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石の巡礼 その25(庚申塔)

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庚申塔とは庚申信仰に基づくもので、この信仰は平安時代に貴族社会で始まり、室町時代から武士階級に広まり、江戸時代に庶民の間で大流行しました。
庚申信仰の庚申(かのえさる、こうしん)とは干支(かんし、えと)すなわち十干・十二支の60通りある組み合わせの1つであります。
中国の道教では人に潜む三尸(さんし)の虫は庚申の夜、人が眠りにつくと天に昇り、天帝にその罪を告げ、天帝は罪の軽重に応じてその人の寿命を決めて行くと言われています。
ちなみに三尸の虫とは上尸は頭、中尸は腹、下尸は足に潜んでいます。
1三尸の虫
そしてこの三尸が抜け出さないように寝ないで夜を守れば長生きが出来ます。
それが全国的に広がり各地域で講が出来るようになります。
村人や町人が集会所などに集まり詠歌や念仏を唱えて朝が来るのを待ちます。
これを庚申待ちと言います。
そのうち食べ物やお酒を持ち寄って酒宴が始まるようになったと思われます。
禁忌事項もあります。
この日は洗濯、裁縫、夜業、髪結い、山や漁に出ること、夫婦の営み、なども禁止です。
庚申の日は60日ごとに回ってくるので年に6回ありますが、年によっては5回、7回のときもあります。
3年間に18回庚申待ちをおこなうと庚申供養のため石塔を造立しました。
これが庚申塔です。
庚申塔には文字だけのものと神や仏を彫ったものがあります。
一番ポピュラーなものは青面金剛を主尊として彫ったものです。
青面金剛は阿弥陀如来集経・第九によると三眼の憤怒相で四臂、それぞれの手に、三叉戟(三又になった矛のような法具)、棒、法輪、羂索(綱)を持ち、足下に二匹の邪鬼を踏まえ、両脇に二童子と四鬼神を伴う。一般には、足元に邪鬼を踏みつけ、六臂(二・四・八臂の場合もある)で法輪・弓・矢・剣・錫杖・ショケラ(人間)を持つ忿怒相で描かれることが多いとあります。
2青面金剛
これらの儀軌を備えた庚申塔はあまりありません。
その中でもこれらの条件を満たした保存状態の良い庚申塔があります。
埼玉県にある吹上観音の境内にある庚申塔は3段になっていますが全て掘られています。
3吹上観音1
まず青面金剛です。
庚申塔の上部には日輪と月輪が左右に彫られています。
顔は1面で忿怒相です。
6臂で法輪・弓・矢・剣・錫杖(三叉戟)・ショケラ(人間)を持っています。
4吹上観音2 4青面金剛
持ち物の中で気になるのがショケラで上半身裸の女人像で頭髪をつかんでぶら下げられています。
この正体はよく分かりませんが髪を吊るされているので良いものではないと思われます。
足下の邪鬼は左右一匹ずつで2匹です。
仏像図彙によると二童子は右方童子(香炉を持つ)、左方童子と呼ばれ、正確に掘られています。
5吹上観音  

四鬼神(夜叉)は赤い是世滅法鬼神、青い諸行無常鬼神、黒い生滅滅巳鬼神、肉色の寂滅為楽鬼神です。
残念ながら石造のため色はついていませんが仏像図彙に近い内容で左右に2体づつ彫られています。
6吹上観音 7吹上観音
8−1是世滅法 8−2諸行無常
8−3生滅滅巳 8−4寂滅為楽
下部には朝鶏が鳴くまで続けるという意味と申の次の日すなわち酉の日になるまで籠るという意味でオス・メスの二鶏が彫られています。
9吹上観音
さらに見ざる・言わざる・聞かざるの三猿が彫られています。
10吹上観音
この関係は江戸時代に庚申信仰と比叡山の山王信仰が結びつき山王権化の使者が猿ということと、三猿を三尸の虫になぞらえ、「見ざる・言わざる・聞かざる」で、天帝に罪を報告させないという意味で彫られたようです。
庚申信仰は江戸時代に爆発的に流行し全国に広がりました。
従って多種多様のバリエーションの庚申塔が作られました。
あなたの住んでいるすぐそばにもひっそりと庚申塔は祀られています。

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石の巡礼 その24(鮭立磨崖仏)

