2018/07/28
映画の話 その48(ヴェニスに死す)

この映画は高齢者が見るべき映画です。
原作は10代後半に読みました。
トーマス・マンは読みやすく、三島由紀夫も絶賛していたので、ヘッセの「荒野の狼」カミユの「異邦人」ラディゲの「肉体の悪魔」とともにマンの「トニオ・クレーガー当時はトニオ・クレーゲル」は愛読書でした。
「ヴェニスに死す」は少しかったるい小説でしたがヴィスコンティが監督した映画でしたので、見に行きました。
オープニングからヴィスコンティ全開です。

冒頭から厳かに流れ来るグスタフ・マーラーの交響曲第5番第4楽章が重要です。
映像と音楽のコラボレーションでこれから起こることを暗示させます。
静養のためベニスを訪れた老作曲家アシェンバッハ(ダーク・ボガード)は、ふと出会ったポーランド貴族の少年タジオ(ビョルン・アンドレセン)に理想の美を見出す。

以来、彼は浜にタジオを求めて彷徨う。
ある日、ベニスの街中で消毒が始まる。
尋ねると、疫病が流行しているのだという。
理髪店で白髪を染め、髭を整え、おしろいを塗り、口紅を施して若作りをし、タジオの姿を求めてベニスの町を徘徊していたあるとき、彼は力尽きて倒れ、自らも感染したことを知る。

それでも彼はベニスを去らない。
疲れきった体を海辺のデッキチェアに横たえ、波光がきらめく中、彼方を指差すタジオの姿を見つめながら死んでゆく。

さすがヴィスコンティと思えるのがヴェニスの風景描写です。
観光都市ヴェニスが全く美しくなく、薄汚いのです。
天気はほとんど曇りです。
主役のリド島のホテル・デ・バンのロケは閉鎖時期を利用して徹底的に当時のままに作り替えました。
もちろんヴィスコンティのセンスで、です。
これがまた完璧です。
ホテル内は紫陽花の花が至る所に置かれています。
そして名優ダーク・ボガードの演技と、よくぞ探したビョルン・アンドレセンの美しさ、シルバーナ・マンガーノの気品です。
伏線も素敵です。
行きの船で出会うお化粧をほどこした醜い老人、ヴェニスの街で見かけたコレラで倒れこむ男性、全く同じ事がアッシェンバッハの身に起こります。
ラストの映像の美しさなども感激しました。
今自分が高齢者になりこの映画を見直して気づいたことはアッシェンバッハに感情移入をしている自分です。
高齢になり思うように動かない体(もちろん性欲も)、些細なことに腹をたてる自分、世間の動きについて行けない頭、それが恋をすれば相手が男であっても女であっても子供であってもアッシェンバッハの様になる可能性は大です。
それは時間が経たなければわからない感情です。
したがってこの映画は高齢者の映画と結論づけました(若い時と2度見るのが良い)。

「けれども彼自身は、海の中にいる蒼白い愛らしい魂の導き手が自分にほほ笑みかけ、合図しているような気がした。少年が、腰から手を放しながら遠くのほうを指し示して、希望に溢れた、際限のない世界の中に漂い浮んでいるような気がした。すると、いつもと同じように、アシェンバハは立ち上がって、少年のあとを追おうとした。椅子に倚って、わきに突っ伏して息の絶えた男を救いに人々が駆けつけたのは、それから数分後のことであった。そしてもうその日のうちに、アシェンバハの死が広く報道されて、人々は驚きつつも恭しくその死を悼んだ 」
トーマス・マン / 原作、高橋義孝 / 訳 新潮文庫より

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