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映画の話 その77 (セリーヌとジュリーは舟でゆく)

123ララサティ
ヌーベルバーグの創始者ジャック・リベット監督の1974年の作品です。
セリーヌとジュリーは舟でゆく
私は好きです。
シンプルなタイトルクレジット(音楽がまたいい)のあと「たいていの場合、物語はこんな風に始まった」という字幕から始まります。
「不思議の国のアリス」にインスパイアされた物語はパリの公園のベンチで魔法の本を読んでいるジュリー、反対側のベンチには猫、とその前でスカーフとサングラスを落とすセリーヌ、拾ってわたそうとするジュリーとセリーヌのおいかけごっこが始まります。
セリーヌ4
パリの町の中をおいかけごっこするシーンは最高です。
二人は共同生活をはじめます。
そしてある郊外の古い屋敷にひきつけられた二人は魔法のボンボンをなめ、そこで起こる少女毒殺に至る物語を幾度となく幻視します。
セリーヌ6
妻に先立たれた男オリビエの娘マドリンが、彼の義姉カミーユと亡き妻の友人ソフィのオリビエをめぐる愛の葛藤の中で殺される(妻の遺言で娘の成長するまで彼は再婚できないのだ)。
犯人は?その結末を変えようと、二人はボンボンが切れてしまいますが、図書館で見つけた魔法の薬のレシピを使って、薬の力で夢の中に入り込み、セリーヌとジュリーで“二人で一人”の付き添い看護婦アンジェールとして、少女を助け出します。
そしてセリーヌとジュリーとマドリンは公園でボートにのります。
そこでオリビエとカミーユとソフィの乗るボートとすれ違います。
セリーヌ
次のシーンは冒頭のシーンですがセリーヌがベンチでうとうとしているとそこへジュリーが通りかかり本を落として行く。
本を拾い追いかけるジュリー・・・・ベンチの猫がカメラを見つめエンドクレジットです。
あらすじは以上ですが色々な所に仕掛けがあるので一度では理解出来ません。
セリーヌ5
何度も見るうちにさらにジャック・リベット監督の魔術にかかり、ラビリンスから抜け出せなくなります。
素晴らしい映画でした。
セリーヌ役のジュリエット・ベルトが時々ミック・ジャガーに見えるのは私だけでしょうか?

