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映画の話 その65(ウィズネイルと僕)

102ユディスティロ
ブルース・ロビンソン監督の1987年のイギリス映画です。
イギリスでは大評判になりましたが、日本では1991年に短期間上映されただけでした。
2014年にDVD化されました。
1ウィズネイルと僕
舞台は60年後半、スウィンギングロンドンからヒッピーのアメリカ西海岸に注目が集まった時代のロンドンです。
モッズ終焉のロンドンです。
1969年ロンドンのカムデンタウンのフラットに住む二人の
売れない役者、ウィズネイル(リチャード・E・グラント)と
僕(ポール・マッギャン)はエージェントに頼んで仕事を探していますが代役や端役などの仕事しかこないのでまったく働いていません。
失業手当で暮らしていますがすべてお酒とドラッグでなくなってしまいます。
少し幻覚も見えてきます。
こんな状況から抜け出すためにウィズネイルの叔父モンティの湖水地方にある別荘へ行くことにします。
2−1ウィズネイルと僕
ボロボロのジャガーで大雨の中ボロボロの別荘につきます。
とても寒くて薪集めからしなくてはなりません。
それから食事の調達もです。
隣の農家の人に助けてもらい、なんとか生活していると叔父のモンティがやってきます。
実は叔父はゲイで僕のことを狙っていました。
3−1ウィズネイルと僕
何とか難を逃れてロンドンにもどりますとフラットには友人の麻薬密売人と見知らぬ黒人が住んでいました。
またドラッグと酒浸りの日々です。
4−1ウィズネイルと僕
そんな時エージェントから大役のオーディションの話が来て見事役を勝ち取りました。
演劇学校を出て人一倍プライドの高いウィズネイルは嫉妬します。
これを機にフラットからはなれ、ウィズネイルと別れる決心をした僕は髪を切り荷物をまとめフラットを出ます。
何とウィズネイルは僕を見送ってくれました。
6−1ウィズネイルと僕
雨の中二人で駅に向かい公園で別れます。
別れた後ウィズネイルは公園の狼の檻の前で狼を聴衆にしてハムレットを演じるのでした。
7−1ウィズネイルと僕
とても好きな映画です。
1969年という時代設定が最高です。
世界で価値観が変わった時代です。
二人のファッションが最高です。
ウィズネイルのモッズ風ファッション、僕のださいファッション、ウィズネイルのパンツ一丁で全身にクリームを塗ったファッション、二人のボロボロの下着、麻薬の売人のファッションなど最高です。
8−1ウィズネイルと僕
ミニではなくジャガーのボロボロの車を使うセンス、伯父さんのオープンのロールスロイスなど車のセンスが最高です。
やはりウィズネイルのリチャード・E・グラントの演技が光ります。
9−1ウィズネイルと僕
カリスマ的かっこよさです。
以前お話ししたクリストファー・リー2世です。
ダメ男なのに最初からシェークスピア役者の雰囲気がします。
それは最後のシーンで確認出来ます。
オオカミ相手に演じるハムレットは映画史上に残る名シーンです。
この映画には女性が1人も出てきません(役として)。
それも素晴らしい演出だと思います。
5−1ウィズネイルと僕
音楽も所々でシーンを引き締めます。
イントロのインストロメンタル「青い影」、ジミヘンの「見張塔からずっと」「ブードゥー・チャイル」、ジョージの「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」などです。
決して表に出ず、音楽映画になっていない所も素敵です。
ジョージ・ハリソンは若い芸術家やF-1レーサーなどのスポンサーになり、この映画も自分の映画会社「ハンドメイドフィルム」の作品です。
監督のブルース・ロビンソンはこの映画が第一作目で半自伝的な脚本を書きました。
イギリスのユーモア、アイロニーが揃った青春映画の名作です。
さらば青春の光」とともに。

8-2ウィジョヨクスモの花


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寺院の彫刻 その67(シヴァ17 ビクシャータナ 遊行出家者としてのシヴァ)

