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気になる話 その39 久高島2

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いよいよ村落に入ります。
琉球王朝時代に定められたノロ制度(琉球王国による宗教支配の手段として地域の祭祀を取りしきり、御嶽を管理する女性の祭祀を各地に配置した)のもと、公式指名を受けたのが外間家、島のノロとして指名されたのが久高家です。
そして、それぞれに設置された祭祀の場が外間殿と久高殿で久高島にはこの二つの祭祀場があります。
まずは外間殿へ行きます。
<外間殿とアサギ家>
1外間殿
今でも正月をはじめとする島の行事のほとんどはここで行われます。
外間殿には、天頭神(天の神の総帥)、玉礼乃神(太陽神)、松乃美神(月の神)、ニレー大主神(竜宮神)、アマミキヨ神(国造りの神)百畑地方照乃神(植物の神)、梁万神(健康の神)などが祭られている島でも重要な場所です。
隣の建物は西威王(英祖王統(1260~1349年)五代目の王が生まれた「アサギ家」です。
拝殿の前庭を挟んで向かい側に「火ぬ神」が祀られています。
<火ぬ神>
2外間殿2
ガジュマルの緑に覆われ、周囲は石囲いで、中央に香炉が一基置かれています。
すぐそばにアマミキヨが腰かけ休息したという石(テーブル珊瑚)があると西銘さんが教えてくれました。
<アマミキヨの石>
3アマミキヨの石
説明書きも看板もないので通り過ぎてしまいます。
もう一つの祭祀場久高殿へ行きます。
こここそがイザイホーが行われる祭祀場です。
ここには三つの建物があり、向かって左にタルガナーと呼ばれるイラブー(海蛇)の燻製小屋、神アシャギ(神を招き祭祀を行うお座敷)、シラタル拝殿と並んでいます。
<イラブー(海蛇)の燻製小屋>
4久高殿2
<神アシャギとシラタル拝殿>
4久高殿
神アシャギはイザイホーの時にはビロウ(クバ)で壁が作られます。
5カミアシャギ
イザイホーは久高島で生まれたナンチュと呼ばれる30歳から41歳までの女性がノロを頂点とする祭祀集団に加入して神女になる儀式で4日間にわたって行われます。
5イザイホー5
ナンチュは唱え詞(となえことば)をしながら祭場の拝殿を 7度回り,神アシャギの前に作られた「七つ橋」と呼ばれる仮設の橋(現世と来世をつなぐ象徴)を渡って祖霊が佇むイザイヤマ(奥の森)に入ります。
そして森に作られた「七ツ屋」という小屋で「夜篭」を経て神人となって翌日外界に登場します。
<七ツ屋>
8七ツ屋
そして数々の祭祀を行い、最終日には,神女全員が男性と綱引きをして東方の海上にあるとされる異郷,ニライカナイの神を迎えてまつり,最終的に神女としての資格を得るのです。
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なお1ヵ月前から祭祀の主宰者であるノロや先輩格のヤジクが,今度初めて祭りに参加するナンチュを率いて島内の聖所を巡拝する〈御願立(おかんだて)〉の行事をすませます。
12イザイホー
