせています。
私はボンベイでタージマハルホテルの旧館のインド門の見える部屋に泊まり、エレファンタ島へ行きました。
5インド夜想曲
マドラスではホテルは違いますがカンチープラムとマハバリープラムへ行きました。
プリンスオブウェールズ博物館ではナタラージャ像を見ました。
9インド夜想曲
ゴアではカラングーテの浜、泊まりませんでしたがマンドヴィホテルを見学して、フォートアグアダホテル(本ではオベロイになっていますが、映画ではフォートアグアダホテル)に泊まり、主人公と同じプールサイドのレストランでロブスターを食べ、テーブルを移ってコーヒーを飲みました。
13インド夜想曲
グザヴィエのおかげでいつも遺跡見学が目的の旅でしたがインド旅行がより楽しくなりました。

8-2ウィジョヨクスモの花


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音楽の話 その65(細野晴臣)

ガンジーファ - 020
今回は高校の先輩、細野晴臣です。
大瀧詠一に続き、狭山のアメリカ村の自宅で録音したファーストアルバム「HOSONO HOUSE」をリリースしました。
即買いです。
1細野晴臣
解散後結成した「キャラメル・ママ」が参加し、フリーエンジニアの吉野金次も参加しました。
当時はヒッピー全盛でアメリカ村にコミューンを作り、住むのが当時のステータスでした。
この辺のことは村上龍の「かぎりなき透明に近いブルー」に書いてあります(福生ですが)。
ジャケットは本人の顔写真でとてもシンプルです。
タイトルの「HOSONO HOUSE」というロゴの色がとてもお洒落だと思いました。
8細野晴臣
早速A面です。
「ろっか・ばい・まい・べいびい」思わず顔がほころびます。
これぞ細野晴臣です。
ベースとギターの弾き語りです。
2曲目はカントリー調の「僕は一寸」、とても落ち着いたナンバーです。
3曲目は「CHOO CHOO ガタゴト」とても楽しいナンバーでツアーの状況がわかります。
4曲目は「終わりの季節」はMELODIANが大活躍です。
「冬越え」はクシャミです。
ホーンが入り楽しそうです。
2細野晴臣
B面は「パーティー」で始まります。
60年代はじめのホームパーティーの様子が目に浮かびます。
スージーが魅力的ですね。
2曲目は「福は内 鬼は外」節分とカリプソのコラボです。
3曲目は「住所不定無職低収入」ホーンとギターがとても良い。
「恋は桃色」は良いタイトルです。
いかにもシングルカットされそうな曲です。
他の人に提供しても良い曲です。
3細野晴臣
「薔薇と野獣」は個人的にとても好きな曲です。
歌詞も好きです。
「相合傘」は名曲ですね。
このアルバムからはアメリカ村が感じられるのです。
麻布や外苑の東京の空気ではないですね。
そして日本を意識したアメリカがあるのです。
ここに長く住み続けるのではなく、すぐに都心に戻るところが細野的で好きです。
そして船に乗り洋行するのです。
トロピカルダンディはなんとグレンミラーの「CHATTANOOGA CHOO CHOO」で始まります。
5細野晴臣
2曲目は映画「ハリケーン(Hurricane)」をイメージして作られた「HURRICANE DOROTHY」です。
南国ムード溢れ最高です。
3曲目は「絹街道」です。
チャイニーズ的でシルクロードを旅している感じですかね。
いいですね「熱帯夜」は。
この感じ最高です。
ミネソタの卵売りですか。
4細野晴臣
A面最後は「北京DUCK」です。
最高傑作です。
フルートが素敵です。
異国ムード漂う横浜元町でアヒルが逃げ回ります。
B面1曲目は「漂流記」です。
筏で漂流している感じがよく出ています。
2曲目は「HONEY MOON」です。
「三時の子守唄」は弾き語りです。とても良い曲です。
「HOSONO HOUSE」に入っていてもおかしくありません。
「三時の子守唄 (Instruments」はとても上手なアレンジでまるで映画のサントラです。
「漂流記 (Instruments)」もボーカル入りより好きです。
B面の編曲に顔を出す矢野誠がとても気になります。
7細野晴臣
このアルバムはジャケットにつきます。
ヤギヤスオのイラストは芸術です。
プロコルハルムのソルティドッグにインスパイアされていることは間違いありません。
ハリー細野の顔だけでも買う価値があります。
ハリーにトロピカルはよく似合う。