8-2ウィジョヨクスモの花


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MEMORIES 1966年春

思い出表紙のコピー

その日の記憶はあまりない。
卒業式の謝恩会だ。
どう言う訳か僕らは謝恩会のステージで演奏することになった。
その過程は全く思い出せない。
不良の代名詞のエレキギターのバンドだ。
学校側がどうして許可したのか。
僕らの親が学校に要望する訳はないし、もしかするとマネージャーのようなことをしていたOが学校と交渉したのかもしれない。
Oは頭が良く、弁も立つので、学校から一目置かれていた。
とにかく出演も決まった。
朝からリードギターのK、ベースのA、ドラムのM、そしてサイドギターの僕はナーバスになっていた。
確かベンチャーズの曲を4、5曲演奏したと思う。
今まで人前で演奏したのは、Mの兄が時々主催していた喫茶店を借り切ってのダンスパーティーだけだ。
それも暗くて狭い場所。
謝恩会は体育館で行われる。
広く明るいステージ、たくさんの同級生とその父兄、そして教師だ。
頭の中が真っ白になっていた。
特に僕とドラムのMがひどかったと思う。
ドラムのMは興奮して走るし、僕は会場が見られず、自分の手元のコードだけを見ていた。
結果はわからない。
とにかく終わった。
中学の思い出といえば、ベンチャーズとビートルズが全てであった。
よくあれだけ毎日音楽に浸れたのか不思議である。
始まりは僕とKの出会いである。
中学に入学しバスケット部に入る。
そこには沢山の部員がいて練習もきつい。
そこでKと出逢う。
Kは180cm以上あり、有望そうであるが練習が好きではなさそうである。
私達は家が同じ方向なのでよく一緒に帰った。
話をするうちにKはギターを弾くことがわかった。
僕もクラッシックギターを家庭教師から習っていたので今度二人でギターデュオをやろうということになった。
近くの公園で初めて二人で「ワシントン広場の夜は更けて」を演奏した。
僕はギターコードをしらなかったのでKに教わり、Kがメロディーを弾く。
すごい快感であった。
僕達はバスケット部を辞めた。
やがてベンチャーズを練習するようになり、エレキギターを購入する。
二人だけでは物足りなくなり、ベースを始めたAとドラムセットを買ったばかりのMとでバンドは完成した。
毎日ベンチャーズのレコードを擦り切れるほど聴き、コピーする。
そして、自宅かKの家でKと二人で合わせ、その後全員でMの家で練習する。
なんとかエレキギターを買ってもらったが、高価なアンプまでは無理だった。
エレキギターはアンプがなければ音が出ない。
しかし方法はある。
当時はホームステレオ全盛で、各家に一台はあった。
大きな箱型で上部にはレコードプレーヤーが乗っており、下部の左右にスピーカーが入っている。
もちろんラジオも聞ける。
このステレオのマイクのジャックにエレキギターを差し込むとアンプがわりになる。
それを改良してジャックを二つにして友人と練習するのである。
音は小さいがなんとか使える。
ドラムのMの家はベアリング工場を経営していたので工場の一部を使って練習した。
このころ小さなアンプを手に入れた。
ベンチャーズはバンド演奏が楽しくてやっていたが、一人で聴く音楽はビートルズだ。
中二の時にラジオで流れた「抱きしめたい」は強烈なインパクトを中学生に与えた。
すぐにシングル盤「抱きしめたい」を買いにレコード店へ行く。
その頃は小さな町には必ずレコード店があった。
ケーキ屋や和菓子屋のように。
中学生が買えるのはシングル盤である。
確か300円か330円だったと思う。
LP盤にはステレオ版とモノラル盤がありモノラル版は1500円だった。
やがてLP「ミート・ザ・ビートルズ」が発売される。
(まだモノラル版でステレオになるのはハード・デイズ・ナイトから)
もちろん発売日にレコード店へ。
こうして毎日毎日ビートルズとベンチャーズの日々が続く。
3年ごろにフォーク・ブームがやってくる。
一応フォークギターにもちかえてPPMなどをコピーする。
歌の上手い子が同級生にいて、きゅうきょ謝恩会でKと彼女のバックをやることになった。
彼女は落ち着いて平常心で楽しんで歌っている。
彼女に乗せられて会場を見る余裕が出てきた。
これがぼくの中学時代の最後である。
バンドのメンバーは全員違う高校に進学した。
その後バンドのメンバーとは会っていない。

COCACOLAとVAN JacketとTHE VENTURESの日々 そしてBEATLES!