シラタル(白樽)とは玉城百名村(今の南城市玉城百名)の住人で、妻は玉城按司(領主)の娘だと言われています。
白樽夫婦は戦乱の続く世を嫌い、小舟をあやつって東の海の彼方に浮かぶ久高島へ逃れてきて、シキイ浜で五穀の種子の入った壺を掬い上げた人物で久高家の先祖と言われています。
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燻製小屋は海蛇の燻製を作るところ、琉球王国時代には王家御用達の品で、久高家はその採取権を持っていたからで現在も使用されています。
久高島の御三家は外間家、久高家、大里家です。
一番古い大里家は典型的な琉球の古民家で母屋と拝殿が建っています。
<大里家>
9大里家
大里家にも久高殿と同じような「五穀の壺」伝承が残っています。
イシキ浜に流れて来た壺を拾い上げたのは、久高殿ではシラダルになっていますが、大里家では、その昔、大里家に住むシマリバー(女性)とアカツミー(男性)という男女として語り継がれています。
もう一つの大里家の伝承は、琉球王朝第一尚氏最後の17代尚徳王が大里家の美しい神女クニチャサ(ノロ)と恋仲になり、政治を省みず久高島にいる間に城内で反乱が起きて王位を退けられてしまい、絶望した王は帰途の船から海に飛び込んで、自らの命を絶ってしまいました。
クニチャサもこれを聞き悲しみにくれ、この家の前にあるガジュマルの木で首を吊って死んでしまいましたという話です。拝殿には火ぬ神が祀られていて、かまどを設え、その上にお釜が載せられていました。
<大里家拝殿>
11大里家拝殿
庭には拝所もあります。
イチャリ小はアマミキヨが島を創った際に使われたとされる棒(シマグシナー)を祀ってある拝殿です。
<イチャリ小>
12イチャリ小
アマミキヨが仮住まいしたところとも言われています。
中に新しいものですが、棒が立て掛けられていました。
<イチャリ小内部>
13イチャリ小2
ウプンシミと案内板だけが立っている家がありました。
西銘さんの説明では、大里家の美人ノロ、クニチャサの後継者のノロの家だということです。
<ウプンシミ>
14ウプンシミ
ハンチャタイは集落の中心にあるただの空き地ですが片隅に石やサンゴが積まれています。
神の畑という意味で積まれている石は天と地をつなぐ場所とされています。
<ハンチャタイと村落の石垣>
15ハンチャタイ
そのほか村落の家に積まれた石垣はとても立派でグスクと同じ作りで、カーブか強調された美しいものです。
しかし近年はブロック塀になり時代の流れを感じます。
3時間という短い時間でしたが、西銘さんのとても詳しい説明を聞き、島を感じとても有意義に過ごしました。
イザイホーはとても残念ですが、どうにもならない問題です。
他にも問題は山積していると思いますがいつまでも神の島でいてもらいたいです。
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久高殿の御殿庭(ウドゥンミャー)にボーと立っていると、何回もYouTubeで見たイザイホーのナンチュたちの掛け声「エーファイ!エーファイ!」が頭の中をグルグル回ります。

