FC2ブログ

気になる話 その14(ナマハゲ)

サンチ−2塔028
ナマハゲには昔から興味がありました。
そしてついにナマハゲの旅が実現しました。
なんとその3ヶ月後にナマハゲはユネスコの世界無形文化遺産に「来訪神」のひとつとして提案されたのです。
実にめでたい。登録されれば良いな。
ナマハゲとは男鹿半島周辺で行われてきた年中行事、あるいはその行事において、仮面をつけ藁の衣装をまとった神の使いを指すとのことです。
ナマハゲの行事は江戸時代には行われていたようで、写真は江戸時代の紀行家である菅江真澄が記した「牡鹿乃寒かぜ」でナマハゲについて書かれています。
江戸時代の紀行家である菅江真澄が記した「牡鹿乃寒かぜ」
大晦日の晩、それぞれの集落の青年たちがナマハゲに扮して、「泣く子はいねがー、親の言うこど聞がね子はいねがー」「ここの家の嫁は早起きするがー」などと大声で叫びながら地域の家々を巡ります。
男鹿の人々にとってナマハゲは、怠け心を戒め、無病息災・田畑の実り・山の幸・海の幸をもたらす、年の節目にやってくる来訪神です。
ナマハゲを迎える家では、昔から伝わる作法により料理や酒を準備して丁重にもてなします。
男鹿市内の「ナマハゲ行事」は、かつて小正月に行われていましたが、現在は12月31日の大晦日に行われています。
ナマハゲの意味は冬、囲炉裏で長く暖をとっていると、手足に火型(火斑)ができます。
これを方言で「ナモミ」と言いますが、怠け心を戒めるための「ナモミ剥ぎ」が「ナマハゲ」になったと言われています。
なまはげの持ち物は
1)出刃包丁と御幣
「ナモミ」を剥ぎ落とすための「出刃包丁」や地域によっては、神のしるしとしての「御幣(ごへい)」を付けた杖を手に 持って巡ります。
2)面
 木の皮、木の彫刻、ザルに紙を貼ったもの、紙粘土など様々な素材が使われています。最近はプラスチック製や地元の木 彫師による面も多く使われるようになりました。
3)ケデ
 ワラ製のミノ状にした衣装。面とともに神に扮する象徴的な衣装です。ケダシ、ケンデ、ケラミノなどともいいます。
4)ハバキ
 ワラで編んだ脛(すね)あて。これを着けるのは他所から来ることを意味します。
5)わらぐつ
 雪中、遠くから来るためのワラ製の靴。
それではナマハゲの知識を十分つけたところでいよいよナマハゲ巡りです。
私は飛行機で秋田空港まで行き、レンタカーで回ります。
ファーストコンタクトは秋田空港です。
1空港
男鹿半島に向かう道に巨大ナマハゲ発見です。
男鹿総合案内所の前です。
2案内所
そしてナマハゲ伝説の赤神神社五社堂へ向かいます。
手前の門前にも巨大ナマハゲがあります。
3門前
五社堂は鬼が作ったという999段の長い石段をヒーヒー言いながら登ります。
すると重要文化財の五棟の社堂が見えてきます。
4五社堂
祀られているのは5匹のナマハゲで両親と3人の子供と言われています。
次はハイライトの「なまはげ館」へ行きます。
途中素敵なナマハゲのオブジェがあります。
5オブジェ
6オブジェ
「なまはげ館」はモダンで素敵な建物です。
7なまはげ館
中はもうナマハゲだらけでナマハゲずきにはたまりません。
男鹿のナマハゲ勢揃いです。
8なまはげ館
9なまはげ館
10なまはげ館
11なまはげ館
そして隣の「なまはげ伝承館」では真山地区のなまはげをリアルに体験できます。
12伝承館
家に入るところから出て行くところまで、ナマハゲの動作には一つ一つ昔からのしきたりがあります。
ナマハゲと主人の問答が最高です。
13伝承館
14伝承館
この伝承館は本物の古い民家を移築したものでとても雰囲気があります。
私は秋に行きましたが、外はしんしんと雪が降っているような錯覚を覚えました。
少し先にある真山神社はナマハゲゆかりの神社で、大晦日真山地区のナマハゲはここからスタートします。
15真山神社
ナマハゲの旅はこれで終わりです。
今夜の宿、男鹿温泉に向かいます。
男鹿温泉郷の入り口では大きなナマハゲが歓迎してくれます。
16男鹿温泉
悲しいことにナマハゲは核家族化した若い人たちに人気がなく、衰退傾向の一途をたどっています。
地元が補助金を出しても効果がありません。
ユネスコの世界無形文化遺産に登録されることで知名度が広がり、多くの人たちが関心を持ち、この行事が少しでも長く存続することを祈るばかりです。
ナマハゲ
「泣く子はいねがー、親の言うこど聞がね子はいねがー」