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気になる話 その24 天正遣欧少年使節

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中学校の授業で天正遣欧少年使節が出てきたときは、妙に興奮したのを覚えています。
まず天正10年(1582年)という時代、自分と変わらない13〜14才という子供達、スペイン、ポルトガルというヨーロッパの世界、キリシタンという言葉、そして何より一番インパクトがあったのは伊東マンショ・千々石ミゲル・中浦ジュリアン・原マルチノと呼ばれる子供達の名前でした。
<1586年にドイツのアウグスブルグで印刷された天正遣欧使節の肖像画 右上・伊東、右下・千々石、左上・中浦、左下・原、中央・メスキータ神父>
天正遣欧少年使節3
もちろんすぐに暗記して今もすぐに出てきます。
しかし彼らの置かれた立場や、その後のことがわかっていません。
今一番興味のあるペトロ・カスイ・岐部とのリンクもありますので調べてみました。
<いわゆるパスポート>
天正遣欧少年使節2
まず目的です。
これは日本におけるキリスト教の布教とその布教のための資金をローマ教皇やイエズス会の地元であるスペインやポルトガルから得るためでした。
企画したのはヴァリニャーノ神父です。
パトロンは大友宗麟・大村純忠・有馬晴信のキリシタン大名です。
<大友宗麟>
天正遣欧少年使節大友宗麟
少年たちにキリスト教と西洋文明は素晴らしいという認識を持たせ、日本にキリスト教を広めようとしたのです。
少年達はセミナリヨというイエズズ会によって設置されたイエズス会司祭、修道士育成の神学校で学ぶ生徒の中から選ばれました。
4人ともキリシタン大名の名代で大名の縁者でした。
伊東マンショは主席正史、千々石ミゲル正史、中浦ジュリアン副史、原マルチノ副史、そのほか修道士2人、神父3人、技術習得のための留学生2人が随行していました。
天正十年長崎を出港しマカオで風待ちをし、マラッカを経てインドのゴアへ向かいます。
天正遣欧少年使節map2_pc
当時のゴアはキリスト教の重要拠点で今もザビエル神父が眠っています。
ポルトガルの首都・リスボンに着いたのは、1584年(天正十二年)の8月のことです。
<当時のリスボン>
天正遣欧少年使節当時のリスボン
当時の日本人、まして少年たちには過酷な船旅だったと思います。
ポルトガルやスペインの関係者たちとの謁見も肉体的、精神的に大変だったと思いますが、全く違う世界ですから好奇心も相当なものだったでしょう。
そして地中海経由でイタリアへ向かいます。
天正遣欧少年使節イタリア国内の行程図のコピー
ピサの街ではトスカーナ大公フランチェスコ1世・デ・メディチに謁見、大公妃主催の舞踏会に参加したり、キリスト教の行事に参加したりして、フィレンツェにも数日間滞在しました。
ついにローマで教皇グレゴリウス13世に謁見しました。
<天正遣欧少年使節伊東マンショとグレゴリウス13世の謁見の場面>
天正遣欧少年使節伊東マンショとグレゴリウス13世の謁見の場面
その後イタリアの諸都市を回りリスボンから再びゴアを目指し帰国の途に就きます。
8年もの歳月を経て天正18年(1590年)帰国します。
彼らは見聞のほか活版印刷機や西洋楽器、海図などを持ち帰ります。
天正遣欧少年使節1

しかし彼らを待ち受けていた日本の状況は変わっていました。
秀吉によってバテレン追放令が出され、世間的にキリスト教が歓迎されない状況になっていました。
伊東マンショは信仰を保ち司祭になり、長崎のコレジオ(セミナリヨの上の神学校)の教師になって1612年に病死しました。
<伊東マンショの肖像 ドメニコ・ティントレット筆 イタリア1585年>
天正遣欧少年使節伊東マンショの肖像 ドメニコ・ティントレット筆 イタリア1585
中浦ジュリアンも司祭になり、江戸時代になって弾圧が激しくなってからも九州各地で教えを説いていました。
しかし幕府によって捉えられ、一番苦しい穴吊るしの刑によって処刑されました。
原マルチノは司祭になった後、キリシタン追放令に従ってマカオで日本語の本を出版したり洋書の翻訳をしたりしてマカオで亡くなりました。
千々石ミゲルはヨーロッパのキリスト社会において、奴隷や植民地支配など見て、キリスト教への疑問を持ちます。
その疑問は帰国後も消えず棄教の道を選びます。
最近の研究では本当に棄教したのか疑問視されています。
この4人の運命は誠に数奇なものです。
歴史にもしはありませんが、信長が長生きをしていたらどのようになっていたでしょうか。
次回は同じ時代に生きたペトロ・カスイ・岐部です。

