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石の巡礼 その6(白滝山ー龍泉寺十六善神)

AA1_0281のコピー
今回は広島県三原市にある白滝山龍泉寺です。
白滝山の山頂付近に龍泉寺があります。
龍泉寺は、小早川氏の一族の小泉氏の氏寺です。
この寺の本堂裏の白滝山山頂は「八畳岩」 と呼ばれる巨大な花崗岩の露頭があり、その「八畳岩」の岩壁に、釈迦三尊と、十六善神の磨崖仏が彫られています。
「八畳岩」は上に登ることができ、大三島や生口島などの島々、周辺の山々が見渡せ、素晴らしい眺めです。
残念ながら私が訪れた時には霧がひどく、海ははっきり見えませんでしたが、やがて霧が晴れるとまるで天空にいるように雲海(霞?)が広がり、とても幻想的な景色になりました。
白滝山
ここに掘られている十六善神とは醜怪な夜叉や鬼神が、仏の教えを聴いて改心し、善心をおこして三宝に帰依(仏教徒になる)することで善神となった神です。
そして「般若経」とその誦持者の守護を誓いました。
『玄奘三蔵は大般若経などの経典357部をたずさえ帰路を急いでいましたが、川のほとりで鬼神深沙大将が現れました。深沙大将は「これまで法師の旅を邪魔してきたが、今こうして沢山の経典をたずさえた法師を見て仏法に寄せる情熱を理解し、これまでの行いを後悔している」と懺悔しました。すると法師は、「今の懺悔によって、あなたが犯した罪はすべて消滅した。これから先は、あなたの家来とともに仏法を広めて、衆生済度に精進しなさい」と言い、大般若経を取り出して深沙大将の頭上にかざします。深沙大将は、「これからは般若経を身をもって防ぎ守ります。また、般若を敬い信じる人に対しては、現在から未来にいたるまで、いついかなる場合もその願いが叶うよう援護するでありましょう」と法師に固く誓約しました』という話は有名です。
この話を元にした西遊記では玄奘三蔵は三蔵法師、深沙大将は沙悟浄です。
「八畳岩」に彫られているのは十六善神と玄奘三蔵、深沙大将、常啼菩薩、法涌菩薩と釈迦、迦葉、阿難の釈迦三尊です。まず始めに現れるのは釈迦三尊です。
釈迦、迦葉、阿難の釈迦三尊
0釈迦 脇侍に迦葉・阿難
十六善神と彫られた年代が違うようで出来はあまりよくありません。
さらに進みますと大岩に彫られた10体ほどの十六善神が現れます。
左端の深沙大将は6個のドクロのネックレスとお腹に子供の顔が彫られているのでわかります。
隣には深沙大将に狙われている少年らしき像、経典を求めて天竺へ旅した玄奘三蔵、勇猛心地、吠室羅摩拏(多聞天)摂伏諸魔と続きます。
深沙大将
1深沙大将
   1深沙大将


子供
2子供

















玄奘三蔵
3玄奘三蔵jpg
   2玄奘三蔵のコピー


勇猛心地善神
4勇猛心地
   3勇猛心地善神


吠室羅摩拏善神(多聞天)
5吠室羅摩拏(多聞天)
   5多門


摂伏諸魔善神
5摂伏諸魔
   4摂伏諸魔善神


上段には提頭頼吒善神(持国天)、般若経に縁が深い法涌菩薩、抜除罪垢(ばつじょざいく)、やはり般若経に縁が深い常啼菩薩が彫られています。
提頭頼吒善神(持国天)
6提頭頼吒善神 (持国天)
   6提頭頼吒善神


法涌菩薩
7法涌菩薩
   7法涌菩薩


抜除罪垢善神
8抜除罪垢
   8抜除罪垢善神


常啼菩薩
9常啼菩薩
   9常啼菩薩


岩を廻ると増益(ぞうやく)、師子威猛(ししいもう)上段に毘楼勒叉(びるろくしゃ、増長天)が彫られています。
増益善神
10増益
   10増益善神


師子威猛善神
12師子威猛
   12師威猛善神


毘楼勒叉善神(増長天)
11毘楼勒叉(増長天)
   11毘盧勒叉善神


さらに回ると降伏毒害、除一切障難、能救諸有・毘盧博忍善神、上の岩に救護一切吠室羅廊善神、 能忍(のうにん)、さらに進むと毘楼博叉(びるばくしゃ、広目天)、歓喜(かんぎ)、離一切怖畏(りいっさいふい)が彫られています。
降伏毒害善神
13摧伏毒害
   13降伏毒害善神


