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MEMORIES 1964年秋

思い出表紙のコピー
僕は友人と後楽園アイスパレスにいた。
リバプールから来たバンド「リバプール・ビートルズ」を見るために。
僕の家から後楽園までは歩いて20分ほどで行ける。
当時後楽園には遊園地の他に競輪場、野球場と卓球場、アイススケート場、ローラースケート場があった。
子供のころはジェットコースターがとても怖いけど好きだった。
ここでトラウマになった乗り物がある。
名前は「ロケット」が付いたような気がする。
これは卵を半分にしたようなカプセルに一人か二人乗り、それが隣り合わせに前後についている。
これで卵形になる。
それがもう一つ180度反対側にもう一つついている(カプセルが計4個)。
それがアームで繋がれていて地面に垂直になる。
したがって下のカプセルに人が乗るときにはもう一つのカプセルは真上にある。
この瞬間もとても怖いがさらに真下に降りながらカプセル自体も回転する。
カプセルの反対側(後側のカプセル)の人は後ろ向きのまま垂直に降りて行き、垂直に上る。
これがとても恐ろしい。
しかも回転しながら。
すごいスピードで縦に何回も回ると次第に回転が水平になっていく。
しかもカプセル自体が回転しながら。
もう恐怖のどん底である。
しかし不思議なもので遊園地に行くたびに乗りたくなる(怖くて乗らないが)。
さてリバプール・ビートルズだがビートルズに夢中な僕達にとってビートルズと名前がつけばなんでもOKである。
東京ビートルズは流石にバカにしていたがリバプールである。
聖地リバプールである。
期待は高まる。
あまり覚えていないがその他にも海外からのロックバンドが出た気がする。
日本からもブルージーンズや東京ビートルズ、内田裕也などが出たと思う。
しかし確かな記憶はリバプール・ビートルズだけである。
それも彼らの演奏能力の高さ、歌のうまさ、出す音の凄さなどに驚いた。
僕らにとってはビートルズであった。
後から聞いた話だが、馬鹿にしていた共演の日本のミュージシャンや聞きに来たミュージシャン達は一様に彼らの実力に度肝を抜かれたそうだ。
実はリバプール・ビートルズというバンド名は日本のプロモーターが勝手につけたもので、本当の名前はリバプール・ファイブと言い、向こうでは結構名前の通ったバンドであった。
liverpool_beatles.jpg
そして使用していた機材もビートルズと同じものであった。
あと覚えているのは帰りにアイスパレスの隣にあったホットドッグ・スタンドで興奮しながらホットドックを食べたことである。
ここはパンにソーセージだけが挟んであり、刻んだオニオンとピクルスを自分でのせて、マスタードとケチャップをかける本格派である。
おそらく球場があるためにアメリカを模して作られたと思う。
この日の思い出は初めて行ったコンサートとホットドッグである。
この後ベンチャーズが来日して大エレキブームが起こる。
このアイスパレスではその後も度々コンサートが開かれた。
思い出にあるのはアニマルズである。
アニマルズも素晴らしかった。
エリック・バートンのボーカルもすごいが、キーボードのアラン・プライスに驚いた。
なんと寝ながらオルガンを引いていた。
この後グループ・サウンズブームが来る。
後楽園には野外ステージがあり、ここに色々なグループがやって来た。
入園料を払えば誰でも見れる。
熱狂する女の子の後ろで冷静に見ていた僕ら。
特にスパイダーズが好きでよく見に行った。
後楽園球場はその後、有名ミュージシャンがステージに立った。
記憶にあるのはグランドファンク・レイルロードとエマーソン・レイク・アンド・パーマーである。
あまり人は知らないが後楽園は隠れたロックの聖地である。
♣︎5のコピー

