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木になる話 その37 香木

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子供の頃から花の香りが大好きです。
どこからともなく匂ってくる香りが大好きです。
春に香るのは沈丁花です。
1気になる話香木
子供の頃、近くの東大構内でよく遊んでいました。
すると何処からともなくとても良い匂いが漂って来るのです。
それが沈丁花でした。
あまりの気持ち良さに次の日小さなシャベルを持って小さなジンチョウゲを無断で一本頂いてきました。
庭に植えた沈丁花は毎年良い匂いを届けてくれました。
ユーミンも「春よ、来い」の中で歌っています。
中国原産で名前の由来は花の香りが沈香に似ていることと、十字型の花が丁子(クローブ)に似ていることに由来しています。
初夏になりますと甘い香りのクチナシ(梔子)が香ってきます。
2気になる話香木
クチナシは住宅の庭だけでなく公園にも植えられているのでよく匂ってきました。
とても好きな匂いでしたので、花屋で花束にして、大好きだった友人の姉に贈りました。
とても喜んでくれたのですが、その後の発展はありませんでした。
悲しいことに最近はあまり匂ってこないのです。
その代わりこの季節には今までなかったジャスミンが匂うようになりました。
3気になる話香木
ジャスミンの香りも大好きです。
初めてジャスミンの香りに包まれたのはフィリピンに旅行した時です。
現地の旅行会社が歓迎のために首にかけてくれました。
またホテルのベッドにも置かれていました。
5気になる話香木
フィリピンのジャスミンはサンパギータと言い国花です。
日本のジャスミンはアジアのものよりも小さいハゴロモジャスミンです。
6気になる話香木
アメリカのシールズ&クロフツが「SUMMER BREEZE」と言う曲の中で「仕事が終わり疲れて家に帰ると愛する妻が料理を作って待っている。
食べ終えた二人に夏のそよ風がジャスミンの香りを運んでくる。
最高の気分。」と言う歌詞があります。
とても良いですね。
秋になると金木犀です。
7気になる話香木
いたるところに植えられているので町中が金木犀の香りに包まれます。
私の思いでは高校時代です。
高校は田舎にありました。
駅からスクールバスが出ていましたが帰りはバスに乗らず畑や雑木林を抜けて駅に向かいます。
秋の夕暮れ農家にうえられた金木犀の香りが忘れられません。
原産地中国では「桂花(グウェイファ)」と呼んで花を砂糖漬けにしたり、リキュールにしています。
冬の匂いは梅ですがとても弱いので梅林などへ行かないと気付きません。
私の子供時代は近くに湯島天神がありましたので冬の冷たい空気の中にほんのり香ったのを覚えています。
梅の中でもロウバイ(蝋梅)は比較的よく匂うので1本でも香ります。
8気になる話香木
この香りが漂うと春が近いことを感じます。
木ではありませんが水仙です。
9気になる話香木
ほのかに香る甘い匂いは紛れもなく春の訪れです。
季節感がなくなりつつある今、季節ごとの香りはとても大事です。