除一切障難善神
14除一切障難
   14除一切障難善神


能救諸有・毘盧博忍善神
15能救諸有
  16能救諸有・毘盧博忍善神


救護一切吠室羅廊善神
16救護一切
  16救護一切吠室羅廊善神


能忍善神
17 能忍
   15能忍善神


毘楼博叉善神(広目天)
18毘楼博叉(広目天)
   16毘留博叉善神


歓喜善神
19歓喜
   17歓喜善神


離一切怖畏善神
20離一切怖畏
   18離一切怖畏善神


どうして白滝山龍泉寺の岩に十六善神が彫られたのかわかりませんがこの彫刻は「般若経」の儀軌に忠実に彫られています。
おそらく、ここの寺院に収められていた般若経典を守るために、この花崗岩の巨大な岩に十六善神を彫ったと思われます。この十六善神の彫刻は非常にめずらしく、私が知っている限りは、上野の国立博物館の中庭に移築された旧十輪院宝蔵だけです。
旧十輪院宝蔵
校倉の四方の腰には十六善神を線彫りで表す石がはめられています。
旧十輪院宝蔵2
なにせ鎌倉時代前期のものですから保存状態があまりよくありませんが素晴らしい彫刻です。
旧十輪院宝蔵3
校倉は『大般若経』が納められていた経蔵でした。
内部壁面には大般若経にゆかりの菩薩や十六善神が描かれていますが、公開されていません。
旧十輪院宝蔵4
般若経と十六善神はとても深い関係であることがわかりました。
般若経あるところに十六善神ありです。
私が小学校の頃、図書の時間に読む本はいつも「西遊記」と「東海道中膝栗毛」でした。

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石の巡礼 その5(隼人塚)

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隼人塚の写真を見て、以前から訪れて見たいと思っていました。
その写真は小山に石塔が3塔並んで建っており、その四方に石像が4基立っているものでした。
見た瞬間、韓国かと思いました。
石塔の形が韓国に似ているのです。
また石像(四天王)も韓国ぽいのです。
1隼人塚
それでは鹿児島県霧島市へ出発です。
説明によりますと古代南九州に住む人々は、熊襲(くまそ)・隼人(はやと)と呼ばれていました。
隼人は、奈良時代、律令制による薩摩国(薩摩半島を主とする地域)・大隅国(大隅半島を主とする地域)建国の以前から、大和朝廷に朝貢(ちょうこう)し、一部は奈良やその周辺に移住して朝廷に仕え、宮門の警護や儀礼などを担当していました。
「畿内隼人」と呼ばれたこれらの隼人とは別に南九州には、依然として大和朝廷に服従しない隼人がいて、しばしば反乱を起こしていました。
最も大きかったのは、養老4年( 720年)の反乱で、隼人が大隅国の国司を殺したことから、大和朝廷はそれを鎮定するため、大伴旅人を将軍に一万人ほどの兵隊を南九州に送ります。
一年数ヶ月に及ぶ戦いで、1400人余りの隼人が首を切られたり、生け捕りにされたと言われます。
12隼人塚
この反乱の後、隼人の霊を慰めるため宇佐神宮で始まった「放生会(ほうじょうえ)」が鹿児島神宮にも伝わり、祭りの神輿(みこし)が浜の市に下る途中、立ち寄って供養の儀式を行なったところが隼人塚だったと考えられています。
またここは正国寺跡とも言われています。
つまり誰がいつ、何のために建てたのか解らないのです。
まずは塔をみてみます。
向かって左側(西塔)と右側(東塔)はほぼ同じ大きさで、真ん中の中央塔が少し大きく作られています。
全て五重石塔で各層の各面には彫刻があります。
東塔の初層の各面には両脇に連子窓、中央に如来坐像を刻んでいます。
6東塔
2層から5層の軸部四面にも仏像が刻まれています。
7東正面
中央塔も同じですが保存状態が良くありません。
8中央塔60
初層正面には智拳印の大日如来と思われる如来坐像を刻みます。
9中央正面
そのほかは良くわかりません。
西塔は東塔と同じように初層の各面には両脇に連子窓、中央に如来坐像を刻んでいます。
10西塔
正面の坐像は定印の阿弥陀如来と思われます。
11西正面
四天王を見ます。
向かって右前列には東方を守る持国天が鎧に身を固めた姿で立っています。
3持国天
一番保存状態が良い像で邪鬼の上に立ち右手を振り挙げ、左手は剣を持ち斜めに構えています。
右足で邪鬼の頭を踏み、兜の正面には東南アジアで言うマカラのようなものが彫られています。
左前列は南方を守る増長天が剣を地面に差し両手で支えています。
4増長天
その後ろには西方を守る広目天が戟を地面に突き立てています。
邪気を踏みつけています。
2広目天
持国天の後ろには北方を守る多聞天が邪鬼の上に立っています。
5多聞天
平安時代後期の製作と言われていますが、似た石像物はありません。
私にはどうしても異国(新羅)の雰囲気がするのです。