PANATA126.jpeg
今回はビクシャータナ つまり遊行出家者としてのシヴァの話です。
「ある時、シヴァ神は僧侶を殺していまい、シヴァの手からは死んだ僧侶の頭蓋骨が落ちなかった。
僧侶殺害は犯してはならない大罪であり、神ですらその罪から逃れることができない。
シヴァは過ちの身を清めてくれる者を求め、出家者の姿で遊行の旅に出た」という話で、一般的にシヴァは従者として鹿と矮人を伴い、頭蓋骨の鉢を手に裸体の遊行者として描かれます。
1−1大英博1
足はパドゥカ(木製サンダル)を履くか裸足です。
右膝のすぐ下のひもで結ばれた小さな鐘が彫刻されていることもあります。
周囲にはシヴァを崇拝している女性達が囲っています。
この条件を満たしている彫刻がGANGAIKONDACOLAPURAMにあるBRIHADISHVARA寺院(11世紀)の壁龕にあります。
1G-BRIHADI - 008
中央に鹿と矮人を連れパドゥカを履き右足の足首の上に鐘をつけています。
そして壁龕の左右には美しい女性崇拝者が掘られています。
DARASURAMのAIRAVATESHVARA寺院(12世紀後半)にも ビクシャータナがありますが、出来が良くありません。
2AIRAVATE - 68
TANJAVURのBRIHADISHVARA寺院(1010年)の壁龕にもとてもオーソドックスなビクシャータナ 像があります。
壁龕の左右には矮人と女性崇拝者が掘られています。
3RAJARAJE - 030
KANCHIPURAMのKAILASANATHA寺院(8世紀初め)です。
ワイルドな髪型でパドゥカを履いています。
足元にはシヴァを崇拝する女性達です。
左上にはこれを良しとしない賢者が拳を振り上げています。
シヴァは涼しい顔です。
4KAILASA2 - 022
同じKANCHIPURAMのIRAVATANESHWARA寺院(8世紀初め)です。
こちらも女性崇拝者達に囲まれたシヴァをよく思わないリシが拳を振り上げています。
5IRAVATA - 08
MAMALLAPURAMのDHARMARAJA RATHA(7世紀)のビクシャータナ はとてもシンプルです。
6DHARMA016 2
SRINIVASANALLURにあるKORANGANATHA寺院(10世紀)の彫刻は優れています。
ビクシャータナ も掘られていますが残念なことに、右足が折れています。
しかしパドゥカは残っています。
6KORANG - 08
PATTADAKALのVIRUPAKSHA寺院(8世紀)のシヴァは裸足です。
7VIRUPAKSHA
ALAMPURのSANGAMESHWARA寺院(6世紀)のシヴァはシンプルで勃起しています。
8SANGAMESHWARA
PUDUKKOTTAIにあるTHIRUKKATTALAI寺院(9世紀)の屋根にビクシャータナ が彫刻されています。
鹿を連れ勃起しているように見えます。
足にはパドゥカを履いているようです。
9Thirukkattalai-11.jpeg
東インドのBHUBANESWARにあるPARASURAMESHWAR寺院(7世紀)のビクシャータナ はシヴァ に施すアンナプルナ女神が彫刻されています。
シヴァは裸足で従者を連れて性器は勃起しています。
10PARASURAMESHWARシヴァ に施すアンナプルナ
同じBHUBANESWARにあるMARKANDEYESHWAR寺院(7世紀)にもあります。
ビクシャータナ はとても崩壊がひどいのですが、わずかに残る鹿と矮人でわかります。
11Markandesvara-009.jpeg
LAKKUNDIにある後期チャールキア朝のSURYA寺院(12世紀)でも見つかりました。
6腕で鹿を連れています。
パドゥカを履いているようです。
12Lakkundi-182.jpeg
12世紀の素晴らしいブロンズ像がNAYAK PALACE ART MUSEUMにあります。
4腕でパドゥカを履き、右膝のすぐ下のひもで結ばれた小さな鐘もついています。
13NAYAK PALACE ART MUSEUM

ビクシャータナは南インドが中心です。
北や西では見かけませんでした。

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石の巡礼 その14(猿石)

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今回は奈良県高市郡明日香村の吉備姫王墓内にある奇石、猿石です。
1吉備姫王墓
以前ホームページの「うめがおか」遺跡の旅XXXⅣ「奈良県の石像物2」の中で紹介しました。
1702年(元禄2年)に梅山古墳の付近にあった平田村池田という場所の田んぼから掘り出されて古墳の南側に置かれていたが、明治初年ごろに現在の場所に移されたらしいことがわかっています。
現在は吉備姫王墓内に4体、高取城への登山道の途中にも猿石と呼ばれる石像が1体置かれています。
4体は王墓内にあるため観察しづらいので、よく出来たレプリカが奈良文化財研究所飛鳥資料館の庭にあるのでそちらを観察します。
2飛鳥資料館