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気になる話 その36 伊東忠太3

忠太
今回は伊東忠太、妖怪の集大成である一橋大学兼松講堂を訪れます。
国立にある一橋大学の構内には伊東忠太の設計した妖怪の巣窟、兼松講堂があります。
そして忠太が関係したと思われる図書館、本館、池などにも妖怪が潜んでいます。
兼松講堂は一般開放されていませんので内部を観察することは出来ません。
しかし調べていくうちに兼松講堂では時々、クラシックコンサートを行うことがわかりました。
そしてついに仲道郁代さんのベートーベンのコンサートがあるのを見つけ、すぐに申し込みます。
その日のプログラムは「悲愴」「月光」「情熱」「告別」です。
1時15分開場、14時開演です。
兼松講堂に入れ、さらにコンサートも聞けるのです。
ついにその日がやってきました。
国立駅から一橋大学までの学園通りは素晴らしい桜並木道で、高い建物もなくセンスの良いお店やスーパーマーケット、ファミレス、カフェなどなんでもあります。
もともと東京高等音楽学院(現・国立音楽大学)の移転、東京商科大学(現・一橋大学)の移転なで学園の街となったところです。
環境が悪いはずがありません。
コンサートが始まる前に兼松講堂の外部や図書館、本館、校内の池などを見るために10時に着くようにし、写真を撮ってから、駅前で食事をして再びコンサートへ行く予定です。
その日はマラソン大会が行われ、学園通りはたくさんの人と模擬店で大にぎわいです。
しかし大学のゲートを抜けると騒音はなくなりとても静かです。
日曜日なので学生も見かけず、高齢の方々が散歩していたり、家族ずれが数組いるだけでひっそりしています。
すぐに写真で見た兼松講堂、図書館が目につきます。
講堂はまだ準備もできていないので扉が閉まったままです。
1兼松講堂
まず外観を写します。
この講堂は1927年にロマネスク様式で建てられています。
入り口上部には校章とアーチ型連続窓に鳥、獅子、龍のメダリオンがあり校章と合わせて四神とも言われています。
2兼松講堂
いちばんの見所は入口の3連続アーチの柱頭部分の彫刻です。
内部のリブ・ボールト柱頭部分も同じです。
ロマネスク様式で見られる植物文様に動物などを彫り込んだとても凝った文様です。
3兼松講堂 4兼松講堂
5兼松講堂 6兼松講堂
これら文様はインド・東南アジアでも見られます。
注意深く観察していくと葉っぱの中から忠太の妖怪が見つかります。
周囲に回り込み側面を観察するととても味のあるドアーの左右に獅子と鳥のようなものの彫刻があります。
7兼松講堂
まず外部を観察して次は図書館です。
8図書館
時計塔が目を引きます。
この建物もアーチ型連続窓です。
入口の上に恐ろしい怪獣が2匹、建物に入る人を威嚇しています。
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その上を覗くとアーチ窓の左右に何かいますが、肉眼でははっきりしません。
望遠レンズで覗くと猛禽類と怪獣が死闘を繰り広げています。
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いかにもヨーロッパ的な構図です。
入口のアーチの頭注には兼松講堂とは少し違う、これまた素晴らしい彫刻があります。
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兼松講堂よりもさらに植物に溶け込みよく観察しないと見逃してしまいます。
図書館の入り口のドアーもとても素敵ですが中に入ることはできませんでした。
隣の本館は車寄せの獅子の彫刻が良いです。
そっくりな獅子が左右2匹いますが舌の長さが違います。
14本館 15本館2
どうも阿吽のようです。
ここの柱頭もデザインが違います。
図書館の前にあるヨーロッパ風の池には本館車寄せと同じような獅子が口から水を出しています。
17構内
また日時計の台座も不思議な4匹の怪獣によって支えられています。
16構内
一通り見学して11時を過ぎましたので駅に戻ってランチです。
ここは桜並木が見える焼肉屋でカルビ定食です。
コーヒーを飲んで開演10分前に講堂に着いたらすでに入場が始まっていました。
自由席なのでまず座席を確保して写真を撮ります。
まだ人があまり入っていないうちにステージの柱頭飾りの12支を写します。
18兼松講堂25 19兼松講堂26
2階に上がり2階のアーチの基部を支えている怪獣を撮ります。
ここは忠太の妖怪の独壇場です。
20兼松講堂13 21兼松講堂15
22兼松講堂16 23兼松講堂17
照明との兼ね合いが絶妙です。
しかし漆喰で白く塗られ周囲の装飾と見分けがつかないので気付く人は少ないでしょう。
2階のホールではCDやパンフレットなどを売っていますがその上のブラケットの怪獣を写します。
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26兼松講堂21 27兼松講堂22
ここもとても印象的です。
そのほか内部の写真を撮り、開演を待ちます。
席は満席です。
仲道郁代さんの人気がわかります。
私自身久々のピアノソロコンサートで眠りもせず、聞き惚れていました。
休憩時間になり、トイレが足りないのでほかの建物へ行ってくださいというアナウンスがあったのでまた外の池の周りで写真を撮っていました。
講堂へ戻り地下のトイレへ行くと階段の手すりに築地本願寺の手すりと同じような怪獣がいました。
怪獣は口から手すりを吐き出しています。
28兼松講堂31
異様に見えますが、インドや東南アジアではマカラと言う想像上の動物が色々なものを吐き出す彫刻がいたるところにあります。
また日本でも四天王の甲冑などでも見られます。
席に戻り、後半を聞いて満足して帰路につきました。
帰りに大学通りの出店でスペアリブを買って帰りました。
とても充実した良い1日でした。