♣︎4のコピー

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気になる話 その29 新潟のショウキ様

ショウキサマ
新潟県東部の阿賀野川流域(阿賀町)では毎年早春に行われている伝統行事のショウキ祭りがあります。
五穀豊穣、家内安全、無病息災、子孫繁栄、厄除け、厄払いなどを願って、大きく特徴のあるショウキ(鍾馗)様のワラ人形を作り祀ります。
東日本では江戸時代に村を守る道祖神をわらで作って祀る民間信仰が広まりました。
一方、ショウキ様は平安時代に中国から伝来した魔除けの神様ですが、ショウキ像が民衆に一般的に広まったのは江戸時代末期です。
1ショウキサマ
この時期に古くからあった道祖神信仰にショウキ様信仰が合体してできたものと思われます。
このような形態は秋田県の人形道祖神や、福島県のお人形様にも見られます。
ショウキ様の風貌は村に邪悪なものが入らないように阻止する厄除けにピッタリです。
そしてワラで作ることで五穀豊穣、また巨大な男根をつけることで子孫繁栄を表しています。
特に阿賀野川流域の村では会津から阿賀野川沿いに流れてくる疫病や悪人など悪いものを防ぐ強い願いがあったのかもしれません。
2ショウキサマ
現在このショウキ様祭りは阿賀町の4地区でのみ行われています。
以前はたくさんの地域で行われていましたが後継者の問題(人口減少と高齢化)、材料のわら不足(現在はコンバインが使われ藁が裁断されてしまう)などで行われなくなりました。
ショウキ像は人の大きさから3mぐらいまで、顔は紙に筆を使って描かれ頭にはツノがついています。
手には槍や刀を持っています。
厄除けのため両手は広げて侵入を阻止します。
わら人形の中には自分の厄を紙に書いてわらに結んで埋め込みます。
厄を封じ込めた人形が完成すると、人々は人形を担ぎ集落の外れに祀ります。
昔は大きな木に括りつけていましたが、近年は汚れを避けるためにお堂が作られその中に祀られます。
中には男女一対のわら人形を作って集落の上下に祀る地区もあります。
<熊渡のショウキ様>
3熊渡のショウキサマ 4熊渡のショウキサマ2
正鬼神社の裏の大木にくくりつけられています。
4つのショウキ様の中では一番原型に近く立派です。
特に秋田の人形道祖神にとてもよく似ています。
全てがワラで厚く出来ており風格が感じられます。
顔が素晴らしいです。
<道の駅 「阿賀の里の」ショウキ様>
5道の駅 阿賀の里のショウキ様
道の駅の駐車場に作られた覆屋の中に祀られています。
本来毎年新しいショウキ様を作るのですが、ここのものはかなり古いようです。
熊渡のショウキ様にそっくりなので古いものを観光様に飾っているのかもしれません。
<大牧のショウキ様>
6大牧のショウキサマ
阿賀野川沿いの山の中にあります。
すぐ下を磐越西線が走っています。
お堂の中にショウキ大明神として祀られています。
はっきりした顔が描かれており、巨大な男根をつけています。
<平瀬のショウキ様>
7平瀬のショウキサマ
平瀬の集落の中心に新しくお堂を建てその中に祀られています。
以前は大牧のショウキ様と同じような形でしたが、私が行った時にはワラがないせいか、木材が出ていて悲惨な状態でした。
男根はしっかり作られていました。
<夏渡戸のショウキサマ様>
8夏渡戸のショウキサマ2 9夏渡戸のショウキサマ
平瀬の集落のさらに奥にあり、村の入り口2カ所(上と下)に男女1体ずつ祀られています。
両方ともショウキ堂という小屋が建てられその中に祀られています。
男女共ほとんど同じで男根があるか無いかです。
毎年男女が入れ替わるそうです。
<武須沢入のショウキ様>
10武須沢入のショウキサマ
集落に入る三叉路にあるお堂に祀られています。
ヒゲの濃い立派なショウキ様です。
阿賀野川はとても美しい川です。
この川添いに広がる素朴な村にこれらショウキ様は祀られています。
どこの村でも村離れ、少子化などで伝統行事がなくなってきています。
秋田でも人形道祖神巡りをしているとあるべきところに道祖神はありませんでした。
日本の文化とも言えるこれらの伝統行事がなくなっていくことはとても悲しいことです。

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寺院の彫刻 その74 (シヴァ24 ドゥルガー)

