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MEMORIES 1966年秋

思い出表紙のコピー2
「ツモ 2000、4000」
ソントンが和了(アガリ)した。
ソントンは高校の同級生でぼくより2歳上の18歳だ。
ソントンはピーナッツバターのソントンのトレードマークに似ているから皆ながソントンと呼ぶ。
年下の僕がソントンと呼んでも怒らない。
ぼくの高校は留年生がとても多い。
オマケに中学でも留年させるので文部省から文句が出るぐらいである。
クラスメイトのⅠは、なんと弟と同級生になってしまった。
ひとクラス50人の中で10人は留年している。
他の2人は同じ年のクラスメイトだ。
僕ら3人はまだ覚えたてなのでいつもⅠやソントンのカモである。
僕らの高校では麻雀が流行っているので、入学するやいなや麻雀の本を買って、ルールや役を覚える。
「KENICHI、明日面白いところへ連れて行ってあげるよ」とソントンが言う。
「どこへ行くの」「赤坂で8時に」「了解」結局、麻雀はソントンの独り勝ちであった。
今、僕は地下鉄丸ノ内線の赤坂見附の改札口にいる。
同級生2人とソントンと待ち合わせだ。
赤坂には家族と一緒に来たことはある。
子供の頃ホテルニュージャパンの一階にあるお店でフルーツポンチを食べたことが鮮明に記憶に残っている。
その他チマキ寿司を買いに来たり、日本蕎麦を食べに来たことがある程度だ。
日大三高の近くにある天ぷら蕎麦はとても美味しかった。
赤坂は8時を過ぎているのにとても賑やかだ。
みんなでTBSの前にある「アマンド」でコーヒーを飲む。
店内はとても明るく満席に近い。
「これから行くところは外人がいっぱいいるゴーゴークラブだ」「金髪の女の子がゴーゴーを踊っているよ」とソントン。僕らは固唾を飲んで聞いていた。
ゴーゴークラブには行ったことがあった。
新宿の薄汚いところで少年少女のたまり場である。
ここは赤坂、大人の街でなんと金髪の外人である。
僕らはアドレナリンが出まくり、急にトイレに行きたくなった。
ソントンは平然とし、僕らを見て楽しんでいる。
そこはロシア料理「マノス」というレストランであった。
中は薄暗くテープル席があり、踊れるフロアーがあった。
言った通り、金髪のミニスカートの外人が檻の中で踊っているではないか!
フロアーでも外人が踊っている。
男はスーツにネクタイが多い。
ひねた少年1人とどう見ても普通の少年3人をよく入れてくれたと思う。
もしかするとソントンのことを知っていたのかもしれない。
僕たち3人はテーブルで固まっていた。
ソントンが無理やり僕らを引っ張り出し、フロアーで踊ったような記憶もある。
その後店を出てソントンの知っている近くのスナックへ行った。
僕らはカウンターに座り、ソントンが飲み物を頼んでくれた。
口当たりの良い「カカオフィズ」で甘くあまり強くないカクテルであるが、お酒が弱い僕はのどが渇いていたので一気に飲んでしまった。
当然意識が薄れ、ソファーで寝かされた。
少し気分が良くなったのでみんなが心配してくれたが、タクシーを拾って家に戻った。
また興奮が蘇ってきて、なかなか寝付けない。
今まで知らなかった世界を垣間見て少し大人になったような気がした。
ソントンがとても大人に見えた1966年秋。