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気になる話 その38 久高島1

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以前からどうしても行きたかった久高島の話です。
久高島は琉球の創世神アマミキヨが天からこの島に降りてきて国造りを始めたという、琉球神話最高の聖地です。
琉球王朝時代に沖縄本島最高の聖地とされた斎場御嶽は、この久高島に巡礼する国王が立ち寄った御嶽(琉球の信仰における祭祀などを行う施設)であり、久高島からの霊力(セジ)を最も集める場所と考えられていました。
<斎場御嶽から久高島を望む>
1斎場御嶽から久高島を望む
斎場御嶽は久高島に向いています。
私が一番興味を持ったのは琉球王朝に作られた神女組織「祝女(ノロ)」制度を継承し、12年に一度行われる秘祭イザイホーでした。
<イザイホー>
2イザイホー1
3イザイホー2
4イザイホー3
午(うま)年の旧暦11月15日からの6日間、島の30歳から41歳までの女性がナンチュという地位になるための儀礼として行われ、それにより一人前の女性として認められ、家族を加護する神的な力を得るとされる秘祭です。
しかし残念ながら後継者の不足のために1978年に行われた後は行われていません。
島内には御嶽、拝み所(うがんしょ)、殿(とぅん)、井(かー)などの聖地が散在しており、イザイホーが行われた場所も確認したく、朝一番8時のフェリーで安座真港から出港です。
<安座真港>
5安座真港
7時半には港に着きましたが、なんと駐車場はいっぱいです。こんなに多くの人が久高島へ行くはずがないと思って切符売り場へ行くとほとんどの人が釣り人でした。
観光に行く人は我々を含めて10人程度でした。
このような聖地には沢山の決まりごとがあり、また説明を聞かなければわからないことがあるのでガイドをお願いしました。
当日は快晴無風でフェリーは20分で徳仁港に着きます。
<徳仁港>
6徳仁港
下船するとガイドの西銘さんがワンボックスカーで待っていてくれました。
久高島は周囲8kmのとても小さい島で自転車でも歩いても回れます。
西銘さんは三線の名手で琉球の世界遺産の専門ガイドです。
ユーミンや池上彰さんをはじめテレビなどの取材ガイドも沢山している物静かな人です。
まずは島の一番北から見学します。
島の真ん中の道は舗装されていますが、神が通るとされる道は舗装されていません。
突端のカベール岬はアマミキヨが降臨、あるいは上陸した聖地で岩の間に猫の額のようなきれいな砂浜があります。
まさにここに最初に降り立ったのです。
<カベール岬>
7カベール岬
とても美しいところですがなんとペットボトルが2、3本落ちているではありませんか。
私が憤慨していると西銘さんは「これは韓国製でよく流れ着くのですよ」と微笑んでいました。
そばにハビャーンと呼ばれる祈りの場所があります。
<ハビャーン>
8ハビャーン
この辺りは原生のクバ(ビロウ)の木が生い茂る森があり天然記念物の植物群落になっています。
この植物群落の中にロマンスロードと呼ばれる遊歩道が作られ、東屋もあり、ここから美しいグラディエーションの海が見渡せます。
<ロマンスロード>
9ロマンスロード
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次は沖縄で一番重要な聖地クボー御嶽です。
アマミキヨが最初に作ったと言われている御嶽です。
<クボー御嶽>
11クボー御嶽
イザイホー6
イザイホーが行われる重要な場所で、かつては男性禁制の聖地でしたが、今では女性も立ち入り禁止です。
中に入ることができるのは神女のみで、しかも大事な島の祭事の時だけです。
入り口でお祈りをして次の聖地イシキ浜へ行きます。
<イシキ浜>
12イシキ浜
イシキ浜は、ニライカナイ(海のかなたにある神の世界)といわれる理想郷から五穀の種が入った壺が流れ着いたとの伝説が伝わる「神の島」の中でも特に神聖な場所で、この種子が琉球の農耕の始まりになったと言われています。
「その昔、白樽という夫婦が伊敷浜に参詣し、神に食物豊穣と子孫繁栄を祈ったところ、沖から白い壺が流れて来た。
拾い上げようとしたが、壺は沖へ流れて行ってしまう。
再び壺が流れて来たので、掬い上げようとするが、上手く取れない。
その様子を見ていた白樽の妻は何かを悟り、ヤグルガー(井泉)へ走り、身を洗い清め、白衣を着けて伊敷浜に引き返し、両手の袖を広げて壺のかかるのを待った。
流れて来た白い壺は、難なく白衣の袖で掬い上げることができたという。
壺を開けると、麦、粟、キビ、小豆の種子が入っていて、この種子は「ハタス」と呼ばれる畑に植えられ、やがて島中に広まって行ったのである」という話です。
島の伝承では流れ着いたのは壷ではなく瓢箪です。
西銘さんが砂浜で珊瑚の上に石が3個乗っているのを見つけ、年始に男子一人につき伊敷浜の石を三個拾い、お守りとして家に置き、年末に浜に戻す儀式があることを教えてくれました。
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もちろん浜に出る前に祈りの場所の御嶽があります。
ここに流れ着いた五穀を蒔いた場所がハタスです。
<ハタス>
14ハタス
普通の畑ですが、香炉が置かれています。
わずかに石垣の跡があると西銘さんが教えてくれました。
また五穀の入った壺を拾い上げるために、禊を行なったヤグルガーという井戸は立ち入り禁止で行けませんでした。
<ヤグルガーへの道>
15ヤグルガー