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気になる話 その35 伊東忠太2

24忠太
今回は東京の建築作品を見ていきます。
初めは築地本願寺です。
1築地本願寺
大谷光瑞により依頼され昭和6年に起工し、3年の工期を経て昭和9年に落成され現在に至っています。
いちばんの見所は怪獣ではなく、その外観です。
古代インド建築を取り入れた異様なファサードは一見してお寺には見えません。
アジャンターなど古代インドの仏教窟で仏塔を祀ったチャイティヤ窟のファサードを用いた意匠は伊東忠太でしかなし得なかったでしょう。
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そのほか内部階段の仏教説話「三畜評樹」を取り入れた象、猿、鳥の動物達も面白いのですが、写実的で伊東忠太の魅力をあまり感じません。
3築地本願寺
4築地本願寺
5築地本願寺
それよりも正面階段の手すりの左右の獅子が素晴らしい出来です。
羽を持ちグリフィンのようで阿吽になっています。
7築地本願寺 6築地本願寺
不思議なことに手すり上部の獅子は阿吽が反対になっています。
8築地本願寺 9築地本願寺
地下階段の手すりには伊東忠太らしい意匠が見られます。
10築地本願寺
湯島聖堂はお茶の水にある孔子廟です。
現在の建物は1935年に伊東忠太によって設計されたものです。
11湯島聖堂
私はこの近くに住んでいましたから、子供の頃は時々遊びに行きました。
子供にとっては異様なムードで怖かった記憶があります。
ここの見所は屋根の動物(怪物)たちでしょう。
屋根の上から不審者を見張っている鬼龍子と言われる猛獣です。
12湯島聖堂
写実的でとても迫力があります。
樋になっていれば教会建築のガーゴイルですね。
そしてシャチホコです。
13湯島聖堂
鬼犾頭といい魚の体に竜の顔、二本の脚と角をもっているふしぎな生き物で、頭から勢いよく水を吹き出しています。
もちろん火事に対するおまじないです。
そのほか翼を持った狛犬のようなものも見られます。
14湯島聖堂
湯島聖堂敷地内にある斯文会館の屋根にも謎の生き物が見られます。
15湯島聖堂
東京都慰霊堂は墨田区の横綱町公園内にあり、関東大震災や東京大空襲で亡くなった約16万3,000人の遺骨が納められています。
昭和5年に建てられ三重塔を持った寺院風のとても不思議な建物です。
16東京都慰霊堂
ここにもたくさんの不思議な妖怪がいます。
一番興味を持ったのは内部の照明になっている妖怪です。
照明のボールに噛み付いている妖怪は忠太の傑作です。
17東京都慰霊堂
屋根には翼を広げた鳥の妖怪がたくさんいます。
18東京都慰霊堂
隣の東京都復興記念会館にも忠太好みの妖怪が入り口の上から見張っています。
19東京都慰霊堂
屋根の上にも獅子が見張っています。
20東京都慰霊堂
遊就館は九段の靖国神社の境内にあり、1932年に新しい和風の意匠を取り入れたコンクリート造りの和洋折衷で作られました。
21遊就館
特に妖怪がいるわけではなく、入り口に鬼の彫刻があります。
22遊就館
また小窓にはめ込まれた格子の意匠も素敵です。
23遊就館
次回は伊東忠太渾身の作、妖怪達の楽園、一橋大学を訪れます。