♣︎4のコピー済み

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MEMORIES 1970冬

思い出表紙のコピー2
「KENちゃん、こっち」、僕は従姉に呼び出された。
場所は「六本木クローバー」、店内はほぼ満席だ。
昨日電話で友達のKが僕にお願いがあるので8時にクローバーへ来てくれと言う。
僕が従姉の前に座り、コーヒーを頼むと同時に、足首まである黒のマントに黒のタートルネック、黒のミニスカートのKが息を切らせて階段を上がってきた。
Kは15歳だ。
挨拶はするがちゃんと話したことはない。
「KENちゃん、お願いがあるの、人形を貸してもらえるかしら」とK。
昨日の従姉の電話は学校の美術の提出物が出来ていないので僕が以前、従姉に見せたスズキ・コージ風の人形を思いだし、Kのために貸してもらえないかというものであった。
この人形はコーラなどのビンに紙粘土を巻き付け造形して絵具で彩色をし、乾燥したらラッカーを塗って終了なので、とても簡単なため何体も作った。
主に個性的なジャズミュージシャンやロッカー達が題材になった。
「いいよ、今度家にきて選んで」と言ったところで従姉は待ち合わせがあるといって席を立った。
僕は年下の女の子と何を話してよいかわからず、日常会話をした。
わかったことは映画、本、音楽などの知識は相当なもので、僕らはすぐにうちとけた。
もっと話したかったが、Kが父親と待ち合わせをしているので、次の土曜日に目白の「カフェ水野」で合う約束をする。
「カフェ水野」はちょうど僕たちの家の中間にあり、高校時代からよく利用していた。
Kも仲間とよく行くらしい。
「カフェ水野」は目白のはずれ、田中角栄宅の前にあり、とても不便な場所にもかかわらず、日本女子大の学生、OG、遠くから来る常連さんで賑わう。
24時間営業なので夜中もにぎやかである。
ガラス張りの建物の1階にあり、2階は兄弟の服飾デザイナー正夫夫婦のアトリエである。
窓際の席が空いていたのでコーヒーを飲み、外を眺めていたらKがきた。
僕の家に行き、人形を選ぶ。
やはりスズキコージ風の魔女を選んだ。
僕の家は本郷でKは西落合。彼女の家まではちょっとしたドライブである。
車の中でいろいろ話しているうちにいろいろわかった。
Kの母親はT音楽大学のピアノ科の教授である。
偶然、私の母の親戚もT音楽大学のピアノ科の教授で、Kに聞いたら友人であった。
Kの家は瀟洒な住宅街の奥にあり、とても静かなところである。
古いがとても洒落た別荘風の建物で、すぐにKの母親Tが出てきた。
玄関のすぐ脇はTの仕事部屋で30畳位の広い部屋に、スタインウエイとヤマハのグランドピアノがおいてある。
ここでいろいろお話をした。
Tはヘビースモーカーで灰皿はポール・モールの吸い殻の山である。
Tと母親の親戚のMとはとても親しく仲が良いらしい。
Kの部屋は二階にありペントハウスになっていて、天井は屋根の傾斜そのままで低い。
古いがとてもすてきな造りで、入り口のドアーに「去年マリエンバードで」のポスターが貼ってある。
「どんな映画?」
「兄が貼ったのでよく知らないけど、とても難解みたい」
「タイトルがすてきだね」
「観てみたいわ」
Kはストーブをつけた。
屋根の傾斜に沿った窓からは冬枯れた庭が見える。
庭の所々にオブジェが配置されているのがわかる。
Kはピンクフロイドの「原子心母」をかけた。
僕たちはKの本棚にある本について語った。
Kはマンディアルグが大好きで兄の影響が強いと言っていた。
次にKはスリードックナイトの「It Ain't Easy」をかけた。
とても印象的な曲が入っていた。
「Your Song」エルトン・ジョンの曲であった。
Kの部屋はとても居心地がいい。
このままだと夜が明けてしまうのでTに挨拶してKと「カフェ水野」で会う事を約束して帰る。
とても素敵な予感がする。
空を見上げると星が沢山瞬いていた。

