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MEMORIES 1968冬

思い出表紙のコピー
「KENICHI、バニラファッジのキープ・ミー・ハンギング・オン聞いた?」今一番親しい友人のJがカツライスのお皿を持って私の隣に座る。
今は昼休み、高校のカフェテリアでカレーライスを食べていた私は「すごくいいね,ベースがいいよ」と昨日見たTVゴーゴーフラバルーを思い出していた。
ボクは音楽にはうるさい。
小学校の時ゲルマニウムラジオを買ってもらい偶然FENから流れて来たアメリカンポップスに目覚めた。その後中学のときにビートルズの洗礼に会いそれからはビートルズ一筋,そしてダンスの時はR&B,モータウン、アトランティク両方大好きだ。
今はスペンサー・デイヴィスグループ、ヤング・ラスカルズ、プロコル・ハルムにどっぷり浸かっている。
「今度桧町にゴールデンジェイルと言う新しい店がオープンするんだ、今週ギロチンの後で行ってみようよ」とJ。
僕らの学校は週休二日制で土日が休みなので金曜日の夜は乃木坂にあるギロチンという今で言うディスコに集まる。
ここで踊って六本木にあった「レオス」という24時間営業のロシアンレストランへ行くのが通常のコースである。
金曜日、リーバイスのブラックジーンズにチルデンセーター,ダッフルコートを着てギロチン到着。
すでに5〜6人の友人が来ていた。
顔見知りの女の子と2~3曲踊っていたらJが来た。
何と玉虫色に光る紺のツーピースでもちろん襟は極細、スラックスは超スリムの黒人仕様である。
ネクタイも極細の水玉である。
カッコいい!
「今日初めて着たんだよ、お袋に頼んで作ってもらったんだ」Jはすごい。
バーバーリーのトレンチの裏にウサギの毛皮が付いているのを見たことがある。
1時間ほどして混んで来たのでみんなで「ゴールデンジェイル」へ行くことにした。
お決まりのブラックライトの中、正面のステージでバンドが「ブラック・イズ・ブラック」を演奏していた。
入りは半分位、シートに座ってJ達と聞いていた。
バンドがスローな「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ」を弾き始めた。
来たときに目をつけていた同い年位の女の子とチークを踊る。
色々スローな良い曲があるが極めつけは「青い影」である。
この曲で踊る時、相手はどんな子でも最高になる。
その後2〜3曲踊り「レオス」へ行く。
「レオス」へ行く時は男だけという暗黙の了解がある。
「レオス」にはジューク・ボックスがあり、すぐにAがコインを入れる。
ワンフレーズ聞いて戦慄が走る。
「A、何をかけたの?ゲーリー・ブルッカーの声みたいだけれど」
「プロコル・ハルムのハンバーグだよ」とA。
プロコル・ハルムのLPは持っているが「ハンバーグ」は入っていない。
後でわかったことだがレコード会社の関係で「ハンバーグ」が入っているものと、「青い影が」入っているものと二種類あった。
「ハンバーグ」は「青い影」に勝るとも劣らない名曲である。
「KENICHI、言っておくけれど、ハンバーグステーキじゃないよ。
ハンブルグ帽子のことだよ」とAは教えてくれた。
「KENICHI何かける?」とJ。
すかさず「タイトゥン・アップ」と僕。