ホームページ  www.ravana.jp


寺院の彫刻 その59(シヴァ9 両性具有のシヴァ)

PANATA108.jpeg
今回はアルダナーリーシュヴァラ(両性具有のシヴァ)の彫刻です。
アルダナーリーシュヴァラとは身体の右半分はシヴァ神、左半分は妃のパールヴァティーで表された神です。
アルダナーリー15
シヴァとパールヴァティーがカイラーサ山の頂きに座っていた時、神々や聖者たちは彼に敬意を表す為にカイラーサ山に出かけた。ブリンギィ聖者を除き、彼らはシヴァとパールヴァティーの周囲を巡り、お辞儀をしながら崇拝した。ブリンギィ聖者はシヴァ神のみを崇拝する誓いを持っていたため、パールヴァティーを無視した。パールヴァティーは彼に腹を立て、彼の血肉が身体から消え失せ、骨皮のみが残るように心に念じた。パールヴァティーの念が通じ、ブリンギィ聖者は身を支えることは出来なくなった。シヴァは彼のあわれな状態を見て、彼に第三の足を与えたので彼は平衡を保つことが出来た。ブリンギィ聖者は喜び踊を演じてシヴァを讃えた。パールヴァティーの意図は失敗に帰し、彼女は悩み苦しみ、シヴァから恩恵を得るため苦行に励んだ。シヴァは彼女の苦行に喜び、自分との結合を許した。こうしてシヴァにより、男女の合体(アルダナーリー アルダ=半、ナーリー=女性)からなる神が生まれた。ブリンギィ聖者はシヴァ神のみを崇拝するためにその神の周囲を巡ることは難しくなってしまった。しかし彼はその障害にひるまず甲虫の姿をとり、合体神に穴をあけてシヴァ神の周囲を巡って崇拝し、パールヴァティーをも讃えた。彼女は彼の信心深い誓いの固さに祝福を与えた』という話です。
シヴァとブリンギィ聖者 SANGAMESVARA寺院
写ー1
アルダナーリーは一般的に、右半分はシヴァ、左半分は豊かな胸を持った神妃パールヴァティーです。
豊満な片胸と共に通常、女性側の脇腹はくびれ、丸みを帯びる腰が艶めかしく強調され、装飾品も左半分と右半分は明瞭に区別されます。
一般的にはナンディと共に彫刻されることがほとんどです。
ナンディに寄りかかるか、トリヴァンガ(三屈法)の姿勢です。
それでは見ていきます。
マトゥラー博物館にある5世紀のアルダナーリーシュヴァラ像ですが首から上しか残っていません。
特徴のある豊満な片胸も衣装もありませんが、頭髪右半分は荒々しいシヴァの左半分は美しいパールヴァティーのものです。
さらに左側のイアリングと左半分の顔の優しさでアルダナーリーと解ります。
マトゥラー博物館 5世紀
アルダナーリー1MATHURA博物館5世紀
さらに古い像がロサンゼルスカウンティ美術館にあります。
マトゥーラで見つかった2〜3世紀の像です。
ロサンゼルスカウンティ美術館 2〜3世紀
アルダナーリー2 2~3世記マツゥラーロス美術館
南インドのBADAMI第1窟には素晴らしいアルダナーリーがあります。
6世紀後半の製作で片胸を楽器ビーナで隠すようにして不自然感をなくしています。
ナンディとブリンギィも一緒です。
BADAMI第1窟 6世紀後半
アルダナーリー3