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東北地方に磨崖仏はあまりありませんが、福島県だけは磨崖仏の宝庫です。
浜通りには平安後期の磨崖仏が、中通りには鎌倉時代の磨崖仏が見られます。
また県内には江戸時代に流行した西国三十三観音を彫った磨崖仏がいたる所に見られます。
今回訪れる磨崖仏は江戸時代のものですがとても変わった磨崖仏です。
場所は南会津の只見川のほとりにある銀山町横田にある鮭立という集落にあります。
ここに行くのはかなり大変です。
私は会津方面から南下して只見線に沿って行きました。
とても景色が素晴らしいところです。
鮭立14
只見線は2011年の新潟・福島豪雨災害でズタズタになりその後復旧しましたが、未だ横田を含む会津河口から只見の間は不通です。
鮭立磨崖仏は集落の南西の山麓にあります。
この辺りは日本一美味しい金山赤カボチャの産地で磨崖仏の周りはカボチャ畑です。
鮭立2
滅多に手に入らないのでお土産に買って帰りましょう(重くて邪魔になるが)。
鮭立1
この磨崖仏は天明の飢饉や天保の飢饉の惨状を見て、現在の岩淵家の祖先である修験者の法印宥尊とその子の法印賢誉が五穀豊穣と病魔退散を祈って彫ったと伝えられています。
鮭立3
石工が彫ったものでは無いのでとても稚拙ですが、それがとても良い味を出して不思議なムードを醸し出しています。
そこは浅く細長い洞窟で、中央部の壁面は壁全体が奥まった形に掘りこまれていて、その左面と正面に40体ほど像が刻まれています。
鮭立4
鮭立5
鮭立6
鮭立7
総数は51体です。
この辺りは豪雪地帯なので雪よけの覆いが前面にかけられています。
修験道の主尊の不動明王を中心に如来菩薩明王天部の各尊像が配置されています。
正面の中央には不動明王が龕の中に彫られており、左右には矜羯羅童子と制咜迦童子が彫られています。
鮭立8
その上下に摩滅が進んでわかりにくいのですが、他の6童子が彫られています。
左側には飯豊山神社を祀る祠になっていて龍頭観音・牛頭天王・梵天・釈迦三尊などが並んでいます。
鮭立9
左面の岩には鬼子母神・湯殿権現・深沙大将・九頭竜権現の比較的大きな像が並んでいます。
鮭立10
その右には、風神と雷神が並び、その右は4段に分かれて、荼枳尼天・淡島様・愛染明王・聖観音・渡唐天神・弁財天など諸像が所狭しと彫られています。
鮭立11
左面の右端は摩滅が進んだ尊名不明の像と飯綱権現が上下に並んで彫られています。
鮭立13
右側の岩には青面金剛・大黒天・水神・地天などが彫られていますが、中央の諸像よりは摩滅が進んでいるのでよくわかりません。
鮭立12
この磨崖仏は修験道で信心されていた尊像を数多く彫刻したもので、他では見られないものがあります。
所々彩色が残っているので当時はとても華やかだったと想像できます。
そして何より庶民の願いをこめた信仰の磨崖仏です。
このことが他の磨崖仏との大きな違いで、人々の祈りの声が聞こえてきそうです。

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石の巡礼 その23(常総の大日如来石仏)