この曲はヒューストンのアーチー・ベル&ザ・ドレルズがヒットさせたダンサブルなナンバー。
レオスでピロシキを食べて解散である。
家に帰る友人もいれば他の店にいく友人もいる。
僕は一人で溜池方面に歩いていく。
僕の従姉の同級生の親がやっている「円盤」という店があるからである。
僕の秘密の場所、誰にも教えない。
ここで僕と同い年の娘Mが手伝っている。
靴を脱いで絨毯の上で踊るこの時代特有のスナックである。
もちろん音楽はジューク・ボックスである。
溜池にはこの様なお店が多い。
階段を下りドアーを開けると、母親やM姉妹が「KENちゃんしばらく、元気?」と迎えてくれる。
中では常連のHさんがジェームス・ブラウンの「パパのニューバッグ」にあわせて華麗なステップを踏んでいる。
Hさんは横浜の「レッド・シューズ」などから黒人のステップを持って来て教えてくれる。
僕は座ってMと話をする。
Mは熱狂的なビートルズマニアでポール命である。
ハードデイズナイトを僕は12回見たが、Mは60回である。
Mはフランソワーズ・サガンが好きであるが僕はマルグリット・デュラスが好きである。
「聖少女は気に入った?」
僕はサガン好きのMに倉橋由美子の聖少女を貸したのだった。
「もう最高!日本のサガンね」。
その後「男と女のいる舗道」のアンナ・カリーナや「悲しみよこんにちは」のジーン・セバーグが良いとか「野いちご」のイングリッド・チューリンが最高だ、「突然炎のごとく」のジャンヌ・モローはやっぱりすごいなど映画の話をした。
Hさんは踊りっぱなしである。
ジューク・ボックスからはジミ・ヘンドリックスの「紫の煙」が流れてきた。
Hさんはどんな曲でも踊る。
僕はジミ・ヘンドリックスの「風の中のマリー」がとても好きだ。
この曲だけで彼のシンガーソングライターとしての素質がわかる。
「今度の日曜日はなにしているの」と僕。
「僕の大好きなマンディアルグの小説オートバイが映画化されて、ミック・ジャガーの恋人のマリアンヌ・フェイスフルが主演しているんだ、閑だったら行かない?」
「絶対行く」とM。
Hさんは「ドッグ・オブ・ザ・ベイ」で気持ち良さそうに踊っている。
Mは明日早いから先に帰ると言って、僕に微笑んで出て行った。
何処の映画館かな?
僕はデートコースを幾つか持っている。
お茶の水は特に好きな場所で、「アテネフランセ」があるからかとても雰囲気が良い。
「レモン」か「コペンハーゲン」でお茶をして、楽器屋や本屋を廻る。
表参道から「オリエンタルバザー」や「キディランド」を覗き、「レオン」か「ルートファイブ」でお茶、コーポオリンピアの地下のソーダファウンテンでもよい、足を伸ばして明治神宮。
渋谷は今で言う公園通り、「コロンバン」か「ジロー」でお茶、そのまま原宿へ。
日比谷公園からみゆき通り、「ジュリアンソレル」か「凮月堂」でお茶。
有栖川公園から「ナショナル・マーケット」、浅草雷門から仲見世を通り千束、上野公園から不忍池へなどのレパートリーがある。
一人でMと何処へ行こうか考えていたら、Hさんが皆にハマジル(横浜ジルバ)やスカマン(横須賀マンボ)を教えてくれた。
曲はボビー・ムーアの「サーチン・フォー・マイ・ラブ」がぴったりだ。
皆に「おやすみ」をして僕はドアーを開け階段を上り、まだ帳が上がらない街に出た。
冷たい冷気が僕を包む。
ダッフルコートのフードをかぶり歩き始める1968の冬。