同じ6世紀後半の南インドのAIHOLEにあるRAVANAPADI窟のアルダナーリーは傑作です。
頭からつま先までシヴァとパールヴァティーの合体象です。
とても素敵な顔立ちです。シヴァは三叉戟を持っています。
RAVANAPADI窟 6世紀後半
アルダナーリー4
MAMALLAPURAMのDHARMARAJA RATHA(7世紀)の壁龕にあるアルダナーリーは左半分は女性なのですがとても不自然な体型で顔もシヴァそのもので魅力がありません。
DHARMARAJA RATHA 7世紀
アルダナーリー5
これに対しMAHAKUTAにあるSANGAMESHVARA(7世紀)の壁龕のアルダナーリーはとても美しいトリヴァンガのポーズをとっており、まるでパールヴァティーです。
シヴァ側の太ももの衣装はトラでしょうか。
SANGAMESHVARA 7世紀
アルダナーリー6
ELEPHANTA(6世紀)のアルダナーリーは傑作です。
とても神々しく威厳に満ちた彫刻ですが、残念なことに下部が崩壊しています。
ナンディに寄りかかり、周囲には神々や天人、天女が集まってきています。
ELEPHANTA 6世紀
アルダナーリー7
南インドのALAMPURにあるSANGAMESHWARA寺院のアルダナリーは最高傑作です。
SANGAMESHWARA 6世紀
アルダナーリー8
同じALAMPUR のSVARGA BRAHMA寺院(7世紀)は彫刻の宝庫です。
壁龕にアルダナーリーが彫られているのですが、人為的に顔と胸がえぐり取られています。
とても残念です。
シヴァ側の太腿に人面(トラ)が彫られているのが解ります。
SVARGA BRAHMA寺院 7世紀
アルダナーリー9
TAMIL NADUのMUVARKOVIL寺院(10世紀)は蓮の基壇を持つ祠堂が三つ並んで作られましたが、現在は二つです。
その身舎の壁龕にこの地方独特の優しいアルダナーリーとナンディが彫られています。
MUVARKOVIL寺院 10世紀
アルダナーリー10
同じ寺院からの出土したアルダナーリーがPUD博物館に展示されています。
PUD博物館 10世紀
アルダナーリー11PUD MUS DSCF0205 Ardhanar
もう一つこの地方の最高傑作がタンジャブールのNAYAK PALACE ART MUSEUMに展示されています。
NAYAK PALACE ART MUSEUM 10世紀
アルダナーリー12NAYAK PALACE ART MUSEUM10セイキ、タンジャブール
GANGAIKONDACOLAPURAMのBRIHADISHVARA寺院(1025年)壁龕のアルダナーリーは大きく立体感があります。アルダナーリーシュヴァラは全土で見つかりますが、特に南インドでアルダナーリーシュヴァラはとても愛されているようです。
BRIHADISHVARA寺院 1025年
アルダナーリー13
インドは不思議な国です。
以前お話ししたハリハラは最高神のシヴァとヴィシュヌを合体させた神です。
今回はシヴァと妃パールヴァティーの合体です。

ホームページ  www.ravana.jp

映画の話 その51(ノスタルジア)