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寺院の彫刻 その69(シヴァ19ナンディに乗るシヴァとウマー)

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今回はシヴァの乗り物(ヴァーハナ)ナンディに乗るシヴァとウマー(パールヴァティー)の彫刻を見てみます。
シヴァの乗り物ナンディは乳海攪拌の時に生まれた牝牛スラビーと聖仙カシュヤパの子です。
<バトゥ洞窟に描かれたスラビー>
1−1バトゥ洞窟に描かれたスラビー
牡牛はシヴァの乗り物、牝牛はクリシュナのゆかりの動物ですのでインドでは牛をとても大事にします。
牛は農作業に大事ですし、乳からは牛乳、ヨーグルト、バター、チーズが取れ、糞は燃料になります。
<タンジャブールのカーヴェリ川にかかるダムにあるスラビー>
1タンジャブールのかーヴェリ川にかかるダム
そして牛殺しは犯罪で禁固5年です。
したがって野良牛が増え、牛だらけです。
ナンディの彫像もいたるところにあります。
単独で祀られている場合もありますが、シヴァ寺院の正面に向かい合うようにしてナンディの像が祀られています。
<ALAMPURのSANGAMESHWARA寺院>
1−2ナンディ
また寺院の中に安置されている場合もあります。
シヴァ・ファミリーの彫刻では必ず彫られています。
今回はこのナンディに乗るシヴァとウマーを探します。
寺院ではありませんが、グプタ期の彫刻がデリー博物館にあります。
2グプタ
ガネーシャやスカンダも一緒のシヴァファミリーです。
アランプールの博物館にも8世紀のナンディに乗るシヴァとウマーがあります。
素晴らしいのは二人とも笑顔なのです。
まるで写真を撮ってもらっているようです。
3アランプール博物館
こんな嬉しそうな彫刻は見たことがありません。
南インドのチャールキア王朝の寺院ではポーチやマンダパ(前殿)の天井に見つかります。
NAGRALのNAGANATHA寺院は7世紀中頃の建立です。
マンダパの天井にダイナミックなナンディに乗るシヴァとウマーの彫刻があります。
4NAGRAL
隣のMAHAKUTAにあるMALLIKARJUNA寺院の天井にもNAGANATHA寺院とよてもよく似た彫刻があります。
5MALLIKARJUNAマハークータ
MAHAKUTAのMAHAKUTESHVARA寺院の基壇にもナンディに乗るシヴァとウマーの彫刻があります。
みんな楽しそうです。
6MAHAKUTESHVARA.jpeg
AIHOLEにあるHUCHAPPAYYA MATHA寺院の天井にも7世紀後半のナンディに乗るシヴァとウマーの彫刻があります。
とても賑やかでミュージシャンやダンサーがいます。
その中にカーライッカル・アンマイヤールも踊っています。
7HUCHAPPAYYA MATHA
PATTADAKALにある8世紀のPAPANATHA寺院の壁龕はラーマーヤナの彫刻で有名ですが、ここにもナンディに乗るシヴァとウマーの彫刻があります。
残念なことに二人とも首から上が破損しています。
どうもウマーは息子のスカンダを抱いているようです。
8PAPANATHA.jpg
同じPATTADAKALのKADASIDDHESHVARA寺院(8世紀)はシヴァ神のリンガを祀っており、祠堂の入り口の上部中央にナンディに乗るシヴァとウマーが左右にヴィシュヌとブラフマーが彫られています。
9KADASIDDHESHVARA
BADAMIの石窟寺院CAVE-1の側壁に彫られたドゥパーラパーラの上部にもあります。
とても控えめに彫刻されています。
10バーダーミ1
少し時代が下った12世紀のホイサラ朝の寺院にも見られます。
HALEBIDのHOYSALESHWARA寺院(12世紀中ごろ)の壁面にホイサラ朝独特の意匠によるナンディに乗るシヴァとウマーが彫られています。
11hoysaleshwara-2(HALEBID)
KEDARESHWARAにも同じ意匠のナンディに乗るシヴァとウマーがあります。
12KEDARE033.jpeg
GADAGにある後期チャールキア朝のSARASVATI寺院(12〜13世紀)の柱にもナンディに乗るシヴァとウマーが見つかりました。
13sarasvati.jpg
ナンディに乗るシヴァとウマーの彫刻は迫力に欠けるので寺院でもあまりメインなところには彫刻されていませんがヒンドゥー神話の彫刻の中ではとてもほっこりしていて私は好きです。

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