♥︎6


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MEMORIES 1967秋

思い出表紙のコピー2
僕は渋谷のジャズ喫茶にいる。
流れているのはリー・モーガンのサイドワインダー。ブルーノートの好きなアルバムである。
僕は時々ここに来る。
ここ「スウィング」は百軒店の一番奥にあるお店で、ジャズ喫茶の中ではとてもゆるいお店で居心地が良い。
スィング
他の老舗などはハードなジャズファンが多く、とてもギスギスしていて敷居が高い。
コーヒー1杯で2時間ぐらいは聞いている。
この店は水槽でヤマメ(岩魚?)を飼っているのが面白い。
さらにウェイトレスのお姉さんが魅力的だ。
当時流行っていたボサノバやJacques Loussier「Play Bach」、Dave Brubeck「Time Out」などを聞いていた僕が初めてジャズに興味をもったのはMJQ「THE COMEDY」というアルバムのジャケットがあまりにも素敵だったのでジャケ買いしてしまった時からだ。
MJQ.jpg
MJQがクールジャズを代表するバンドでリーダーのジョン・ルイスが西洋音楽にインスパイアされて作られた意欲作というのは後で知ったことで、ミルト・ジャクソンのバイブの美しさにこれがジャズかと思った。
しかしメインストリームのジャズは全く違うものだった。
僕はビートルズ・R&B世代でジャズに違和感はなく、特にリクエストではあまりいい顔されないファンキーなJimmy SmithやRamsey Lewisが好きだ。
ジャズ喫茶ではいけないことだが体が動いてしまう。
次第にメロディアスな曲、Cannonball Adderleyの「Mercy, Mercy, Mercy」、Herbie Hancock「Maiden Voyage」、Mal Waldron「Left Alone」、Miles Davis「アランフェス協奏曲」などが好きになり、John Coltraneの「My Favorite Things」を聞いてジャズの素晴らしさを認識する。
そして「 A Love Supreme」でJohn Coltrane信者になってしまう。
もう一人ジャズの素晴らしさを教えてくれたのがThelonious Monkだ。
「Round About Midnight」を聞いて心が洗われる。
楽器ではピアノとサックスが好きになったのでロックを聴く時もサックスが入っていると笑みがこぼれる。
トラフィック、マザース・オブ・インヴェンション、ブラッド・スウェト・アンド・ティアーズ、などは最高だ。
ジャズを聴いていたからかどうかわからないがプログレも好きになった。
その後ジャズ喫茶にはいかなくなり、家でレコード(ロック)を聴く時間が長くなった。
今思うと、渋谷のそれも道玄坂にある百軒店はとても特殊な場所で、魑魅魍魎が蠢く異界であった。
その奥のどん詰まりのところにあるドアーを開けた自分の好奇心に驚いている。
この店はずいぶん前になくなってしまったが目を閉じて扉を開けるといつも大きな音でCharlie ParkerがSonny RollinsがJohn Coltraneがそして大好きなCharles Lloydのサックスがスウィングしている。
♣︎13のコピー


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MEMORIES 1964年秋

思い出表紙のコピー
僕は友人と後楽園アイスパレスにいた。
リバプールから来たバンド「リバプール・ビートルズ」を見るために。
僕の家から後楽園までは歩いて20分ほどで行ける。
当時後楽園には遊園地の他に競輪場、野球場と卓球場、アイススケート場、ローラースケート場があった。
子供のころはジェットコースターがとても怖いけど好きだった。
ここでトラウマになった乗り物がある。
名前は「ロケット」が付いたような気がする。
これは卵を半分にしたようなカプセルに一人か二人乗り、それが隣り合わせに前後についている。
これで卵形になる。
それがもう一つ180度反対側にもう一つついている(カプセルが計4個)。
それがアームで繋がれていて地面に垂直になる。
したがって下のカプセルに人が乗るときにはもう一つのカプセルは真上にある。
この瞬間もとても怖いがさらに真下に降りながらカプセル自体も回転する。
カプセルの反対側(後側のカプセル)の人は後ろ向きのまま垂直に降りて行き、垂直に上る。
これがとても恐ろしい。
しかも回転しながら。
すごいスピードで縦に何回も回ると次第に回転が水平になっていく。
しかもカプセル自体が回転しながら。
もう恐怖のどん底である。
しかし不思議なもので遊園地に行くたびに乗りたくなる(怖くて乗らないが)。
さてリバプール・ビートルズだがビートルズに夢中な僕達にとってビートルズと名前がつけばなんでもOKである。
東京ビートルズは流石にバカにしていたがリバプールである。
聖地リバプールである。
期待は高まる。
あまり覚えていないがその他にも海外からのロックバンドが出た気がする。
日本からもブルージーンズや東京ビートルズ、内田裕也などが出たと思う。
しかし確かな記憶はリバプール・ビートルズだけである。
それも彼らの演奏能力の高さ、歌のうまさ、出す音の凄さなどに驚いた。
僕らにとってはビートルズであった。
後から聞いた話だが、馬鹿にしていた共演の日本のミュージシャンや聞きに来たミュージシャン達は一様に彼らの実力に度肝を抜かれたそうだ。
実はリバプール・ビートルズというバンド名は日本のプロモーターが勝手につけたもので、本当の名前はリバプール・ファイブと言い、向こうでは結構名前の通ったバンドであった。
liverpool_beatles.jpg
そして使用していた機材もビートルズと同じものであった。
あと覚えているのは帰りにアイスパレスの隣にあったホットドッグ・スタンドで興奮しながらホットドックを食べたことである。
ここはパンにソーセージだけが挟んであり、刻んだオニオンとピクルスを自分でのせて、マスタードとケチャップをかける本格派である。
おそらく球場があるためにアメリカを模して作られたと思う。
この日の思い出は初めて行ったコンサートとホットドッグである。
この後ベンチャーズが来日して大エレキブームが起こる。
このアイスパレスではその後も度々コンサートが開かれた。
思い出にあるのはアニマルズである。
アニマルズも素晴らしかった。
エリック・バートンのボーカルもすごいが、キーボードのアラン・プライスに驚いた。
なんと寝ながらオルガンを引いていた。
この後グループ・サウンズブームが来る。
後楽園には野外ステージがあり、ここに色々なグループがやって来た。
入園料を払えば誰でも見れる。
熱狂する女の子の後ろで冷静に見ていた僕ら。
特にスパイダーズが好きでよく見に行った。
後楽園球場はその後、有名ミュージシャンがステージに立った。
記憶にあるのはグランドファンク・レイルロードとエマーソン・レイク・アンド・パーマーである。
あまり人は知らないが後楽園は隠れたロックの聖地である。
♣︎5のコピー