次回は村落の中に入ります。

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気になる話 その37 香木

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子供の頃から花の香りが大好きです。
どこからともなく匂ってくる香りが大好きです。
春に香るのは沈丁花です。
1気になる話香木
子供の頃、近くの東大構内でよく遊んでいました。
すると何処からともなくとても良い匂いが漂って来るのです。
それが沈丁花でした。
あまりの気持ち良さに次の日小さなシャベルを持って小さなジンチョウゲを無断で一本頂いてきました。
庭に植えた沈丁花は毎年良い匂いを届けてくれました。
ユーミンも「春よ、来い」の中で歌っています。
中国原産で名前の由来は花の香りが沈香に似ていることと、十字型の花が丁子(クローブ)に似ていることに由来しています。
初夏になりますと甘い香りのクチナシ(梔子)が香ってきます。
2気になる話香木
クチナシは住宅の庭だけでなく公園にも植えられているのでよく匂ってきました。
とても好きな匂いでしたので、花屋で花束にして、大好きだった友人の姉に贈りました。
とても喜んでくれたのですが、その後の発展はありませんでした。
悲しいことに最近はあまり匂ってこないのです。
その代わりこの季節には今までなかったジャスミンが匂うようになりました。
3気になる話香木
ジャスミンの香りも大好きです。
初めてジャスミンの香りに包まれたのはフィリピンに旅行した時です。
現地の旅行会社が歓迎のために首にかけてくれました。
またホテルのベッドにも置かれていました。
5気になる話香木
フィリピンのジャスミンはサンパギータと言い国花です。
日本のジャスミンはアジアのものよりも小さいハゴロモジャスミンです。
6気になる話香木
アメリカのシールズ&クロフツが「SUMMER BREEZE」と言う曲の中で「仕事が終わり疲れて家に帰ると愛する妻が料理を作って待っている。
食べ終えた二人に夏のそよ風がジャスミンの香りを運んでくる。
最高の気分。」と言う歌詞があります。
とても良いですね。
秋になると金木犀です。
7気になる話香木
いたるところに植えられているので町中が金木犀の香りに包まれます。
私の思いでは高校時代です。
高校は田舎にありました。
駅からスクールバスが出ていましたが帰りはバスに乗らず畑や雑木林を抜けて駅に向かいます。
秋の夕暮れ農家にうえられた金木犀の香りが忘れられません。
原産地中国では「桂花(グウェイファ)」と呼んで花を砂糖漬けにしたり、リキュールにしています。
冬の匂いは梅ですがとても弱いので梅林などへ行かないと気付きません。
私の子供時代は近くに湯島天神がありましたので冬の冷たい空気の中にほんのり香ったのを覚えています。
梅の中でもロウバイ(蝋梅)は比較的よく匂うので1本でも香ります。
8気になる話香木
この香りが漂うと春が近いことを感じます。
木ではありませんが水仙です。
9気になる話香木
ほのかに香る甘い匂いは紛れもなく春の訪れです。
季節感がなくなりつつある今、季節ごとの香りはとても大事です。