♣︎9

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MEMORIES 1969春

思い出表紙のコピー2

僕はダットサンフェアレディを運転して皇居前を走っている。
となりにPを乗せて。
やっとフェアレディをスムーズに走らせることが出来た。
ダブルクラッチを踏んで回転数を合わせないとスムーズにつながらない。
初めはとても苦労した。
しかし不安はそればかりではない。
僕の免許は軽免許なのだ。
16歳で取れる軽免許は360ccまでの車しか乗れない。
つまり無免許だ。
Pの顔を見る。
春風に髪をもてあそばれ、とても気持ち良さそう。
僕の不安は消し飛ぶ。
1週間前、従姉にソニービルの「カーディナル」に呼び出された。
従姉はロックバンドのボーカルとつき合っており、そこにいたPはリーダーと、Mはベースとつき合っていた。
僕がなんで呼ばれたかはわからないが、とても楽しかった。
従姉とMは何処かへ出かけ、僕とPは家の方向が同じなので一緒に帰る。
Pはとても魅力的で一緒に歩いているだけで嬉しい。
Pは茗荷谷のとても大きい家に家族と住んでいる。
良く解らないうちにPの部屋で今つき合っているリーダーの女性関係の話を聞いている。
Pは同じ大学の「ジャックス」の「空っぽの世界」を何十回もかける。
とても不思議な曲で洋楽しか聞かなかった僕にはとても新鮮だった。
しかし歌詞の内容が、とてもシュールで自殺や死後の世界を歌っている様な気がして、Pがとても悩んでいることがわかった。
僕はPと一緒にいたいので運転手になる。
学校が終わるとすぐにPの家に行く。
ある日、神宮前にあるブッテック「ドリアングレイ」に出来上がったスラックスを取りに行った。
とても不思議なお店で全体的に濃い紫のインテリアで宇野亜喜良さんの人形も置いてある。
店内を見ていると試着室からPが「似合う?」と出てきた。
僕は一瞬戸惑った。
Pが履いていたスラックスは何と裾が少し広がっている。
僕はソウルマンだ。
ズボンは細身でなくてはならない、が出てきた言葉は「すごく似合う」だ。
それから半年後にはパンタロンとなり大流行する。
よく原宿に行った。
「レオン」でコーヒーを飲み、「マドモアゼル・ノンノン」や靴屋の「ブティック・オオサキ」へ行く。
レオンはセントラルアパートの一階にあり、当時のスノッブのたまり場である。
広告関係、写真関係、ファッション関係の人達が集まる特に特徴のない喫茶店である。
セントラルアパートはすべての情報発信基地である。
荒牧太郎さんの「マドモアゼル・ノンノン」は当時一番流行っていたブティックで、レディスのお店だが男も女もマドモアゼル・ノンノンのロゴが入ったボーダーのT−シャツを着ていた。
車が日比谷を通るとPは「日劇の5階よ」と言った。
Pは姉の付き人を始めた。姉はシャンソン歌手で今、日劇のミュージックホールに出演している。
日劇ミュージックホールはトップレスのダンサーがレヴューをおこなう。
その幕間にコントをやったり、歌手が歌ったりする。
Pの姉は幕間にシャンソンを歌うのである。
姉は楽屋を一つもっておりPはそこで色々手伝う。
私はそこで何をするのかわからないが一緒について行く。
「お友達のKENちゃん」「はじめまして、よろしくお願いします」「どうぞ、そこに座って」僕は何をして良いかわからず5階の窓から有楽町を見ていた。
「お昼何食べる? アマンドの海老フライでいい?」じゃ電話して。
悪いはずがない。
アマンドの海老フライがこんなにおいしいとは思わなかった。
姉はステージのためお化粧を始め、Pが手伝う。
着替えのために僕は部屋から出る。
部屋の前の廊下は狭く、ここをトップレスのダンサーが行ったり来たりする。
僕は1人で緊張していた。
コントをやる矮人の人達も通る。
姉の出番だ。
舞台の裾から覗く。
姉は堂々として、歌がうまく、美しい。
歌の中に引き込まれる。
楽屋に戻り僕はお茶を入れた。
これから何回かステージがある。
居場所のない僕はPに後で迎えにくると行って銀座の町に出た。
銀座の空気がとても新鮮に感じた。
小さいころから来ている銀座の町がとても愛おしく思える。
4丁目を新橋方面に向かう。
銀座ヤマハへ行きピアフのレコードを買うために。