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MEMORIES 1966年春

思い出表紙のコピー

その日の記憶はあまりない。
卒業式の謝恩会だ。
どう言う訳か僕らは謝恩会のステージで演奏することになった。
その過程は全く思い出せない。
不良の代名詞のエレキギターのバンドだ。
学校側がどうして許可したのか。
僕らの親が学校に要望する訳はないし、もしかするとマネージャーのようなことをしていたOが学校と交渉したのかもしれない。
Oは頭が良く、弁も立つので、学校から一目置かれていた。
とにかく出演も決まった。
朝からリードギターのK、ベースのA、ドラムのM、そしてサイドギターの僕はナーバスになっていた。
確かベンチャーズの曲を4、5曲演奏したと思う。
今まで人前で演奏したのは、Mの兄が時々主催していた喫茶店を借り切ってのダンスパーティーだけだ。
それも暗くて狭い場所。
謝恩会は体育館で行われる。
広く明るいステージ、たくさんの同級生とその父兄、そして教師だ。
頭の中が真っ白になっていた。
特に僕とドラムのMがひどかったと思う。
ドラムのMは興奮して走るし、僕は会場が見られず、自分の手元のコードだけを見ていた。
結果はわからない。
とにかく終わった。
中学の思い出といえば、ベンチャーズとビートルズが全てであった。
よくあれだけ毎日音楽に浸れたのか不思議である。
始まりは僕とKの出会いである。
中学に入学しバスケット部に入る。
そこには沢山の部員がいて練習もきつい。
そこでKと出逢う。
Kは180cm以上あり、有望そうであるが練習が好きではなさそうである。
私達は家が同じ方向なのでよく一緒に帰った。
話をするうちにKはギターを弾くことがわかった。
僕もクラッシックギターを家庭教師から習っていたので今度二人でギターデュオをやろうということになった。
近くの公園で初めて二人で「ワシントン広場の夜は更けて」を演奏した。
僕はギターコードをしらなかったのでKに教わり、Kがメロディーを弾く。
すごい快感であった。
僕達はバスケット部を辞めた。
やがてベンチャーズを練習するようになり、エレキギターを購入する。
二人だけでは物足りなくなり、ベースを始めたAとドラムセットを買ったばかりのMとでバンドは完成した。
毎日ベンチャーズのレコードを擦り切れるほど聴き、コピーする。
そして、自宅かKの家でKと二人で合わせ、その後全員でMの家で練習する。
なんとかエレキギターを買ってもらったが、高価なアンプまでは無理だった。
エレキギターはアンプがなければ音が出ない。
しかし方法はある。
当時はホームステレオ全盛で、各家に一台はあった。
大きな箱型で上部にはレコードプレーヤーが乗っており、下部の左右にスピーカーが入っている。
もちろんラジオも聞ける。
このステレオのマイクのジャックにエレキギターを差し込むとアンプがわりになる。
それを改良してジャックを二つにして友人と練習するのである。
音は小さいがなんとか使える。
ドラムのMの家はベアリング工場を経営していたので工場の一部を使って練習した。
このころ小さなアンプを手に入れた。
ベンチャーズはバンド演奏が楽しくてやっていたが、一人で聴く音楽はビートルズだ。
中二の時にラジオで流れた「抱きしめたい」は強烈なインパクトを中学生に与えた。
すぐにシングル盤「抱きしめたい」を買いにレコード店へ行く。
その頃は小さな町には必ずレコード店があった。
ケーキ屋や和菓子屋のように。
中学生が買えるのはシングル盤である。
確か300円か330円だったと思う。
LP盤にはステレオ版とモノラル盤がありモノラル版は1500円だった。
やがてLP「ミート・ザ・ビートルズ」が発売される。
(まだモノラル版でステレオになるのはハード・デイズ・ナイトから)
もちろん発売日にレコード店へ。
こうして毎日毎日ビートルズとベンチャーズの日々が続く。
3年ごろにフォーク・ブームがやってくる。
一応フォークギターにもちかえてPPMなどをコピーする。
歌の上手い子が同級生にいて、きゅうきょ謝恩会でKと彼女のバックをやることになった。
彼女は落ち着いて平常心で楽しんで歌っている。
彼女に乗せられて会場を見る余裕が出てきた。
これがぼくの中学時代の最後である。
バンドのメンバーは全員違う高校に進学した。
その後バンドのメンバーとは会っていない。