PANATA143.jpg
シヴァ信仰はその浸透の過程で地元で祀られていた女神を妃として吸収し、インド全土に広がりました。
そのため沢山の妃がおります。
代表はパールヴァティーとウマーでシヴァ神妃の温和な面を表しています。
それに対し荒々しく畏怖すべき面を表しているのがドゥルガーとカーリーです。
このことはシヴァ神の恐怖と恩恵と言う二面的性格と一致します。
ドゥルガーという言葉は「近づきがたい者」と解され、ドゥルガー信仰はヒンドゥー教の中でも熱烈で過激な信仰です。
ドゥルガー2
「かつてアスラの王マヒシャは眷属を率いて神々を攻撃し、神々に替わって天界を占領支配した。
天界を追われた神々はシヴァ神とヴィシュヌ神に助けを求めた。
両神は大いに怒り、その怒りは光となって口から放出された。
他の神々も怒りの光を放ち、その光のすべてが合わさったところから一人の女神が生まれた。
ドゥルガーの誕生である。
自分たちの怒りの光から生まれた女神を見て神々は喜び、自分たちの武器を彼女に与えた。
シヴァ神は三叉戟を、ヴィシュヌ神は円盤(チャクラ)、アグニ神は槍、ヴァーユ神は弓、ヴァルナ神は法螺貝、インドラ神は稲妻(ヴァジェラ)、ブラフマー神は水瓶、クベーラ神は酒に満たされたカップ、蛇シェーシャは宝石の付いた蛇の首飾り、海は色あせることのない蓮華の花輪を、ヒマヴァット神からは乗り物としてのライオン(虎)をそれぞれ与えた」ということでドゥルガーは神々の要望から生まれました。
生まれたドゥルガーは見事マヒシャを殺し、「水牛の魔神を殺す女神−マヒシャスラマルディニー」としてインドおよびインド化された国々に広まりました。
今回は本来のドゥルガーとしての寺院彫刻を見てみたいと思います。
ドゥルガー女神への布施が主題となりほとんどが南インドにあります。
まずはタミルナドゥ州のMAMALLAPURAMにある石窟(MANDAPA)から見ていきます。
ADIVARAHA MANDAPA(7世紀中頃)は石窟で人工的に壁が作られ自然光が入らず真っ暗です。
ここには重要なたくさんの彫刻があります。
その中に素晴らしいドゥルガーのパネルがあります。
1ADIVARAHA MANDAPA
ドゥルガーはトリバンガの姿勢で水牛の頭の上に立ち、胸当てをつけています。
8臂で法螺貝、チャクラ、弓、刀、盾、鐘を持ち、さらに左手首にはわかりにくいのですがオウムが乗っています。
上部には二人のガナもしくはVIDYADHARA(天人)が、さらにその脇にわかりにくいのですが左にライオン、右に鹿が彫刻されています。
両脇には二人の従者がついており一人は弓を持ち、一人は刀と盾を持っています。足元には二人の信者がおり、左の信者は手首を、右の信者は肘から切断しようとしています。
次のVARAHA MANDAPA(7世紀後半)は自然光が入るのでもっと見やすいです。 
DSC_0621.jpeg 2VARAHA MANDAPA
3VARAHA MANDAPA2 4VARAHA MANDAPA3
中央のドゥルガーは台座の上に直立して立ち4臂です。
同じく胸当てをつけていますがADIVARAHA MANDAPAの優雅さ、美しさはありません。
左右上方にドゥルガーゆかりのライオンと鹿が彫刻されています。
ADIVARAHA MANDAPAにもありましたが暗くてわかりませんでした。
周囲にVIDYADHARAが4人います。
足元に信者が二人おり、左の信者は背中を向け左手で髪の毛をつかみ、右手に刀を持ちまさに首を切断しようとしています。
右の信者は右手を肘から切断しようとしています。
すごい迫力です。
ドゥルガーの彫刻はあまりいただけませんが、この信者の彫刻は素晴らしい出来です。
同じMAMALLAPURAMにあるDRAUPADI RATHA (7世紀)へ行きます。
当時の民家を模した石造寺院でドゥルガーが祀られています。
6DRAUPADI RATHA4 7DRAUPADI RATHA
8DRAUPADI RATHA2 9DRAUPADI RATHA3
VARAHA MANDAPAの彫刻によく似ています。
ハスの台座の上に直立して立ち、4臂です。
周囲にはVIDYADHARAが4人武器を持っています。
足元には二人の信者がおります。
面白いことにVARAHA MANDAPAで後ろ向きに首を切断していた右側の信者がここではこちらを向いています。
やはり信者の彫刻は迫力があります。
ポンディシェリーの近くのVILUPPURAMにあるSINGAVARAM CAVE (7世紀)の像は現在も信仰されているために煤で真っ黒です。
10singavaram(CAVE).jpg
とてもシンプルで水牛の頭に片足を乗せ、トリバンガの姿勢で立っています。
4臂でスリムです。
周囲には彫刻はなく、足元に二人の信者がいます。
右側の信者は左手を切断しているようです。
右側の信者は特に何もしていないように見えます。
TIRUCHIRAPPALLIはロックフォートで有名です。
11tiruchirappalli lower(CAVE)
ふもとにある石窟寺院(8世紀)にドゥルガーの彫刻があります。
台座の上に立ち、4臂です。
左上にはVIDYADHARAが一人おり、右手に花を持っています。
足元の信者の左側の人物は髪の毛を握り首を切断しようとしています。
右側は良くわかりません。
PULLAMANGAIにあるBRAHMAPURISVARA寺院(10世紀)の壁龕には素晴らしいドゥルガー像がありますが、信者によって服を着せられているので体がわかりません。
15BRAHMAPURISVARA(PULLAMANGAI)4 12BRAHMAPURISVARA(PULLAMANGAI).jpg
13BRAHMAPURISVARA(PULLAMANGAI)2 14BRAHMAPURISVARA(PULLAMANGAI)3
8臂で武器を持っています。
とてもリアルな水牛の首の上にトリバンがの姿勢で立っています。
壁龕の左右のパネルには左側、ライオンと首を切断する信者、右側には鹿と足を切断する信者が彫刻されています。
当時は本当に自分の体を犠牲にして供儀を行ったと言われています。
それは他の宗派でもありましたが特にドゥルガーを信仰する人に多かったようです。
ですから今日でも供儀には生贄の動物が必要で、血が欠かせません。