第1石は「女」と呼ばれ表はカエルの様な顔あるいは爬虫類のような顔で乳房があり、裏はくちばしの尖ったカッパの様です。インドのガルーダ(迦楼羅天)のようでもあります。
3女 4女裏
第2石は「山王権現」と呼ばれ表は鬼のような忿怒の顔で性器を露出させており、裏も鬼(怪物)のようであるが焔髪です。
5山王権現 6山王権現裏
第3石は「僧・法師」と呼ばれ表は猿の様な老人、裏は背骨だけが彫られています。
もしかすると彫刻の途中かもしれません。
7僧 8僧裏
第4石は「男」と呼ばれ表は布袋の様で笑顔です。
性器を露出させています。
裏は背中を丸めて座り込んでいるようで顔は忿怒の形相です。
9男 10男裏







高取城の猿石は一番猿に似ています。
裏にも何か掘ってありますがよくわかりません。
11高取の猿石 12高取の猿石裏
もう一つ飛鳥坐神社の境内に塞の神といわれる石造物があります。
この像も猿石の女にとてもよく似ていますので関連がうかがわれます。
13飛鳥坐神社
猿石は何時、誰が、どこで、何の目的で作られたのかは不明です。
わかっているのは花崗岩で作られ、他の飛鳥の石造物と同じなので恐らくこの近辺で作られたのだど思われます。
時代も新しいものではなく、5〜7世紀ぐらいではないかと思います。
作った人は渡来人が有力です。
私もこの猿石に似た石造物を韓国の百済の弥勒寺跡で見たからです。
14彌勒寺址
私が見た時には修復中で基壇しか出来ていませんでしたが、その基壇の四隅に猿石の「僧」によく似た石造物が配置され、両手を合わせた形が全く同じなのです。
15彌勒寺址2
この像とよく似た石造物が飛鳥資料館の中庭にあります。
16飛鳥資料館
従って私が考えた推測は渡来人が塔や建物あるいは古墳の周りに安置し外部から邪悪なものの侵入を阻止するための結界石のようなものではないかと思います。
しかし謎は残ります。
百済の弥勒寺跡の石造物はみんな同じ形であったと思います。
そして裏側の彫刻もなかったと思います。
飛鳥の猿石の裏面の彫刻(どちらが表かわかりませんが)の謎、種類の多さ(統一性がない)の謎、そのほかの石造物、亀石、橘寺の2面石、高取町の石頭石などとの関係も謎です。
とにかくミステリアスの石造物ですが、謎を解く鍵は韓国にあるような気がします。
それにしても飛鳥は楽しい!

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音楽の話 その62(はっぴーえんど)