♥︎7済みのコピー


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MEMORIES 1968冬

思い出表紙のコピー
「KENICHI、バニラファッジのキープ・ミー・ハンギング・オン聞いた?」今一番親しい友人のJがカツライスのお皿を持って私の隣に座る。
今は昼休み、高校のカフェテリアでカレーライスを食べていた私は「すごくいいね,ベースがいいよ」と昨日見たTVゴーゴーフラバルーを思い出していた。
ボクは音楽にはうるさい。
小学校の時ゲルマニウムラジオを買ってもらい偶然FENから流れて来たアメリカンポップスに目覚めた。その後中学のときにビートルズの洗礼に会いそれからはビートルズ一筋,そしてダンスの時はR&B,モータウン、アトランティク両方大好きだ。
今はスペンサー・デイヴィスグループ、ヤング・ラスカルズ、プロコル・ハルムにどっぷり浸かっている。
「今度桧町にゴールデンジェイルと言う新しい店がオープンするんだ、今週ギロチンの後で行ってみようよ」とJ。
僕らの学校は週休二日制で土日が休みなので金曜日の夜は乃木坂にあるギロチンという今で言うディスコに集まる。
ここで踊って六本木にあった「レオス」という24時間営業のロシアンレストランへ行くのが通常のコースである。
金曜日、リーバイスのブラックジーンズにチルデンセーター,ダッフルコートを着てギロチン到着。
すでに5〜6人の友人が来ていた。
顔見知りの女の子と2~3曲踊っていたらJが来た。
何と玉虫色に光る紺のツーピースでもちろん襟は極細、スラックスは超スリムの黒人仕様である。
ネクタイも極細の水玉である。
カッコいい!
「今日初めて着たんだよ、お袋に頼んで作ってもらったんだ」Jはすごい。
バーバーリーのトレンチの裏にウサギの毛皮が付いているのを見たことがある。
1時間ほどして混んで来たのでみんなで「ゴールデンジェイル」へ行くことにした。
お決まりのブラックライトの中、正面のステージでバンドが「ブラック・イズ・ブラック」を演奏していた。
入りは半分位、シートに座ってJ達と聞いていた。
バンドがスローな「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ」を弾き始めた。
来たときに目をつけていた同い年位の女の子とチークを踊る。
色々スローな良い曲があるが極めつけは「青い影」である。
この曲で踊る時、相手はどんな子でも最高になる。
その後2〜3曲踊り「レオス」へ行く。
「レオス」へ行く時は男だけという暗黙の了解がある。
「レオス」にはジューク・ボックスがあり、すぐにAがコインを入れる。
ワンフレーズ聞いて戦慄が走る。
「A、何をかけたの?ゲーリー・ブルッカーの声みたいだけれど」
「プロコル・ハルムのハンバーグだよ」とA。
プロコル・ハルムのLPは持っているが「ハンバーグ」は入っていない。
後でわかったことだがレコード会社の関係で「ハンバーグ」が入っているものと、「青い影が」入っているものと二種類あった。
「ハンバーグ」は「青い影」に勝るとも劣らない名曲である。
「KENICHI、言っておくけれど、ハンバーグステーキじゃないよ。
ハンブルグ帽子のことだよ」とAは教えてくれた。
「KENICHI何かける?」とJ。
すかさず「タイトゥン・アップ」と僕。
この曲はヒューストンのアーチー・ベル&ザ・ドレルズがヒットさせたダンサブルなナンバー。
レオスでピロシキを食べて解散である。
家に帰る友人もいれば他の店にいく友人もいる。
僕は一人で溜池方面に歩いていく。
僕の従姉の同級生の親がやっている「円盤」という店があるからである。
僕の秘密の場所、誰にも教えない。
ここで僕と同い年の娘Mが手伝っている。
靴を脱いで絨毯の上で踊るこの時代特有のスナックである。
もちろん音楽はジューク・ボックスである。
溜池にはこの様なお店が多い。
階段を下りドアーを開けると、母親やM姉妹が「KENちゃんしばらく、元気?」と迎えてくれる。
中では常連のHさんがジェームス・ブラウンの「パパのニューバッグ」にあわせて華麗なステップを踏んでいる。
Hさんは横浜の「レッド・シューズ」などから黒人のステップを持って来て教えてくれる。
僕は座ってMと話をする。
Mは熱狂的なビートルズマニアでポール命である。
ハードデイズナイトを僕は12回見たが、Mは60回である。
Mはフランソワーズ・サガンが好きであるが僕はマルグリット・デュラスが好きである。
「聖少女は気に入った?」
僕はサガン好きのMに倉橋由美子の聖少女を貸したのだった。
「もう最高!日本のサガンね」。
その後「男と女のいる舗道」のアンナ・カリーナや「悲しみよこんにちは」のジーン・セバーグが良いとか「野いちご」のイングリッド・チューリンが最高だ、「突然炎のごとく」のジャンヌ・モローはやっぱりすごいなど映画の話をした。
Hさんは踊りっぱなしである。
ジューク・ボックスからはジミ・ヘンドリックスの「紫の煙」が流れてきた。
Hさんはどんな曲でも踊る。
僕はジミ・ヘンドリックスの「風の中のマリー」がとても好きだ。
この曲だけで彼のシンガーソングライターとしての素質がわかる。
「今度の日曜日はなにしているの」と僕。
「僕の大好きなマンディアルグの小説オートバイが映画化されて、ミック・ジャガーの恋人のマリアンヌ・フェイスフルが主演しているんだ、閑だったら行かない?」
「絶対行く」とM。
Hさんは「ドッグ・オブ・ザ・ベイ」で気持ち良さそうに踊っている。
Mは明日早いから先に帰ると言って、僕に微笑んで出て行った。
何処の映画館かな?
僕はデートコースを幾つか持っている。
お茶の水は特に好きな場所で、「アテネフランセ」があるからかとても雰囲気が良い。
「レモン」か「コペンハーゲン」でお茶をして、楽器屋や本屋を廻る。
表参道から「オリエンタルバザー」や「キディランド」を覗き、「レオン」か「ルートファイブ」でお茶、コーポオリンピアの地下のソーダファウンテンでもよい、足を伸ばして明治神宮。
渋谷は今で言う公園通り、「コロンバン」か「ジロー」でお茶、そのまま原宿へ。
日比谷公園からみゆき通り、「ジュリアンソレル」か「凮月堂」でお茶。
有栖川公園から「ナショナル・マーケット」、浅草雷門から仲見世を通り千束、上野公園から不忍池へなどのレパートリーがある。
一人でMと何処へ行こうか考えていたら、Hさんが皆にハマジル(横浜ジルバ)やスカマン(横須賀マンボ)を教えてくれた。
曲はボビー・ムーアの「サーチン・フォー・マイ・ラブ」がぴったりだ。
皆に「おやすみ」をして僕はドアーを開け階段を上り、まだ帳が上がらない街に出た。
冷たい冷気が僕を包む。
ダッフルコートのフードをかぶり歩き始める1968の冬。