79スティアアキ
アンドレイ ・ タルコフスキー監督の「ノスタルジア」です。
ノスタルジア7
いきなり白黒のブリューゲルの絵画の様なオープニング(霧に包まれた主人公の故郷か)。
民謡の様なアカペラの唄にオーケストラが入ってくるが同じ曲ではない。
動きが止まりタイトルクレジット、実にうまい演出です。
ノスタルジア6
このオープニングのシーンは主人公の夢の中で何度も出てきます。
深い霧の中、車が止まり男と女が車からおり女は教会へ、男は車に残る。
男はモスクワから来た詩人アンドレイ・ゴルチャコフで女はイタリア人通訳のエウジェニアです。
ふたりは、18世紀にイタリアを放浪し、故国に帰れば奴隷になると知りつつ帰国して自殺したロシアの音楽家パヴェル・サスノフスキーの足跡を追って旅をしています。
ノスタルジア5
ここシエナの村は旅の終わりです。
アンドレイがマドンナ・デル・パルトの聖母画を見たがっていたからですが、アンドレイは車に残り、エウジェニアひとり、教会を訪れることになりました。
この教会のシーンはハイライトの1つで蝋燭の美しさ、聖母のお腹から出るたくさんの小鳥、ピエロ・デラ・フランチェスカが描いた出産の聖母像などタルコフスキーの映像美が思う存分堪能出来ます。
二人は小さな温泉街バーニョ・ヴィニョーニに滞在します。
そこで「もうすぐ世界の終末が訪れる」と信じ込み、家族を7年にわたって幽閉し周囲から狂人と呼ばれる男、ドメニコに出会います。
ドメニコは住処の廃屋にアンドレイを招く。
ノスタルジア
そこは常に天井からの水が床や瓶へ滴っており、壁には「1+1=1」という奇妙な数式が書かれてあります。
ドメニコはアンドレイに第九を聴かせ、「蝋燭に火を灯し、広場の温泉を渡りきることが出来たら、世界は救済される」と告げるのでした。
アンドレイはそれを約束します。
このドメニコの部屋もタルコフスキーの美があふれています。
次のシーンでアンドレイは建物の中にある川(温泉?)にコートのまま入ってお酒を飲んでいます。
このシーンはとても印象的です。
ノスタルジア3
なぜなら私が夜寝ていてトイレに行きたい時に見る夢ととても似ているからです。
ローマに先に戻ったエウジェニアから一本の電話を受け取ります。
内容は「ドメニコがローマで演説を3日間に渡って続けている。
彼は自分があなたに言った事をしたかと尋ねている」というものでした。
アンドレイは再びバーニョ・ヴィニョーニに戻ります。
ドメニコはカンピドリオ広場のマルクス・アウレリウス像に上り、人々が固唾を呑んで見守る中で演説をして頭からガソリンをかぶり第九をかけながら焼身自殺します。
バーニョ・ヴィニョーニに戻っていたアンドレイは、かつてドメニコに言われていた、蝋燭に火を付けて温泉を渡りきるという試行を行って成功しますが持病の心臓病で倒れてしまいます。
ノスタルジア2
彼は故郷の夢を見ていました。
その映像はとても不思議で美しいものでした。
雪が降って来てオープニングの唄が聞こえてきます。
やはりタルコフスキーの映像は美しい。
余談ですがタイのロブリーへ行きPHRA NARAI RATCHANIWETという王宮跡に入った時です。
PHRA NARAI RATCHANIWET LOPBURI
PHRA NARAI RATCHANIWET

一瞬「ノスタルジア」をしてしまいました。

8-2ウィジョヨクスモの花

ホームページ  www.ravana.jp

石の巡礼 その6(白滝山ー龍泉寺十六善神)