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石の巡礼 その4(十王4)

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今回は中部・関東地方の十王像です。
それでは群馬県から見ていきます。
群馬県利根郡みなかみ町の旧伽立村の祠に安置されている十王はとても保存状態が良くすべてそろっていますが、私が訪れた時には鍵がかかっていたのでガラス越しからの見学になりました。
小さな像ですがなかなか良い出来です。
                 伽立村十王
2伽立(十王)群馬
3伽立(十王)群馬
沼田市の追母薬師堂の十王も堂内に保存されているので全て揃っています。
石の巡礼十王1で載せた写真は追母薬師堂の十王です。
管理されている方に開けてもらい、十分観察しました。
ここは薬師堂ですので、木造の薬師如来、日光・月光菩薩、十二神将が安置されています。
                 母薬師堂十王
4追母薬師堂(十王)群馬
5追母薬師堂(十王)群馬
前橋市の香集寺には十王像はありませんが、地獄の裁判のセットである浄玻璃の鏡(閻魔王庁に置かれており、この鏡には亡者の生前の一挙手一投足が映し出されるため、いかなる隠し事もできない)、人頭杖(檀拏幢とも言い閻魔王が持つ杖で、杖の上には通称「見る目」「嗅ぐ鼻」と呼ばれる2つの頭部が乗っており、これらは閻魔王が冥府で亡者を裁く際に善悪を感知する)、業の秤(地獄にあって亡者の罪業をはかるという秤)が彫られた石像物が境内にあります。
                 香集寺
6香集寺(業の天秤 十王)群馬
信州の駒ヶ根市東伊那にある大蔵寺は守屋貞治の延命地蔵菩薩で有名ですが、ここに十王堂があり保存状態の悪い十王が安置されています。
大きな石の上に小さな石を乗せただけの十王に見えますがとても哀愁のある像です。
                 大蔵寺十王
7大蔵寺(十王)信州
同じく信州上田の別所温泉にある満願寺の境内には十王を安置した小屋があります。
                 満願寺十王
8満願寺001
埼玉県の熊谷市の光照寺には一石に閻魔王と十王を掘った1695年の像立の十王石仏があります。
上部には唐破風を作り、三段に分けて閻魔王、十王5体ずつを彫ります。
                 光照寺十王石仏
9光照寺十王石仏埼玉
山梨県の大月にある新倉薬師堂の十王は人頭杖、業の秤以外は司禄、司命も揃っています。
薬師堂なので木造の薬師如来、十二神将も安置されています。
                 新倉薬師堂十王
10大月新倉薬師堂(十王・十二神将)
大月の袋香寺には素晴らしい十王塔があります。
袋香寺は無住の荒れ果てた寺院ですが参道に十王塔はあります。
1面に地蔵と司禄、司命、その下部に業の秤、浄玻璃の鏡、人頭杖、他の3面に十王が彫られています。
                 袋香寺十王塔
11大月袋香寺(十王塔)
埼玉県の熊谷市近郊には十王塔が数カ所見つかります。
一つは玉井寺の墓地にあります。
                 玉井寺十王塔
12玉井寺(埼玉)
近くの高柳にもよく似た十王塔があります。
                 高柳十王塔
13高柳(埼玉)
星渓園の庭園の中に2基あります。
                 星渓園十王塔
14星渓園(埼玉)
神奈川県では松田町の覆屋の中に他の石仏と一緒に安置されています。
                 松田町十王
15松田町(道祖神)
真鶴の如来寺跡の十王は特異です。
「岩」という海岸の洞窟の中に安置されています。
迫力のある閻魔像を中心として十王、奪衣婆、人頭杖が並んでいます。
注目は倶生神です。
閻魔王の隣に立っています。
この洞窟の奥にも、もう一体閻魔像が安置されています。
                 如来寺跡十王
16如来寺跡(十王)真鶴