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気になる話 その36 伊東忠太3

忠太
今回は伊東忠太、妖怪の集大成である一橋大学兼松講堂を訪れます。
国立にある一橋大学の構内には伊東忠太の設計した妖怪の巣窟、兼松講堂があります。
そして忠太が関係したと思われる図書館、本館、池などにも妖怪が潜んでいます。
兼松講堂は一般開放されていませんので内部を観察することは出来ません。
しかし調べていくうちに兼松講堂では時々、クラシックコンサートを行うことがわかりました。
そしてついに仲道郁代さんのベートーベンのコンサートがあるのを見つけ、すぐに申し込みます。
その日のプログラムは「悲愴」「月光」「情熱」「告別」です。
1時15分開場、14時開演です。
兼松講堂に入れ、さらにコンサートも聞けるのです。
ついにその日がやってきました。
国立駅から一橋大学までの学園通りは素晴らしい桜並木道で、高い建物もなくセンスの良いお店やスーパーマーケット、ファミレス、カフェなどなんでもあります。
もともと東京高等音楽学院(現・国立音楽大学)の移転、東京商科大学(現・一橋大学)の移転なで学園の街となったところです。
環境が悪いはずがありません。
コンサートが始まる前に兼松講堂の外部や図書館、本館、校内の池などを見るために10時に着くようにし、写真を撮ってから、駅前で食事をして再びコンサートへ行く予定です。
その日はマラソン大会が行われ、学園通りはたくさんの人と模擬店で大にぎわいです。
しかし大学のゲートを抜けると騒音はなくなりとても静かです。
日曜日なので学生も見かけず、高齢の方々が散歩していたり、家族ずれが数組いるだけでひっそりしています。
すぐに写真で見た兼松講堂、図書館が目につきます。
講堂はまだ準備もできていないので扉が閉まったままです。
1兼松講堂
まず外観を写します。
この講堂は1927年にロマネスク様式で建てられています。
入り口上部には校章とアーチ型連続窓に鳥、獅子、龍のメダリオンがあり校章と合わせて四神とも言われています。
2兼松講堂
いちばんの見所は入口の3連続アーチの柱頭部分の彫刻です。
内部のリブ・ボールト柱頭部分も同じです。
ロマネスク様式で見られる植物文様に動物などを彫り込んだとても凝った文様です。
3兼松講堂 4兼松講堂
5兼松講堂 6兼松講堂
これら文様はインド・東南アジアでも見られます。
注意深く観察していくと葉っぱの中から忠太の妖怪が見つかります。
周囲に回り込み側面を観察するととても味のあるドアーの左右に獅子と鳥のようなものの彫刻があります。
7兼松講堂
まず外部を観察して次は図書館です。
8図書館
時計塔が目を引きます。
この建物もアーチ型連続窓です。
入口の上に恐ろしい怪獣が2匹、建物に入る人を威嚇しています。
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その上を覗くとアーチ窓の左右に何かいますが、肉眼でははっきりしません。
望遠レンズで覗くと猛禽類と怪獣が死闘を繰り広げています。
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いかにもヨーロッパ的な構図です。
入口のアーチの頭注には兼松講堂とは少し違う、これまた素晴らしい彫刻があります。
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兼松講堂よりもさらに植物に溶け込みよく観察しないと見逃してしまいます。
図書館の入り口のドアーもとても素敵ですが中に入ることはできませんでした。
隣の本館は車寄せの獅子の彫刻が良いです。
そっくりな獅子が左右2匹いますが舌の長さが違います。
14本館 15本館2
どうも阿吽のようです。
ここの柱頭もデザインが違います。
図書館の前にあるヨーロッパ風の池には本館車寄せと同じような獅子が口から水を出しています。
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また日時計の台座も不思議な4匹の怪獣によって支えられています。
16構内
一通り見学して11時を過ぎましたので駅に戻ってランチです。
ここは桜並木が見える焼肉屋でカルビ定食です。
コーヒーを飲んで開演10分前に講堂に着いたらすでに入場が始まっていました。
自由席なのでまず座席を確保して写真を撮ります。
まだ人があまり入っていないうちにステージの柱頭飾りの12支を写します。
18兼松講堂25 19兼松講堂26
2階に上がり2階のアーチの基部を支えている怪獣を撮ります。
ここは忠太の妖怪の独壇場です。
20兼松講堂13 21兼松講堂15
22兼松講堂16 23兼松講堂17
照明との兼ね合いが絶妙です。
しかし漆喰で白く塗られ周囲の装飾と見分けがつかないので気付く人は少ないでしょう。
2階のホールではCDやパンフレットなどを売っていますがその上のブラケットの怪獣を写します。
24兼松講堂19 25兼松講堂20
26兼松講堂21 27兼松講堂22
ここもとても印象的です。
そのほか内部の写真を撮り、開演を待ちます。
席は満席です。
仲道郁代さんの人気がわかります。
私自身久々のピアノソロコンサートで眠りもせず、聞き惚れていました。
休憩時間になり、トイレが足りないのでほかの建物へ行ってくださいというアナウンスがあったのでまた外の池の周りで写真を撮っていました。
講堂へ戻り地下のトイレへ行くと階段の手すりに築地本願寺の手すりと同じような怪獣がいました。
怪獣は口から手すりを吐き出しています。
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異様に見えますが、インドや東南アジアではマカラと言う想像上の動物が色々なものを吐き出す彫刻がいたるところにあります。
また日本でも四天王の甲冑などでも見られます。
席に戻り、後半を聞いて満足して帰路につきました。
帰りに大学通りの出店でスペアリブを買って帰りました。
とても充実した良い1日でした。