♥︎6


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MEMORIES 1967秋

思い出表紙のコピー2
僕は渋谷のジャズ喫茶にいる。
流れているのはリー・モーガンのサイドワインダー。ブルーノートの好きなアルバムである。
僕は時々ここに来る。
ここ「スウィング」は百軒店の一番奥にあるお店で、ジャズ喫茶の中ではとてもゆるいお店で居心地が良い。
スィング
他の老舗などはハードなジャズファンが多く、とてもギスギスしていて敷居が高い。
コーヒー1杯で2時間ぐらいは聞いている。
この店は水槽でヤマメ(岩魚?)を飼っているのが面白い。
さらにウェイトレスのお姉さんが魅力的だ。
当時流行っていたボサノバやJacques Loussier「Play Bach」、Dave Brubeck「Time Out」などを聞いていた僕が初めてジャズに興味をもったのはMJQ「THE COMEDY」というアルバムのジャケットがあまりにも素敵だったのでジャケ買いしてしまった時からだ。
MJQ.jpg
MJQがクールジャズを代表するバンドでリーダーのジョン・ルイスが西洋音楽にインスパイアされて作られた意欲作というのは後で知ったことで、ミルト・ジャクソンのバイブの美しさにこれがジャズかと思った。
しかしメインストリームのジャズは全く違うものだった。
僕はビートルズ・R&B世代でジャズに違和感はなく、特にリクエストではあまりいい顔されないファンキーなJimmy SmithやRamsey Lewisが好きだ。
ジャズ喫茶ではいけないことだが体が動いてしまう。
次第にメロディアスな曲、Cannonball Adderleyの「Mercy, Mercy, Mercy」、Herbie Hancock「Maiden Voyage」、Mal Waldron「Left Alone」、Miles Davis「アランフェス協奏曲」などが好きになり、John Coltraneの「My Favorite Things」を聞いてジャズの素晴らしさを認識する。
そして「 A Love Supreme」でJohn Coltrane信者になってしまう。
もう一人ジャズの素晴らしさを教えてくれたのがThelonious Monkだ。
「Round About Midnight」を聞いて心が洗われる。
楽器ではピアノとサックスが好きになったのでロックを聴く時もサックスが入っていると笑みがこぼれる。
トラフィック、マザース・オブ・インヴェンション、ブラッド・スウェト・アンド・ティアーズ、などは最高だ。
ジャズを聴いていたからかどうかわからないがプログレも好きになった。
その後ジャズ喫茶にはいかなくなり、家でレコード(ロック)を聴く時間が長くなった。
今思うと、渋谷のそれも道玄坂にある百軒店はとても特殊な場所で、魑魅魍魎が蠢く異界であった。
その奥のどん詰まりのところにあるドアーを開けた自分の好奇心に驚いている。
この店はずいぶん前になくなってしまったが目を閉じて扉を開けるといつも大きな音でCharlie ParkerがSonny RollinsがJohn Coltraneがそして大好きなCharles Lloydのサックスがスウィングしている。
♣︎13のコピー


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