AA1_0281のコピー
今回は広島県三原市にある白滝山龍泉寺です。
白滝山の山頂付近に龍泉寺があります。
龍泉寺は、小早川氏の一族の小泉氏の氏寺です。
この寺の本堂裏の白滝山山頂は「八畳岩」 と呼ばれる巨大な花崗岩の露頭があり、その「八畳岩」の岩壁に、釈迦三尊と、十六善神の磨崖仏が彫られています。
「八畳岩」は上に登ることができ、大三島や生口島などの島々、周辺の山々が見渡せ、素晴らしい眺めです。
残念ながら私が訪れた時には霧がひどく、海ははっきり見えませんでしたが、やがて霧が晴れるとまるで天空にいるように雲海(霞?)が広がり、とても幻想的な景色になりました。
白滝山
ここに掘られている十六善神とは醜怪な夜叉や鬼神が、仏の教えを聴いて改心し、善心をおこして三宝に帰依(仏教徒になる)することで善神となった神です。
そして「般若経」とその誦持者の守護を誓いました。
『玄奘三蔵は大般若経などの経典357部をたずさえ帰路を急いでいましたが、川のほとりで鬼神深沙大将が現れました。深沙大将は「これまで法師の旅を邪魔してきたが、今こうして沢山の経典をたずさえた法師を見て仏法に寄せる情熱を理解し、これまでの行いを後悔している」と懺悔しました。すると法師は、「今の懺悔によって、あなたが犯した罪はすべて消滅した。これから先は、あなたの家来とともに仏法を広めて、衆生済度に精進しなさい」と言い、大般若経を取り出して深沙大将の頭上にかざします。深沙大将は、「これからは般若経を身をもって防ぎ守ります。また、般若を敬い信じる人に対しては、現在から未来にいたるまで、いついかなる場合もその願いが叶うよう援護するでありましょう」と法師に固く誓約しました』という話は有名です。
この話を元にした西遊記では玄奘三蔵は三蔵法師、深沙大将は沙悟浄です。
「八畳岩」に彫られているのは十六善神と玄奘三蔵、深沙大将、常啼菩薩、法涌菩薩と釈迦、迦葉、阿難の釈迦三尊です。まず始めに現れるのは釈迦三尊です。
釈迦、迦葉、阿難の釈迦三尊
0釈迦 脇侍に迦葉・阿難
十六善神と彫られた年代が違うようで出来はあまりよくありません。
さらに進みますと大岩に彫られた10体ほどの十六善神が現れます。
左端の深沙大将は6個のドクロのネックレスとお腹に子供の顔が彫られているのでわかります。
隣には深沙大将に狙われている少年らしき像、経典を求めて天竺へ旅した玄奘三蔵、勇猛心地、吠室羅摩拏(多聞天)摂伏諸魔と続きます。
深沙大将
1深沙大将
   1深沙大将


子供
2子供

















玄奘三蔵
3玄奘三蔵jpg
   2玄奘三蔵のコピー


勇猛心地善神
4勇猛心地
   3勇猛心地善神


吠室羅摩拏善神(多聞天)
5吠室羅摩拏(多聞天)
   5多門


摂伏諸魔善神
5摂伏諸魔
   4摂伏諸魔善神


上段には提頭頼吒善神(持国天)、般若経に縁が深い法涌菩薩、抜除罪垢(ばつじょざいく)、やはり般若経に縁が深い常啼菩薩が彫られています。
提頭頼吒善神(持国天)
6提頭頼吒善神 (持国天)
   6提頭頼吒善神


法涌菩薩
7法涌菩薩
   7法涌菩薩


抜除罪垢善神
8抜除罪垢
   8抜除罪垢善神


常啼菩薩
9常啼菩薩
   9常啼菩薩


岩を廻ると増益(ぞうやく)、師子威猛(ししいもう)上段に毘楼勒叉(びるろくしゃ、増長天)が彫られています。
増益善神
10増益
   10増益善神


師子威猛善神
12師子威猛
   12師威猛善神


毘楼勒叉善神(増長天)
11毘楼勒叉(増長天)
   11毘盧勒叉善神


さらに回ると降伏毒害、除一切障難、能救諸有・毘盧博忍善神、上の岩に救護一切吠室羅廊善神、 能忍(のうにん)、さらに進むと毘楼博叉(びるばくしゃ、広目天)、歓喜(かんぎ)、離一切怖畏(りいっさいふい)が彫られています。
降伏毒害善神
13摧伏毒害
   13降伏毒害善神