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気になる話 その34 伊東忠太

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伊東忠太に関しては[気になる話その13大谷光瑞]の中でお話しました。
大谷光瑞の住まいである「二楽荘」を一緒に作り上げたのです。
建設費は17万円、総敷地面積は24万6000坪でインド・イスラム風の外観を持ち、部屋はインド室、イギリス室、中国室、アラビヤ室など各国風に作られたユートピアです。
1二楽荘
どうしても「二楽荘」を考えるとき、江戸川乱歩の「パノラマ島奇談」を思い出してしまうのです。
パノラマ島はM県S郡の小島に作られた理想郷ですが、「二楽荘」は神戸の山の中腹に実際に作られた理想郷です。
「二楽荘」へ行くには専用のケーブルカーに乗るしか方法はありません。
まさに陸の孤島です。
このユートピアにはなんとヨーロッパをはじめ中東、インド、東南アジアの国の人たちも働いているのです。
このとても不思議な大谷光瑞の理想を現実化した伊東忠太とはどんな人物なのでしょうか。
伊東忠太は1867年山形県米沢市で生まれました。
2伊東忠太
少年時代を東京、佐倉で過ごし、帝国大学工科大学(現工学部)を卒業して大学院に進みました。
そしてなんとこの時代に中国からギリシャの間を3年間かけて見て回るのです。
特に西安から雲南、ビルマ、インドへ仏教建築の源流を訪ねたのです。
さらにエジプト、トルコまで。大谷光瑞の大アジア主義に建築的な形を与えたのが伊東忠太なのです。
その後、東京帝国大学の教授になり、日本建築のオーソリティーとして靖国神社、明治神宮をはじめとする各地の国家神道建築、さらに朝鮮神宮、台湾神社を手がけます。
3朝鮮神宮 3台湾神社
私が伊東忠太に興味を持ったのはアジア的なものを建築に取り入れ、それはマクロ的なものだけではなく、ミクロ的に細部に施された特異な彫刻があるからです。
その元となったのは伊東忠太の子供時代にある物の怪、妖怪、幽霊などに対する興味です。
子供時代には誰でも持つ興味ですが、忠太の場合は一生持ち続けたのです。
明治の初めは今より、これら妖怪が今よりずうっと我々に近い存在でした。
いつも妖怪のスケッチをしていたそうですがそれが高じて、妖怪や怪獣などのイラスト集「怪奇図案集」や論文「化けもの」を発表するほどです。
5スケッチ 6スケッチ
もちろん3年かけて世界を回った建築旅行でも建築に施された、怪奇な彫刻はもとより、その国や土地に伝わる妖しいものもたくさんスケッチしてきました。
私もインドや東南アジアでそういうものを沢山見てきましたので共感を覚えるのです。
7スケッチ 8スケッチ
東京帝国大学の教授で、国家的建造物も作るかたわら、机の上で怪奇なイラストを描き、それを自分の建築作品に取り入れるとてもやんちゃで魅力的な人物です。
さらにそれを理解し依頼する施主も素敵です。
私が見た忠太のイラストや絵画の中でとても感動を受けたのは「釈迦降魔相」という色彩画です。
9gouma
この絵はブッダになる太子がビハール州のブッダガヤーの菩提樹の下で瞑想して悟りを開くところです。
瞑想している太子の周りには悟りを阻止しようとマーラ達が襲い掛かります。
まず美しく技に長けた3人の娘達を送り込みます。
しかし太子は数々の誘惑に屈しません。
次に恐ろしい形相の怪物達に太子を襲わせます。
しかし太子には近づけません。
今度はあらゆる武器を降らせ、周囲を暗闇で覆っても太子は動じませんでした。
最後はマーラ自身が巨大な円盤を振りかざして向かっていくが円盤は花輪となってしまい、マーラは敗北を認め太子は悟りを開いてブッダとなったという話です。
主人公の太子より周囲を取り囲む妖怪や魑魅魍魎への愛着があふれた伊東忠太らしい素晴らしい絵です。
妖怪達を見ていると時間の経つのを忘れてしまいます。
次回は建築作品を見ていきます。