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茨城県の南部にはとても変わった大日如来の石仏があります。
下妻・土浦・龍ヶ崎・常総あたりに分布し、全てが寛永期(1660年代)に彫られました。
この大日如来石仏はタイプの違う3種類に分けられます。
一つは胎蔵界大日如来で窪んだ両目と大きい鼻が特徴です。
もう一つは金剛界大日如来で鼻が高く立派に刻まれますが目や口は小さいのが特徴です。
三つ目は三尊形式で中央に天蓋と宝冠を戴く金剛界大日如来が蓮華座に座し、向かって左に火焔光に包まれた不動明王立像を、右に火焔光背を持つ三面六臂明王立像(降三世明王か)を彫刻する大日三尊です。
謎がいっぱいで特に胎蔵界大日石仏は全て法界定印の胎蔵界大日如来を刻み、大きな鼻と蓮華座、さらに蓮華座の下の三角紋様は全てに共通で全て一人の作者が彫ったように思われるほどよく似ています。
1つくば市西岡研修センター(胎蔵) 1−2つくば市島名686―1 入坪公民館
上部に線彫りの天蓋をつけ、左右に日輪・月輪を刻みます。
寛永2年(1625年)から8年に集中して作られ、9年以降は見つかっていません。
プリミティブで稚拙ですが、とても魅力的です。
とてもプロの石工が作ったとは思われず、銘の中に「湯殿山」の文字が見えるところから、湯殿山系の修験者が彫った可能性が高いと思われます。
大日如来石仏の中ではこの胎蔵界大日如来が約8割を占めます。
金剛界大日如来石仏はもっと複雑で水芭蕉の様な光背がつけられ、着衣は修験者のようで、右手上の智拳印、足は組んでいます。
2つくば市百家 観音寺(金剛) 2−2つくば市大曽根 根本運送裏
顔は鼻が高く立派に刻まれるが目や口は大きくありません。
上部には日輪・月輪を刻みます。
制作は素人ではなく石工と思われます。
大日三尊石仏は約10年遅れて出現します。
中央に天蓋と宝冠を戴く金剛界大日如来が智拳印を結び蓮華座に座し、向かって左側に火焔光に包まれた不動明王、右に火焔後輩を持つ三面六臂の降三世明王が彫られています。
3常総市本石下(三尊)のコピー 3−2つくば市上菅間(古宇田家)(三尊)
これらの像を見に行きますと、現在は宅地造成が盛んになり、焼失したり、移動させられています。
ある像はお寺に他の石像と共に祀られていたり、地区の集会所やセンターに保存されていたりします。
神社に祀られている像は下部を土に埋められ、場合によっては石や藁で龕を作り祀られています。
4つくば市吉瀬 鹿島神社 裏山(胎蔵)のコピー 5つくば市上広岡114番 八幡神社裏山のコピー
当時はどの様に祀られていたのかよくわかりません。
これらの像は大日塚と呼ばれる土が盛り上がった所から見つかる場合が多いのでこの塚の上に祀られていた可能性があります。
6牛久市島田町2116 大日塚(胎蔵) 6−26牛久市島田町2116 大日塚(胎蔵)のコピー
その時、龕を作り祀られていたかどうかはわかりません。
地域によっては「アナグラ様」と呼ばれ龕を作り、ほとんど埋められ、その上を簀の子で覆って祀っている場合もあります。
7つくば市平 鹿島神社(胎蔵)のコピー 7−27つくば市平 鹿島神社(胎蔵)のコピー
しかしこのような祀り方がいつまで続くか心配です。
像が綺麗にされていたり、供物が捧げられているのを見るとまだ安心です。
人がほとんど立ち入らない薄暗い神社の裏山で、まだ新しい竹で作られた「アナグラ様」を見つけた時やの嬉しさは格別です。
氏子さん達に感謝です。

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石の巡礼 その22(四十九院行道山浄因寺)

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前回は埼玉県寄居町にある普門寺の四十九院石仏のお話をしました。
今回はもう一ヶ所四十九院石仏が安置されている栃木県足利市にある浄因寺を訪れます。
普門寺は境内に一列に並べて安置されているので、見学は楽ですが、浄因寺は行道山という山の中腹にあり、さらに四十九院石仏は山の頂上近くにある奥の院に安置されているので、大変です。
浄因寺は行基の草創と言われ、山岳信仰の霊場として栄え関東の高野山と言われています。
この山は奇岩、怪岩が多くこの寺院を有名にしている清心亭は巨岩の上に立ち、そこへ渡るために巨石から巨石に架けられた空中橋『天高橋』は葛飾北斎が『足利行道山雲のかけ橋』として描いたものです。
1葛飾北斎
2浄因寺
麓の駐車場から長い階段を上り信者が寄進した石仏を見ながら山門を二つくぐると本堂、庫裏、清心亭に着きます。
3浄因寺
さらに本堂の横から急な階段を上るとやがて山道になり奥の院とハイキングコースに分かれます。
四十九院は巨岩の上に安置されています。
4浄因寺
そこからの展望は足利の町や周囲の山々が一望できます。
普門寺の時にお話ししましたが、四十九院は死者が弥勒菩薩の四十九院の兜率天に生まれ変わるように願って、墓所の回りに四十九院の塔婆を立てる風習が室町時代から行われていました。
この風習を受け継いで、江戸時代中頃に弥勒浄土の模倣として四十九院の本尊の建立が行われました。
現在保存されているのが普門寺と浄因寺の二箇所です。
浄因寺では巨岩の上に68体の石仏とそれを守護する四天王を配置して弥勒菩薩の住む兜率天の世界を再現したものだそうです。
建立は享保4年(1719年)です。
5浄因寺
しかし決められた配置になっているのかどうかも分かりませんし、石仏が固定されている訳ではないので、非常に不安定で倒れたり、崩れたりしている石仏がたくさんあります。
ちよっと触るともうグラグラです。
ここで一番有名なのが10番の常念常楽院の釈迦涅槃像いわゆる寝釈迦です。
19浄因寺
この像を見るためにはこの岩の上に登らなくては見えません。
特に道があるわけではなく、急な岩を勝手に登るのです。
その時周りの石仏に触るとすぐに倒れてしまうほど不安定なのです。
保存状態が良く、興味深い石仏を載せておきます。
院名・尊名は判りません。
6浄因寺
7浄因寺
8浄因寺
9浄因寺
10浄因寺
11浄因寺
12浄因寺
13浄因寺
14浄因寺
15浄因寺
16浄因寺
17浄因寺
18浄因寺
ここにたどり着くのは大変ですが、疲れた体に心地よい風とツツジの花が迎えてくれます。
なんとなくここに兜率天の世界を作った訳がわかるような気がしました。