除一切障難善神
14除一切障難
   14除一切障難善神


能救諸有・毘盧博忍善神
15能救諸有
  16能救諸有・毘盧博忍善神


救護一切吠室羅廊善神
16救護一切
  16救護一切吠室羅廊善神


能忍善神
17 能忍
   15能忍善神


毘楼博叉善神(広目天)
18毘楼博叉(広目天)
   16毘留博叉善神


歓喜善神
19歓喜
   17歓喜善神


離一切怖畏善神
20離一切怖畏
   18離一切怖畏善神


どうして白滝山龍泉寺の岩に十六善神が彫られたのかわかりませんがこの彫刻は「般若経」の儀軌に忠実に彫られています。
おそらく、ここの寺院に収められていた般若経典を守るために、この花崗岩の巨大な岩に十六善神を彫ったと思われます。この十六善神の彫刻は非常にめずらしく、私が知っている限りは、上野の国立博物館の中庭に移築された旧十輪院宝蔵だけです。
旧十輪院宝蔵
校倉の四方の腰には十六善神を線彫りで表す石がはめられています。
旧十輪院宝蔵2
なにせ鎌倉時代前期のものですから保存状態があまりよくありませんが素晴らしい彫刻です。
旧十輪院宝蔵3
校倉は『大般若経』が納められていた経蔵でした。
内部壁面には大般若経にゆかりの菩薩や十六善神が描かれていますが、公開されていません。
旧十輪院宝蔵4
般若経と十六善神はとても深い関係であることがわかりました。
般若経あるところに十六善神ありです。
私が小学校の頃、図書の時間に読む本はいつも「西遊記」と「東海道中膝栗毛」でした。

ホームページ  www.ravana.jp

音楽の話(フランシス・レイに捧ぐ)

ガンジーファ - 013
作曲家フランシスレイが86歳で亡くなりました。
hw414_AS20181108000575_comm.jpg
また虫の知らせなのでしょうか、訃報のニュースが流れた前日にBSで録画したルルーシュの「男と女」を見たばかりです。
そして改めてフランシス・レイがいなければこの映画は成り立たないし、彼のセンスの素晴らしさを再認識いたしました。
この映画から、この音楽から私の映画人生が始まりました。
フランシス・レイは1932年ニースに生まれました。
フランシスは15歳上の従兄弟からアコーディオンの奏法を学び中学を卒業後は演奏者としての活動を始めます。
フランシスレイ
フランシスレイ2
1955年のこと、マルセイユのキャバレーで出会ったクロード・ゴアティに再会し、彼女のすすめでパリのモンマルトルに移り住み、そこで詩人のベルナール・ディメに出会ったことで、彼はモンタン、ピアフらの音楽を手がけるようになりました。
1964年にピエール・バルーの紹介で映画監督クロード・ルルーシュと出会い、3人で不世出の名画「男と女」を作り上げます。
これが大ヒットとなりルルーシュとのコンビで「パリのめぐり逢い」「白い恋人たち」とヒットを続けます。
1970年「ある愛の詩」でアカデミー作曲賞を受賞します。
映画音楽は映像と結びついているものですから監督と作曲家の相性は非常に重要です。
そしてお互いの作品に対する感性も重要です。
ニーノ・ロータとフェリーニは一心同体です。
ニーノロータ
ニーノロータ2
ニーノ・ロータは「本業はあくまでクラシックの作曲であり、映画音楽は趣味にすぎない」と言っていますが、とても趣味とは思えません。
フェリーニのすべての作品を手がけ、フェリーニの他には「太陽がいっぱい」「ロミオとジュリエット」「ゴッドファーザー」などの作品も作りました。
ミシェル・ルグランはジャック・ドゥミ監督と「シェルブールの雨傘」「ロシュフォールの恋人たち」そのほか「女と男のいる舗道」「 5時から7時までのクレオ」などに参加しています。
みしぇるるぐらん3
ミシェルルグラン2
ヘンリー・マンシーニはブレイク・エドワーズとのコンビで「ティファニーで朝食を」「酒とバラの日々」「ピンクの豹」
、そして忘れてはいけないのが「大アマゾンの半魚人」の音楽を担当していることです。
ヘンリーマンシーニ
ヘンリーマンシーニ2
良い映画音楽は映画と離れて一人歩きします。
しかし音楽を聴いた時には影のように映画のシーンが現れるのも事実です。
もし気に入った映画音楽があり、まだ映画を見ていなければすぐに見てください。
見る前にどんなシーンで使われているか、想像するのはとても楽しいことです。
フランシス・レイ様どうぞ安らかにおやすみください。
私は一生「男と女」を見続けるでしょう。