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石の巡礼 その21(普門寺四十九院)

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先日埼玉県の寄居町へ鮎を食べに行ったついでに美里町にある普門寺を訪れました。
ここには四十九院石仏が安置されています。
4普門寺
四十九院とは兜率天(とそつてん)の内院にある四十九の宮殿のことで、兜率天は弥勒菩薩の住む弥勒浄土のことです。
この宮殿には本尊仏がいますから49体の本尊石仏が普門寺に並んで安置されています。
兜率天は釈迦が修行して如来となったところで、この世に生まれて人々を救済するために仏教を広めました。
<インドネシア ボロブドゥール 兜率天にいる釈迦>
1兜率天にいる釈迦
現在は釈迦の次に如来になるために弥勒菩薩が修行しています。
そして五十六億七千万年後にこの世に生まれる(下生する)、とお経に説かれています。
空海は入定後、兜率天に往生し、五十六億七千万年後に弥勒とともに下生すると遺言にあります。
そのため空海と一緒に修行して弥勒と一緒に下生するという考えが流行りました。
空海とともに兜率天に対する信仰が四十九院石仏となります。
兜率天に生まれ変われるように埋葬方法も流行しました。
死者を埋葬した場所を49の板塔婆で取り囲むのです。
もちろん一定のルールに従って行います。
身分の高い人は玉垣も塔婆も石で作ります。
高野山奥の院は弥勒浄土として人々の厚い信仰を集めています。
2高野山奥の院
奥の院にはとても立派な玉垣で囲まれた廟や供養塔がたくさんあります。
<奥の院 井伊直政御霊屋>
井伊直政御霊屋

聖徳太子も兜率天浄土へ往生されたと信じられています。
太子の亡き後に橘夫人は太子をしのんで「天寿国繍帳」(国宝)を作られましたが、それは兜率天の様子を編んだものと言われています。
<奈良 中宮寺 天寿国繍帳残闕>
3天寿国繍帳残闕2
普門寺境内にはコンクリートで作られた壇上の上に横一列で四十九院石仏が安置されています。
覚龍という僧侶により弥勒信仰が布教され、檀徒たちが先祖供養のために寄進し、元文4年に造立されたものと言われています。
16普門寺
本来四十九院の配列の順番は決まっていて、1番は恒説華厳院(毘盧遮那仏)から始まり、49番は常行律儀院 (釈迦牟尼如来)で終わります。
ここでは順番にはなっていません。
10番は常念常楽院で釈迦涅槃、
5第10番常念常楽院釈迦涅槃
第41は番唯学伝法院で藷経論蔵、
6第41番唯学伝法院藷経論蔵
第42番常念惣持院で不動明王、
7第42番常念惣持院不動明王
第44番は伴行衆生院で金剛力士(頭に被っている動物は興福寺の乾闥婆に似ている)、
8第44番伴行衆生院金剛力士
第22番説法利他院で釈迦説法(説法をしている釈迦)、
9第22番説法利他院釈迦説法
第24番金剛修法院で大日如来(金剛界大日如来で胸の前で智拳印を結んでいる)、
10第24番金剛修法院大日如来
第20番如来密蔵院で大日如来(胎蔵界大日如来で法界定印を結んでいる)、
11第20番如来密蔵院大日如来
第17番恒修菩薩院で善財童子(華厳経入法界品に登場する童子、仏教の修行にはげむ)、
12第17番恒修菩薩院善財童子
第4番般若不断院般若力菩薩(大般若経の本尊で6臂)、
13第4番般若不断院般若力菩薩
第27番求聞持蔵院阿難尊者(十大弟子)、
14第27番求聞持蔵院阿難尊者
第28番四大天王院梵天王(ブラフマーのことで4面)
15第28番四大天王院梵天王
などが目を惹きます。
四十九院石仏は珍しく、足利市の行動山とこの普門寺の2ケ所のみです。
今度は苦手な山登りを覚悟で行動山へ行ってみたいと思います。

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