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MEMORIES 1966年春

思い出表紙のコピー

その日の記憶はあまりない。
卒業式の謝恩会だ。
どう言う訳か僕らは謝恩会のステージで演奏することになった。
その過程は全く思い出せない。
不良の代名詞のエレキギターのバンドだ。
学校側がどうして許可したのか。
僕らの親が学校に要望する訳はないし、もしかするとマネージャーのようなことをしていたOが学校と交渉したのかもしれない。
Oは頭が良く、弁も立つので、学校から一目置かれていた。
とにかく出演も決まった。
朝からリードギターのK、ベースのA、ドラムのM、そしてサイドギターの僕はナーバスになっていた。
確かベンチャーズの曲を4、5曲演奏したと思う。
今まで人前で演奏したのは、Mの兄が時々主催していた喫茶店を借り切ってのダンスパーティーだけだ。
それも暗くて狭い場所。
謝恩会は体育館で行われる。
広く明るいステージ、たくさんの同級生とその父兄、そして教師だ。
頭の中が真っ白になっていた。
特に僕とドラムのMがひどかったと思う。
ドラムのMは興奮して走るし、僕は会場が見られず、自分の手元のコードだけを見ていた。
結果はわからない。
とにかく終わった。
中学の思い出といえば、ベンチャーズとビートルズが全てであった。
よくあれだけ毎日音楽に浸れたのか不思議である。
始まりは僕とKの出会いである。
中学に入学しバスケット部に入る。
そこには沢山の部員がいて練習もきつい。
そこでKと出逢う。
Kは180cm以上あり、有望そうであるが練習が好きではなさそうである。
私達は家が同じ方向なのでよく一緒に帰った。
話をするうちにKはギターを弾くことがわかった。
僕もクラッシックギターを家庭教師から習っていたので今度二人でギターデュオをやろうということになった。
近くの公園で初めて二人で「ワシントン広場の夜は更けて」を演奏した。
僕はギターコードをしらなかったのでKに教わり、Kがメロディーを弾く。
すごい快感であった。
僕達はバスケット部を辞めた。
やがてベンチャーズを練習するようになり、エレキギターを購入する。
二人だけでは物足りなくなり、ベースを始めたAとドラムセットを買ったばかりのMとでバンドは完成した。
毎日ベンチャーズのレコードを擦り切れるほど聴き、コピーする。
そして、自宅かKの家でKと二人で合わせ、その後全員でMの家で練習する。
なんとかエレキギターを買ってもらったが、高価なアンプまでは無理だった。
エレキギターはアンプがなければ音が出ない。
しかし方法はある。
当時はホームステレオ全盛で、各家に一台はあった。
大きな箱型で上部にはレコードプレーヤーが乗っており、下部の左右にスピーカーが入っている。
もちろんラジオも聞ける。
このステレオのマイクのジャックにエレキギターを差し込むとアンプがわりになる。
それを改良してジャックを二つにして友人と練習するのである。
音は小さいがなんとか使える。
ドラムのMの家はベアリング工場を経営していたので工場の一部を使って練習した。
このころ小さなアンプを手に入れた。
ベンチャーズはバンド演奏が楽しくてやっていたが、一人で聴く音楽はビートルズだ。
中二の時にラジオで流れた「抱きしめたい」は強烈なインパクトを中学生に与えた。
すぐにシングル盤「抱きしめたい」を買いにレコード店へ行く。
その頃は小さな町には必ずレコード店があった。
ケーキ屋や和菓子屋のように。
中学生が買えるのはシングル盤である。
確か300円か330円だったと思う。
LP盤にはステレオ版とモノラル盤がありモノラル版は1500円だった。
やがてLP「ミート・ザ・ビートルズ」が発売される。
(まだモノラル版でステレオになるのはハード・デイズ・ナイトから)
もちろん発売日にレコード店へ。
こうして毎日毎日ビートルズとベンチャーズの日々が続く。
3年ごろにフォーク・ブームがやってくる。
一応フォークギターにもちかえてPPMなどをコピーする。
歌の上手い子が同級生にいて、きゅうきょ謝恩会でKと彼女のバックをやることになった。
彼女は落ち着いて平常心で楽しんで歌っている。
彼女に乗せられて会場を見る余裕が出てきた。
これがぼくの中学時代の最後である。
バンドのメンバーは全員違う高校に進学した。
その後バンドのメンバーとは会っていない。

COCACOLAとVAN JacketとTHE VENTURESの日々 そしてBEATLES!