湯河原の駅の裏にある薬師堂の十王も見逃せません。住宅の奥にあり薬師堂の向かって右側には素晴らしい閻魔像と十王が、左側には迫力のある奪衣婆と2像が安置されています。
                 湯河原薬師堂十王
17薬師堂(十王)湯河原
東京では練馬の長命寺です。
東の高野山と言われ境内には沢山の石仏があります。
その中にほぼ等身大の十王が並んでいます。
残念なことに石質が悪いのか崩壊が早そうです。
                   長命寺
18長命寺(十王・十三仏)
板橋区の志村の延命寺地蔵堂には素晴らしい十王塔があります。
立派な唐破風の笠がのった角柱の4面に人頭杖、業の秤、奪衣婆、おそらく司禄と倶生神、九王が彫られ、隣に立派な丸彫りの閻魔王が安置されています。
その前には十三仏が並びます。
                 延命寺地蔵堂十王塔
20延命寺地蔵堂(十王、十三仏)
21延命寺地蔵堂(十王、十三仏)
練馬区の大泉教学院には立派な人頭杖と十王が並んでいます。
                 大泉教学院十王
22大泉教学院(十王)
21大泉教学院(十王)

十王像は鎌倉時代から見つかりますが、庶民の間では江戸時代から全国に浸透していったようです。

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石の巡礼 その3(十王3)

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今回は近畿地方の十王像を見ます。
新薬師寺」 奈良市内
1新薬師寺
新薬師寺の境内に石仏が安置されています。
その中に鎌倉時代の地蔵十王石仏があります。
地蔵菩薩の右手は来迎印、左手には宝珠を持っています。
地蔵菩薩の光背の左右に5体ずつの十王、光背上部のはっきりしませんが地獄の様子を彫ったと言われています。
とても興味深い石仏です。
念仏寺(星曼荼羅石)」奈良市内
2念仏寺(星曼荼羅石)奈良市内
DSC_4249.jpg
3念仏寺(太山王)
念仏寺の境内には鎌倉時代末期の星曼荼羅石と十王の太山王の石像が並んで安置されています。
星曼荼羅石は岩面を四段に区分けし、中央の釈迦金輪仏頂の種子を中心に北斗七曜星の種子、次の区画に九曜星、次の区画に十二宮、次の区画に二十八宿の星宿種子、合計57の種子を配したもので、拝むことにより長寿富貴が得られると言われています。
太山王は死後49日目に最終審理を行う裁判官で寿命を司ると言われています。
「郡山城址・二面石」大和郡山
4郡山城址・二面石2
5郡山城址・二面石
郡山城の石垣に使われていた石仏のひとつで鎌倉時代後期の作です。
表裏二面に彫ってあり、表面は右手錫杖、左手宝珠を持つ地蔵菩薩立像(頭部欠損)、裏面は冥官と従卒です。
地蔵の光背の両側に十王が彫られています。
裁判と救済のとても興味のある像です。
染田地蔵十王石仏」 奈良大和高原
6染田地蔵十王石仏4
7染田地蔵十王石仏 奈良大和高原
8染田地蔵十王石仏2
9染田地蔵十王石仏3
大和高原の山里染田に通称穴薬師算と呼ばれる石仏群があります。
ほとんどが地蔵菩薩と十王で、近年整備され、綺麗に並んでいます。
十王は一番奥に並んでおり、室町時代の像立です。
福住十王石仏」 奈良大和高原
10福住十王石仏奈良大和高原
天理市の福住にある笠石仏形式の十王石仏。
3段に11体の像が刻まれており、上段中央の像は阿弥陀座像でそのほか十王10体です。
江戸中期の像立。
小菩提寺址 閻魔王」 滋賀県甲西町
11小菩提寺址(石仏)閻魔王2
ここには石造多宝塔(1241年)、鎌倉初期から南北朝にかけての3体地蔵があり、その奥に閻魔像があります。
この像は駒型の石に閻魔王を中心に、阿弥陀如来、地蔵2体、僧形の計5体を刻んだ室町時代後期の珍しい石像です。
上部中央に閻魔王、向かって左に阿弥陀座像、右に合掌地蔵、下部向かって左に僧形座像、右に地蔵座像。
「多羅尾浄顕寺の十王」 滋賀信楽町
13多羅尾浄顕寺の十王滋賀
浄顕寺の境内にひっそりと安置されています。
1体かけて9体しかありません。
江戸時代初期の像立で保存状態が良くありません。
治田地蔵十王磨崖仏(大川地蔵磨崖仏)」三重県伊賀市
15地蔵十王磨崖仏(大川地蔵磨崖仏)三重
名張川と与野川の合流地点の大きな岩に刻まれた巨大磨崖仏で地蔵と十王が彫られています。
地蔵は光背を負い、蓮華の上に立ち右手に錫杖、左手に宝珠を持ちます。
向かって左に閻魔王、右に太山王を刻みます。
他の岩にも十王が彫られています。
室町時代中頃の作です。
それにしても足が稚拙です。
別府十王石仏」三重県伊賀市青山
16別府十王石 仏三重
横長の自然石の中央に蓮華の上に座す閻魔王、左右に5体ずつ十王が彫られています。
上部には同じ大きさの笠石が載せてあります。
保存状態も良く、とても可愛い顔をしています。
右端の1体は司録といわれています。
とても面白い石像です。
1689年に造られました。
神足・古市共同墓地十王石像」京都府長岡京市
17神足・古市共同墓地 十王石像京都
ここには六地蔵、釈迦如来、阿弥陀如来、十王の石仏が安置されています。
十王は現在五王が残っています。
江戸時代末期の作で中央のひときわ大きな像が地獄の王である閻魔王、左からの罪状を記す司命(初江王)、その隣が人頭杖を持つ太山王(変成王)、閻魔大王、巻物を開き亡者の罪状を読む司録(平等王),筆と冊子を持つ五道輪転王(宗帝王)です。