ガンジーファ - 023
ムッシューの次に買った日本人ミュージシャンははっぴーえんどです。
私はフォークが好きではありません。
ある日従兄弟が「ゆでめん」を熱心に勧めるのです。
はっぴーえんど4
従兄弟は音楽に対して非常に厳しく、ミュージシャンの音楽に対する姿勢、聞く側には真摯に向き合って聞くことを要求します。
私のように音楽と思い出をリンクさせることはもっての外です。
岡林信康のバックをしたりしているのでフォークの人たちと思っていましたがとりあえず「ゆでめん」を購入。
ジャケットは林静一のイラストでまるでガロです。
左下に長髪のパッとしない4人が写っています。
はっぴーえんど1
まずはA面に針を落とします。
タイトなファズギターの音で「春よこい」が始まります。
ロックだ!と興奮しているとガロ的な歌詞で大瀧詠一のボーカルが入ります。
細野晴臣のベースが素晴らしい。
一曲目にふさわしいインパクトのある曲です。
はっぴーえんど2
2曲目は松本隆の歌詞が面白い「かくれんぼ」です。
何か秘密めいた意味深な曲です。
大瀧詠一のボーカルは味があります。
「しんしんしん」はバッファロースプリングフィールドのような曲です。
細野晴臣の曲で、都会の風景描写が素晴らしい。
とても演奏が硬いように思われます。
「飛べない空」はプロコルハルムを意識しているようです。
「敵タナトスを想起せよ! 」もこのアルバムでは細野晴臣は気負いすぎて硬さが取れません。
それが魅力でもあるのですが。
はっぴーえんど3
B面は「あやかしの動物園」から始まります。
「12月の雨の日」は傑作です。
「いらいら」は作詞、作曲は大瀧詠一です。
本当にイライラしているのが伝わってくる曲です。
閉塞感が充満していますが、そのまま繋がる「朝」が素晴らしい。
歌詞と曲が見事にマッチしています。
「はっぴいえんど」はその時代を表しています。
「続はっぴーえんど」はよくわかりません。
聴き終えてこのアルバムはとてもウエットなアルバムだと思いました。
一部には嫌いな四畳半フォーク的なものも感じましたが、それが調味料になっていることも確かです。
「かくれんぼ」がまさにそうです。
「かくれんぼ」と「12月の雨の日」「朝」は名曲です。
このアルバムに関しては、松本隆+細野晴臣よりも松本隆+大瀧詠一の方が出来が良いように思われます。
はっぴーえんど5
私が特に興味を感じたのは「下記の方々の多大なる御援助に深く感謝したい 敬称略・順不同」です。
これは「Buffalo Springfield Again」で影響を受けたミュージシャンの名前を載せているのに影響されたのだと思います。はっぴいえんどの場合はミュージシャンだけでなく、小説家、思想家、映画監督、写真家、漫画家、落語家など影響を受けた人や好きな人を載せています。
かなりの人が私の好きな人とダブります。
ミュージシャンではバッファロースプリングフィールドやバンド、プロコルハルムなどバンドのメンバーが載っています。意外なのが The Fifth Dimension、Cicago, Bee Gees,などです。
4人のうち誰がどの人を載せたのか興味は尽きません。
とても荒削りなアルバムですが日本の音楽界に与えた影響は計り知れません。
余談ですがタワー下の教会のパーティーではっぴーえんど結成前のフローラルの演奏を聴きました。
記憶が定かではありませんが、ジミヘンをやっていたようでした。
サイケっぽいバンドだった気がします。

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映画の話 その64(八月の鯨)

101ヨモウィドゥロ
今回はリンゼイ・アンダーソン監督の「八月の鯨」です。
1八月の鯨
大好きなリンゼイ・アンダーソン監督は20年前に反体制の若者を主役にした「If...」や「O Lucky Man!」を撮りましたが、今回はなんと93歳のリリアン・ギッシュ(リビー)と79歳のベティ・ディヴィス(サラ)が姉妹で主役です。
なんとそれに絡むヴィンセント・プライス(マラノフ)は75歳、アン・サザーン(ティシャ)77歳です。
嬉しいことに音楽はアラン・プライスです。
オープニングはメイン洲の小島、セピアの画面、ボートに乗った青年が魚の仕掛けをおろす。
島の上の別荘から三人の娘(サラ、リビー、ティシャ)が鯨を見に駆け出してきます。
そして色が付きカラーに代わり同じ別荘でおばあさんのサラが洗濯物を干している所から始まります。
2八月の鯨
サラとリビーの姉妹は60年来、夏ごとにメイン川の小さな島にあるサラの別荘にやって来ます。
8月になると入江に鯨が来るので、少女の頃、よく幼なじみのティシャと三人で鯨を見に行きました。
リビーは、第1次世界大戦でサラの若い夫が死んだ時、サラの面倒を見ましたが、目が不自由になり、娘との仲も悪くなり、今度はサラが面倒を見ることになります。
3八月の鯨
リビーは徐々に偏屈になり、幼馴染みのティシャや修理工のヨシュア、近くに住むロシア移民のマラノフらが訪ねてきても、リビーは無関心を装い辛辣な皮肉を言います。
ある日、マラノフが釣った魚を持ってくるとサラは「魚をさばいてくださるならご招待しますわ」とマラノフを夕食に招待します。
リビーは「あの人の魚なんかドブ臭いわ」と言って1人ポークチョップを食べます。
楽しい夕食でしたが、マラノフは、リビーのトゲのある言葉に傷つき、腰をあげます。
サラは姉のことを詫び、「貴方は1人かも知れないけれど、自由でうらやましいわ」というと、貴方はロマンチストだと笑ってマラノフは帰っていきました。
リビーも反省し、サラと仲良くやっていこうとヨシュアが勧めていた、海が見渡せる大きな窓を別荘の居間の壁に取り付けることにしました。
そしてある朝、サラと手をつなぎ鯨を見に行くのでした。
リリアン・ギッシュとベティ・ディヴィスの演技に脱帽です。
性格俳優の演技は恐ろしいです。
この二人を起用したリンゼイ・アンダーソン監督に拍手です。
すごいのはこの二人の顔、手、足、特に髪の毛のアップがとても多いのです。
4八月の鯨
どうしてこれだけの高齢で台詞を覚え、完璧に演技出来るのでしょうか。
二人がとても美しく、可愛いのです。
余談ですが怪奇映画好きの私としてはヴィンセント・プライスの出演は涙ものです。
アランプライスの音楽も控えめでとても好感が持てます。
9八月の鯨
果たして誰かな?

