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石の巡礼 その5(隼人塚)

AA1_0279のコピー
隼人塚の写真を見て、以前から訪れて見たいと思っていました。
その写真は小山に石塔が3塔並んで建っており、その四方に石像が4基立っているものでした。
見た瞬間、韓国かと思いました。
石塔の形が韓国に似ているのです。
また石像(四天王)も韓国ぽいのです。
1隼人塚
説明によりますと古代南九州に住む人々は、熊襲(くまそ)・隼人(はやと)と呼ばれていました。
隼人は、奈良時代、律令制による薩摩国(薩摩半島を主とする地域)・大隅国(大隅半島を主とする地域)建国の以前から、大和朝廷に朝貢(ちょうこう)し、一部は奈良やその周辺に移住して朝廷に仕え、宮門の警護や儀礼などを担当していました。
「畿内隼人」と呼ばれたこれらの隼人とは別に南九州には、依然として大和朝廷に服従しない隼人がいて、しばしば反乱を起こしていました。
最も大きかったのは、養老4年( 720年)の反乱で、隼人が大隅国の国司を殺したことから、大和朝廷はそれを鎮定するため、大伴旅人を将軍に一万人ほどの兵隊を南九州に送ります。
一年数ヶ月に及ぶ戦いで、1400人余りの隼人が首を切られたり、生け捕りにされたと言われます。
12隼人塚
この反乱の後、隼人の霊を慰めるため宇佐神宮で始まった「放生会(ほうじょうえ)」が鹿児島神宮にも伝わり、祭りの神輿(みこし)が浜の市に下る途中、立ち寄って供養の儀式を行なったところが隼人塚だったと考えられています。
またここは正国寺跡とも言われています。
つまり誰がいつ、何のために建てたのか解らないのです。
まずは塔をみてみます。
向かって左側(西塔)と右側(東塔)はほぼ同じ大きさで、真ん中の中央塔が少し大きく作られています。
全て五重石塔で各層の各面には彫刻があります。
東塔の初層の各面には両脇に連子窓、中央に如来坐像を刻んでいます。
6東塔
2層から5層の軸部四面にも仏像が刻まれています。
7東正面
中央塔も同じですが保存状態が良くありません。
8中央塔60
初層正面には智拳印の大日如来と思われる如来坐像を刻みます。
9中央正面
そのほかは良くわかりません。
西塔は東塔と同じように初層の各面には両脇に連子窓、中央に如来坐像を刻んでいます。
10西塔
正面の坐像は定印の阿弥陀如来と思われます。
11西正面
四天王を見ます。
向かって右前列には東方を守る持国天が鎧に身を固めた姿で立っています。
3持国天
一番保存状態が良い像で邪鬼の上に立ち右手を振り挙げ、左手は剣を持ち斜めに構えています。
右足で邪鬼の頭を踏み、兜の正面には東南アジアで言うマカラのようなものが彫られています。
左前列は南方を守る増長天が剣を地面に差し両手で支えています。
4増長天
その後ろには西方を守る広目天が戟を地面に突き立てています。
邪気を踏みつけています。
2広目天
持国天の後ろには北方を守る多聞天が邪鬼の上に立っています。
5多聞天
平安時代後期の製作と言われていますが、似た石像物はありません。
私にはどうしても異国(新羅)の雰囲気がするのです。

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