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気になる話 その33 歓喜天

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今回は霊験あらたかな聖天様と言われる仏教の守護神歓喜天の話です。
歓喜天はヒンドゥー教のガネーシャ(Vināyaka、Gaṇapati)が仏教に取り入られて守護神となりました。
四部毘那夜迦法によれば「観音菩薩(十一面観音)が美女に化身して,暴神だった毘那夜迦(ガネーシャ)を調伏に来た。毘那夜迦はこの美女を抱きたいと欲したが、美女は私の教えに従って仏教を守護するように求めた。
毘那夜迦はこの美女の要求を承諾し、そして美女を抱いて交わると歓喜を得た。
これにより、毘那夜迦は仏法に信奉し、併せて仏教の護法神となった」というものです。
したがって象頭人身の歓喜天と観音が抱擁する双身像が一般的です。
歓喜天
単身像もあり坐像が多く左手に大根、右手に斧のような法具を持っています。
歓喜天2
双身像の形は互いに相手の右肩に顔をのせて、立ったまま抱擁している形です。
二天ともよく似ていますが、女天は冠をかぶり、ブレスレットとアンクレットをしています。
そして両足とも男天の足先を踏んでいます。
男天は冠がなく、赤色の袈裟をかけ、両天ともに裙(くん/巻きスカートのようなもの)を着けています。
このような形態の為、多くの寺院では秘仏になって厨子に入っています。
津軽家奉納の最勝院蔵大聖歓喜天厨子
聖天様を祀るのには特殊な聖天法という祀り方があります。
浴油供(よくゆく)と言い、まず歓喜天の像を用意し、月が満月に近づいている期間に、清潔な室内に聖天壇と呼ばれる円壇を作ります。
一升のゴマ油を清浄な銅の器に入れ、真言を108回唱えます。
そしてその油をあたためて像を浸し、祭壇に安置するのです。
このために歓喜天の象は15cmから20cmほどの大きさの金属製であることが多いです。
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とても神秘的で幻想的な秘儀です。
お供えは歓喜団と大根です。
歓喜団とは果物、ナッツ、スパイスなどを練って作ったお菓子で形は巾着型が基本です。
歓喜団はモダーカと言いますがこれが最中の原型とも言われています。
歓喜団
巾着は財宝で商売繁盛を表します。
大根はできれば二股大根が理想です。
歓喜天4
性器あるいは性交を意味するからです。
大根は良縁を成就し、夫婦和合、子孫繁栄を表します。
従って歓喜天のシンボルは巾着と二股大根です。
聖天様を祀るお寺では境内のいたるところにこのシンボルがあります。
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実際双身の歓喜天像はほとんど秘仏なので見れる機会はありませんが、千葉県の白井市にある鳥見神社には石像の歓喜天が安置され誰でも見られる貴重な像です。
千葉鳥見神社
インドにおいてガネーシャはシヴァ神の息子であらゆる障害を除くので新しい事業などを始めるにあたって信仰され、除災厄除・財運向上でも信仰を集めています。
また智慧・学問の神でもあり、学生にも霊験豊かとされるので人気の神です。
ほとんどが単独の立像か坐像で、双身像はありません。
唯一西インドのRAJASTHAN州KIRADUのヴィシュヌ寺院で女神と仲良く座るガネーシャ像を見つけました。
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ガネーシャはチベットに伝わり、6世紀には中国の莫高窟に描かれています。
莫高窟
四部毘那夜迦法で一連の交合像となったのでしょうか。
とても世俗的な不思議な神です。

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