COCACOLAとVAN JacketとTHE VENTURESの日々 そしてBEATLES!

♣︎4のコピー

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MEMORIES 1965年秋

思い出表紙のコピー
「何歳?」「18歳」と僕。
「何年?」「イノシシ」僕。
ここは新宿にあるゴーゴークラブ(ディスコ)のチケット売り場。
僕は中学生なので入れない。
どう見ても18才には見えないが入れてくれる。
僕は中学ではベンチャーズのエレキバンドをやっている。
エレキギターを持っていると不良なので、友達が新宿へ遊びに行こうと誘う。
友達のYはコテコテのアイビーで学校では一番オシャレである。
Yは毎週末新宿へ年上の友達と行く。
僕は新宿を知らない。
Yについてタバコを買い、待ち合わせ場所の凮月堂へ行く。
僕はタバコを吸ったことがなかったが、パッケージがかっこいいのでロスマンズというイギリスのタバコを買う。
タバコは吸えないのでふかしているだけである。
やがてYの友達がやってくる。
彼は紀尾井町の料亭で働いている。
風月堂を出て二人について行く。
二人は歌舞伎町でナンパをするらしい。
僕は見ている。
二人は数回女の子に声をかけるが無視される。
三人組の女の子が歩いて来る。
今度は楽しそうに話している。
僕も一緒にみんなで喫茶店に入る。
女の子たちは3人とも銀座のクラブで働いている友達である。
僕は何を喋っていいのかわからず興奮してタバコばかりふかしている。
女の子達はこれから用があるのでY達は来週会う約束をしている。
喫茶店で別れて僕たちはトレビへ行く。
トレビはバンドが入っているクラブで18歳にならないと入れない。
中にトレビの泉が作られていた。
僕たちは吹き抜けの2階へ行く。
ここからバンドと踊り場が見える。
バンドは何組か入っていて僕はバンドの演奏に興味があった。
休憩がありその間に踊り場は女の子で一杯になる。
次に現れたのはとても垢抜けしたバンドでボーカルがメチャクチャかっこいい。
女の子は彼らが目当てであった。
関西弁でバンドはファニーズと言った。
のちのタイガースである。
初めて見たジュリーはオーラで輝いていた。
少し経つと店内で喧嘩が始まった。
僕たちはすぐに店を出る。
新宿には一晩中やっているジャズ喫茶がある。
「ヴィレッジ・ゲート」はとても入りやすく居心地の良いお店である。
あるときジャズ喫茶の「DIG」へ入ってしまった。
ここは本当にジャズを聴きに来るお客さんの店で、会話は禁止でとても居づらかった。
終電がなくなるので、二人を残し僕は駅に向かう。
新宿は中学生の僕にはとても刺激的な場所であった。
しかし自分とは違う場所のような気がして、その後はあまり行かなくなった。
僕には銀座や上野、浅草が楽しい。
新宿で遊んだのはこれが初めてで最後であった。
そして新宿はフーテンの街になっていく。
♠︎6のコピー


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