8-2ウィジョヨクスモの花


ホームページ  www.ravana.jp


音楽の話 その54(スティーブ・ミラー・バンド)

ガンジーファ - 081
スティーブ・ミラー・バンドのセカンドアルバム「Sailor」はジャケ買いしました。
何かとてもミステリアスで難破船に惹かれるものがありました。
Steve Miller Band
A面に針を落とすと、いかにもこれから出航する様な汽笛や波の音から始まる「Song for Our Ancestors」はまるでプログレみたいです。
続く[Dear Mary]はとても美しい曲です。
ビートルズの「For no One」と直似たホルンがはいります。
「My Friend」アップテンポの小気味よいナンバー、バイクの音から入りハーモニカが黒っぽい「Living in the U.S.A.」シングルかットされてヒットしました。
「Quicksilver Girl」はギターの弾き語りから始まるジャージーな曲、「Lucky man」とても黒っぽく、オルガンが最高です。
お遊び的なブルースの巨匠ジョニー・ワトソンの「Gangster of love」、ドアーズの様なジミー・リードのブルースナンバー「You’re So Fine」、ディランの様な「Overdrive」、ハードロックナンバー「Dime-A-Dance Romance」などが詰まったアルバムです。
A面の「Song for Our Ancestors」から最後の「Living in the U.S.A.」は当時よく聞いていました。
Steve Miller Band4
デビュー・アルバム 「チルドレン・オブ・ザ・フューチャー」は色々な要素を取り入れ、自分たちの道を模索するアルバムでした。
「Babys callin Me HOme」は私の好きな曲です。
「In My first Mind」は7分を越える大作で、「Sailor」に入れても違和感のない曲です。
当時はメンバーのボズ・スキャッグスが大ブレークするとは夢にも思いませんでした。
AORというジャンルまで作ってしまいました。
ボズとスティーブは高校、大学と同級生で、当時から一緒にバンド活動を行っていました。
その後スティーブはアメリカに渡り、ボズはヨーロッパを放浪します。
ヨーロッパから戻ったボズは再びスティーブのバンドに加入し「チルドレン・オブ・ザ・フューチャー」と「Sailor」に参加しています。
Steve Miller Band5
その後音楽性の違いかどうか解りませんがグループを去りソロ活動に入ります。
そして生まれたのが1972年の「My Time」です。
アルバムジャケットが最高です。
Steve Miller Band2
マッスル・ショーズで録音された「Dinah Flo」はとてもノリの良い曲です。
アル・グリーンの「Old Time Lovin」、アラン・トゥーサンの「Freedom For The Stallion」も良い出来です。
そして1976年にAORの傑作「Silk Degrees」を発表します。
一方スティーブは翌1973年に8thアルバム『ジョーカー』をリリースします。
Steve Miller Band3
アルバムは100万枚を超えるプラチナ・ヒット作となり、翌年初頭にシングルカットされた「Joker」は全米チャート1位を獲得しました。
二人の個性が詰まった「Sailor」は素晴らしいアルバムです。

Ωベストアルバム 「Sailor」

8-2ウィジョヨクスモの花


ホームページ  www.ravana.jp