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気になる話 その6(フリーダ・カーロ)

サンチ−2塔013
フリーダ・カーロの絵を見て一週間ほど彼女のことばかり考えていました。
フリーダ・カーロは1907年メキシコシティの近くでハンガリー系ユダヤ人職業写真家の父とメキシコ人の母のもとに生まれました。
6歳の頃ポリオ(小児麻痺)にかかり、この影響で右腿から踝にかけて成長が止まって痩せ細り、これを隠すためにズボンやメキシコ民族衣装のロングスカートなどを好んで着用していたようです。
フリーダ1
更なる不幸がフリーダを襲います。
国立予科高等学校在学中に通学に使用していたバスが路面電車と衝突し、多数の死傷者が出る事故が発生し、フリーダも生死の境をさまよう重傷で、3か月の間ベッドの上での生活を余儀なくされ、その後も事故の後遺症で背中や右足の痛みにたびたび悩まされるようになりました。
フリーダ6
このころから痛みと病院での退屈な生活を紛らわせるために本格的な絵を描くようになったと言われています。
フリーダ3
通常の生活が送れる程度に回復した1928年、フリーダは知識人や芸術家の集う活動サークルに参加し、メキシコ共産党へ入党します。
そこで画家ディエゴ・リベラと運命的な出会をし、フリーダは21歳年上のリベラと結婚します。
フリーダは妊娠しますが事故の影響で骨盤や子宮に損傷を受けていたことから数回流産となってしまいます。
フリーダ4
このことはその後の作品に大きな影響を与えることとなります。
リベラはフリーダの妹クリスティナと関係を持ちます。
ショックを受けたフリーダは彫刻家イサム・ノグチや革命家レオ・トロツキー、フランスの詩人アンドレ・ブルトン達と関係を持ちます。
一方フリーダの作品は海外で喝采を受け世界中の有名人から絵の注文が舞込みます。
フリーダ5
フリーダの成功と精力的な活動によって次第に夫婦間の熱は冷めていき、1939年11月6日リベラとの離婚が成立します。フリーダは制作に没頭しますが、再び脊髄の痛みに悩まされさらに右手が急性真菌性皮膚疾患にかかり、制作が出来なくなります。治療により健康状態が安定した頃、フリーダはリベラへ再婚の提案を行い2度目の結婚をしました。
しかし1940年代の終わりごろになるとフリーダの健康状態はさらに悪化し、左足が壊疽になり膝から下を切断します。
その後も苦痛に見舞われ、1954年7月肺炎を併発して死去しました。
生前、彼女はたくさんの日記を書いています。
この日記がすばらしいのです。
フリーダの絵日記です。
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この波乱にとんだ彼女の人生は本や映画になりました。
彼女の作品は独特で、根底にメキシコとネイティブアメリカンの文化があり、シュールレアリズムで味付けした彼女の孤独の、痛み、苦しみなどを表しています。
したがって自画像をとても沢山制作しています。
フリーダ2
映画「フリーダ」は私の好きな女性監督ジュリー・テイモアの作品でフリーダを知るにはお勧めです。

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