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気になる話 その35 伊東忠太2

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今回は東京の建築作品を見ていきます。
初めは築地本願寺です。
1築地本願寺
大谷光瑞により依頼され昭和6年に起工し、3年の工期を経て昭和9年に落成され現在に至っています。
いちばんの見所は怪獣ではなく、その外観です。
古代インド建築を取り入れた異様なファサードは一見してお寺には見えません。
アジャンターなど古代インドの仏教窟で仏塔を祀ったチャイティヤ窟のファサードを用いた意匠は伊東忠太でしかなし得なかったでしょう。
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そのほか内部階段の仏教説話「三畜評樹」を取り入れた象、猿、鳥の動物達も面白いのですが、写実的で伊東忠太の魅力をあまり感じません。
3築地本願寺
4築地本願寺
5築地本願寺
それよりも正面階段の手すりの左右の獅子が素晴らしい出来です。
羽を持ちグリフィンのようで阿吽になっています。
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不思議なことに手すり上部の獅子は阿吽が反対になっています。
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地下階段の手すりには伊東忠太らしい意匠が見られます。
10築地本願寺
湯島聖堂はお茶の水にある孔子廟です。
現在の建物は1935年に伊東忠太によって設計されたものです。
11湯島聖堂
私はこの近くに住んでいましたから、子供の頃は時々遊びに行きました。
子供にとっては異様なムードで怖かった記憶があります。
ここの見所は屋根の動物(怪物)たちでしょう。
屋根の上から不審者を見張っている鬼龍子と言われる猛獣です。
12湯島聖堂
写実的でとても迫力があります。
樋になっていれば教会建築のガーゴイルですね。
そしてシャチホコです。
13湯島聖堂
鬼犾頭といい魚の体に竜の顔、二本の脚と角をもっているふしぎな生き物で、頭から勢いよく水を吹き出しています。
もちろん火事に対するおまじないです。
そのほか翼を持った狛犬のようなものも見られます。
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湯島聖堂敷地内にある斯文会館の屋根にも謎の生き物が見られます。
15湯島聖堂
東京都慰霊堂は墨田区の横綱町公園内にあり、関東大震災や東京大空襲で亡くなった約16万3,000人の遺骨が納められています。
昭和5年に建てられ三重塔を持った寺院風のとても不思議な建物です。
16東京都慰霊堂
ここにもたくさんの不思議な妖怪がいます。
一番興味を持ったのは内部の照明になっている妖怪です。
照明のボールに噛み付いている妖怪は忠太の傑作です。
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屋根には翼を広げた鳥の妖怪がたくさんいます。
18東京都慰霊堂
隣の東京都復興記念会館にも忠太好みの妖怪が入り口の上から見張っています。
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屋根の上にも獅子が見張っています。
20東京都慰霊堂
遊就館は九段の靖国神社の境内にあり、1932年に新しい和風の意匠を取り入れたコンクリート造りの和洋折衷で作られました。
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特に妖怪がいるわけではなく、入り口に鬼の彫刻があります。
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また小窓にはめ込まれた格子の意匠も素敵です。
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次回は伊東忠太渾身の作、妖怪達の楽園、一橋大学を訪れます。

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