♣︎4のコピー

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MEMORIES 1965年秋

思い出表紙のコピー
「何歳?」「18歳」と僕。
「何年?」「イノシシ」僕。
ここは新宿にあるゴーゴークラブ(ディスコ)のチケット売り場。
僕は中学生なので入れない。
どう見ても18才には見えないが入れてくれる。
僕は中学ではベンチャーズのエレキバンドをやっている。
エレキギターを持っていると不良なので、友達が新宿へ遊びに行こうと誘う。
友達のYはコテコテのアイビーで学校では一番オシャレである。
Yは毎週末新宿へ年上の友達と行く。
僕は新宿を知らない。
Yについてタバコを買い、待ち合わせ場所の凮月堂へ行く。
僕はタバコを吸ったことがなかったが、パッケージがかっこいいのでロスマンズというイギリスのタバコを買う。
タバコは吸えないのでふかしているだけである。
やがてYの友達がやってくる。
彼は紀尾井町の料亭で働いている。
風月堂を出て二人について行く。
二人は歌舞伎町でナンパをするらしい。
僕は見ている。
二人は数回女の子に声をかけるが無視される。
三人組の女の子が歩いて来る。
今度は楽しそうに話している。
僕も一緒にみんなで喫茶店に入る。
女の子たちは3人とも銀座のクラブで働いている友達である。
僕は何を喋っていいのかわからず興奮してタバコばかりふかしている。
女の子達はこれから用があるのでY達は来週会う約束をしている。
喫茶店で別れて僕たちはトレビへ行く。
トレビはバンドが入っているクラブで18歳にならないと入れない。
中にトレビの泉が作られていた。
僕たちは吹き抜けの2階へ行く。
ここからバンドと踊り場が見える。
バンドは何組か入っていて僕はバンドの演奏に興味があった。
休憩がありその間に踊り場は女の子で一杯になる。
次に現れたのはとても垢抜けしたバンドでボーカルがメチャクチャかっこいい。
女の子は彼らが目当てであった。
関西弁でバンドはファニーズと言った。
のちのタイガースである。
初めて見たジュリーはオーラで輝いていた。
少し経つと店内で喧嘩が始まった。
僕たちはすぐに店を出る。
新宿には一晩中やっているジャズ喫茶がある。
「ヴィレッジ・ゲート」はとても入りやすく居心地の良いお店である。
あるときジャズ喫茶の「DIG」へ入ってしまった。
ここは本当にジャズを聴きに来るお客さんの店で、会話は禁止でとても居づらかった。
終電がなくなるので、二人を残し僕は駅に向かう。
新宿は中学生の僕にはとても刺激的な場所であった。
しかし自分とは違う場所のような気がして、その後はあまり行かなくなった。
僕には銀座や上野、浅草が楽しい。
新宿で遊んだのはこれが初めてで最後であった。
そして新宿はフーテンの街になっていく。
♠︎6のコピー


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MEMORIES 中央会堂

思い出表紙のコピー

先日、上野にトンカツを食べにいく途中、60年ぶりに卒園した幼稚園を尋ねました。
素通りしたことはありますが、今日は時間があるので中に入りました。
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何と入った瞬間、時間が止まり60年前にフラッシュバックしてしまいました。
有形文化財に指定され、現在も使用しながらそのまま保存されています。
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その幼稚園は本郷中央教会付属中央会堂幼稚園といい地下鉄本郷三丁目からすぐの本富士警察署の前にあります。
階段を上がり1階正面が幼稚園になっていて、中から子供達の声が聞こえます。
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周囲の写真を撮っていたら不審者に思われたらしく教会関係者と思われる中年の女性に声をかけられました。
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私が60年前の卒園生であることを告げると、とても喜び2階の礼拝堂へどうぞと案内してくれました。
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今日は日曜日なので10時半から日曜礼拝があるのでどうぞと代表者らしき人に紹介してくれました。
その方に了解を得て写真を撮らせてもらいました。
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いろいろお話をすると、その方と幼稚園、小学校、中学校、と同窓でした。
教会に集まっている人達の年齢は、まだ時間が早いせいか、皆さん70代以上と思われます。
卒園生ということでとても親切にしてくださり、コーヒーまで頂きました。
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代表の方のお話によると、最近イギリスから使われなくなったパイプオルガンを譲り受け2階席に設置したそうです。
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そのパイプオルガンの歴史とこの教会の歴史がほとんど同じで、とても感慨深いものがあったそうです。
私の思い出は写真にあるクリスマスです。おそらく劇なども演じた様な記憶があります。
それと鮮明に覚えていますが、運動場の奥にコンクリートの平屋の建物があり、そこにとても綺麗な苔が生えていました。それをはぎ取って持って帰ったこと、キンダーブックやチャイルドブックの発売日が待ち遠しかったことなどです。
遠足で横浜へ行ったこともなんとなく思い出します。
中央会堂-2
  クリスマス会の写真です。
  前列向かって左から3番目が私です。









本当に素晴らしい教会で、現在も現役で働いていることに敬意を表し、この幼稚園の卒園生であることに誇りを持ちました。
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上野のトンカツの話は又この次にしたいと思います。

♠︎10


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