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気になる話 その9(岡倉天心)

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私が敬愛する日本人の1人が岡倉天心です。
「東洋の理想」の冒頭で述べられた「Asia is one」アジアは1つであるという言葉に触発され、私のアジア巡礼が始まったと言っても過言ではありません。
天心は大きな転換期の明治時代、すべての骨格を西欧を基準とした西欧至上主義の中で、日本及びアジアの行く末について憂い、独自の主張を世界に向けて発信しました。
しかし「Asia is one」と言う言葉は天心没後に日本軍部の大東亜共栄圏という植民地政策に利用され、違う方向に一人歩きしてしまいました。
とても哀しいことです。
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そして今、時代が天心を求めています。
福井の下級武士の父親は横浜に出て生糸を扱う商いを始めました。
何と父親はこの時代にあって英語の必要性を感じ英語塾に天心を通わせます。
東京外国語学校、東京大学卒業後文部省に勤務、アーネスト・フェノロサと日本美術を調査します(1884年法隆寺夢殿を開扉し秘仏の救世観音をフェノロサとともに拝する)。
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文化財保護を痛感し、適切な対策を提案します。
フェノロサと欧米視察旅行後、1890年東京美術大学(芸大)の初代校長になります。
しかし排斥され辞職しますが日本美術院を谷中に発足させます。
1901年インド訪遊しタゴール、ヴィヴェーカーナンダ達と交流します。
タゴールは詩人で思想家でアジア人として初めてノーベル賞(文学賞)を受賞しました。
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インドでは非常に尊敬され生涯にわたって交友が続きました。
ヴィヴェーカーナンダは宗教家でラーマクリシュナの高弟であり西欧諸国の宗教、哲学を学び、ラーマクリシュナミッションを作りました。
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シカゴで行われた第1回世界宗教会議にヒンドゥー教代表として出席しました。
そして「すべての宗教は1つの真理に対する異なったアプローチである。それらは違いにより補い合う。1つの教義に真理は収まりきらない。多様な宗教の全体が真理である。」と演説し大成功をおさめ名声は広まりました。
ヴィヴェーカーナンダは親日家でインドの若者はイギリスではなく日本に留学した方が良いとまで言っています。
1904年天心はボストン美術館中国・日本美術部に迎えられます。
天心は英文による著作物「The Book of Tea(茶の本)」、「The Ideals of the East(東洋の理想)」、「The Awakening of Japan(日本の覚醒)」を出版します。
一方日本美術院を別荘があった茨城県五浦に移します。
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以後五浦とボストンを往復することになります。
1913年体調がすぐれず、アメリカから帰国した天心は静養のために行った新潟県赤倉温泉の山荘で永眠いたしました。
情熱家でもあった天心は1888年パトロンであった文部官僚の男爵九鬼隆一の妻、波津子と恋に落ちます。
当時波津子は隆一の子をみごもっていました。
また1912年ボストンに向かった天心は途中インドでタゴールの親戚の女流詩人プリヤンバダ・デーヴィー・バネルジーと出会い、恋に落ちます。
以後二人の間にラブレターともいえる往復書簡が天心が亡くなるまでの1年間交わされました。
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茨城県五浦の天心記念五浦美術館へ行くと2人の往復書簡を見ることができます。
とても風光明媚な所で、天心の家や墓,とても気に入っていた六角堂など見ながらの散策を御薦めします。
温泉もあり最後はアンコウ鍋で決まりです。
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