6八月の鯨 5八月の鯨のコピー
8八月の鯨 7八月の鯨のコピー

リンゼイ・アンダーソンはやはり素晴らしかった。

8-2ウィジョヨクスモの花

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気になる話 その21 チョリー・アトキンス

サンチ−2塔042
チョリー・アトキンス(Cholly Atkins)が89歳で亡くなりました。
チョリー・アトキンスて誰?ほとんどの人は知らないと思います。
知っている人はものすごいR&B好きです。
1ChollyAtkins.jpg
チョリーはソウルの振付師でモータウン、アトランティックのボーカルグループのほとんどを手がけています。
私が16歳ごろはR&B全盛でテンプテーションズの「マイガール」の振り付けに憧れていました。
特にモータウンは色々な部署に専門家を集めて田舎臭くならないように、洗練されたタレントを作り上げました。
作詞・作曲ではスモーキー・ロビンソン(Smokey’ Robinson)、ホーランド=ドジャー=ホーランド(Holland-Dozier-Holland)、演奏ではベースのジェームス・ジェマーソン(James Jamerson)、ドラムのベニー・ベンジャミン(Benny Benjamin)、ピアノのアール・ヴァン・ダイク(Earl Vandyke)を中心とするファンク・ブラザースをそして振り付けにはチョリー・アトキンスをスタッフに揃えました。
<チョリー・アトキンスとフォー・トップス>
2Cholly Atkins, left, rehearsed with the Four Tops
チョリーが振付を手がけたのはグラディス・ナイト&ピップス、コントゥアーズ、テンプテーションズ、フォー・トップス、マーサ&ヴァンデラス、スプリームス、マーヴィン・ゲイ、ミラクルズなど数え切れません。
<チョリー・アトキンスとアレサ・フランクリン>
3ChollyAtkins.png
最近もオージェイズに振付をしていたそうです。
<チョリー・アトキンスとシュープリームス>
4シュープリーム
チョリーは1913年(大正2年)9月30日アラバマ州プラットシティー生まれで10歳のときに、チャールストンのコンテストで優勝したことをきっかけにタップダンサーとしての道を歩み始めます。
1929年までにアトキンスはバッファローのカフェなどで「シンギング・ウエイター」として評判を得るようになり、いくつかのダンスユニットなどを結成します。
1940年代から50年代にかけてハニー・コールスと「コールス&アトキンス」というダンサーとして活躍、ライヴショウ、映画、テレビなどで一世を風靡。
<コールス&アトキンス>
5ホニー・コールズとチョリー・アトキンス2
彼らはカウント・ベイシー、キャブ・キャロウエイ、ルイ・アームストロングなどのバンドでも踊りました。
その後彼はダンススクールでダンスを教えたりしていましたが、ドゥワップグループ、キャデラックスの振り付けをてがけたことを機に、R&B系のアーティストの振り付けを担当することになります。
<キャデラックス>
6THE CADILLACS
キャデラックスへの振り付けは「ヴォーカル・コレオグラフィー」というまったく新しいジャンルを開拓、以後のR&Bグループの振り付けの基盤となりました。
チョリーの振付は優雅で洗練された動きが人気です。
1989年には振り付けを担当したミュージカル『ブラック&ブルー』でトニー賞を受賞しています。
チョリーがいなければR&Bブームも違ったものになっていたかもしれません。
7Cholly_Atkins-1.jpg
ディスコも楽しくなかったでしょう。
ご冥福を祈ります。

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