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石の巡礼 その21(普門寺四十九院)

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先日埼玉県の寄居町へ鮎を食べに行ったついでに美里町にある普門寺を訪れました。
ここには四十九院石仏が安置されています。
4普門寺
四十九院とは兜率天(とそつてん)の内院にある四十九の宮殿のことで、兜率天は弥勒菩薩の住む弥勒浄土のことです。
この宮殿には本尊仏がいますから49体の本尊石仏が普門寺に並んで安置されています。
兜率天は釈迦が修行して如来となったところで、この世に生まれて人々を救済するために仏教を広めました。
<インドネシア ボロブドゥール 兜率天にいる釈迦>
1兜率天にいる釈迦
現在は釈迦の次に如来になるために弥勒菩薩が修行しています。
そして五十六億七千万年後にこの世に生まれる(下生する)、とお経に説かれています。
空海は入定後、兜率天に往生し、五十六億七千万年後に弥勒とともに下生すると遺言にあります。
そのため空海と一緒に修行して弥勒と一緒に下生するという考えが流行りました。
空海とともに兜率天に対する信仰が四十九院石仏となります。
兜率天に生まれ変われるように埋葬方法も流行しました。
死者を埋葬した場所を49の板塔婆で取り囲むのです。
もちろん一定のルールに従って行います。
身分の高い人は玉垣も塔婆も石で作ります。
高野山奥の院は弥勒浄土として人々の厚い信仰を集めています。
2高野山奥の院
奥の院にはとても立派な玉垣で囲まれた廟や供養塔がたくさんあります。
<奥の院 井伊直政御霊屋>
井伊直政御霊屋

聖徳太子も兜率天浄土へ往生されたと信じられています。
太子の亡き後に橘夫人は太子をしのんで「天寿国繍帳」(国宝)を作られましたが、それは兜率天の様子を編んだものと言われています。
<奈良 中宮寺 天寿国繍帳残闕>
3天寿国繍帳残闕2
普門寺境内にはコンクリートで作られた壇上の上に横一列で四十九院石仏が安置されています。
覚龍という僧侶により弥勒信仰が布教され、檀徒たちが先祖供養のために寄進し、元文4年に造立されたものと言われています。
16普門寺
本来四十九院の配列の順番は決まっていて、1番は恒説華厳院(毘盧遮那仏)から始まり、49番は常行律儀院 (釈迦牟尼如来)で終わります。
ここでは順番にはなっていません。
10番は常念常楽院で釈迦涅槃、
5第10番常念常楽院釈迦涅槃
第41は番唯学伝法院で藷経論蔵、
6第41番唯学伝法院藷経論蔵
第42番常念惣持院で不動明王、
7第42番常念惣持院不動明王
第44番は伴行衆生院で金剛力士(頭に被っている動物は興福寺の乾闥婆に似ている)、
8第44番伴行衆生院金剛力士
第22番説法利他院で釈迦説法(説法をしている釈迦)、
9第22番説法利他院釈迦説法
第24番金剛修法院で大日如来(金剛界大日如来で胸の前で智拳印を結んでいる)、
10第24番金剛修法院大日如来
第20番如来密蔵院で大日如来(胎蔵界大日如来で法界定印を結んでいる)、
11第20番如来密蔵院大日如来
第17番恒修菩薩院で善財童子(華厳経入法界品に登場する童子、仏教の修行にはげむ)、
12第17番恒修菩薩院善財童子
第4番般若不断院般若力菩薩(大般若経の本尊で6臂)、
13第4番般若不断院般若力菩薩
第27番求聞持蔵院阿難尊者(十大弟子)、
14第27番求聞持蔵院阿難尊者
第28番四大天王院梵天王(ブラフマーのことで4面)
15第28番四大天王院梵天王
などが目を惹きます。
四十九院石仏は珍しく、足利市の行動山とこの普門寺の2ケ所のみです。
今度は苦手な山登りを覚悟で行動山へ行ってみたいと思います。

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