さすがに近畿地方では鎌倉時代から江戸時代末期まで、いろいろな種類の十王像が見つかりました。

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石の巡礼 その2(十王2)

0表紙2
今回は各地にある十王像を見て見たいと思います。
浄土宗の発展において葬祭儀礼の導入が重要な役割を果たすようになると、室町時代ごろから地蔵十王信仰が一般化して江戸時代には全国、特に東日本でたくさんの十王像が制作されました。
ほとけの救済に預からなかった人は、死後生前の行ないを吟味する裁判を受けなければなりません。
その裁判長が十王で、初七日から三回忌までを十人の王が担当し、閻魔王はその中心的な存在です。
判決によって生まれ変わる世界が決まるため、裁判を亡者に有利なものにするため遺族が回忌供養を行なうのです。
地蔵菩薩は地獄までも救済に赴くとされ、十王や六道(地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天)の信仰が普及するとともに地蔵が厚く信仰されるようになりました。
地蔵が右手に持つ錫杖は、巡礼する僧と同じように六道を巡って人々を救うことを意味します。
地蔵と十王の関係は密接で彫刻に現れます。
まずは九州地方の十王像です。
大分県は石造物の宝庫です。
臼杵の磨崖仏から見ていきたいと思います。
          「臼杵石仏 大分臼杵 ホキ石仏第一群第四龕
1ホキ1001
臼杵の石仏は唯一国宝に指定されている石仏です。
4カ所に分かれており、地蔵十王がある龕はホキ石仏第一群第四龕です。
鎌倉初期に掘られたようです。
中央に右脚を折り曲げ、左足を垂らして座る半跏椅像の地蔵菩薩、左右に5体ずつ十王像が彫られています。
十王は衣冠束帯の道服の姿で長い時を経て残る色彩が素晴らしい像です。
               「千燈寺 大分国見」
2千灯寺
                    鬼
2千灯寺(十王)2
国東六郷満山霊場23番の千燈寺の境内にある堂の中に安置されています。
とてもしっかりした像で、儀軌に忠実に作られています。
近くに旧千燈寺跡や千燈石仏があり、その途中によって見つけました。
十王のほか地蔵菩薩、奪衣婆、鬼までいます。色彩が残っています。
               「常念寺 大分国見」
3常念寺
同じ国見町にある常念寺にもとても良くできた十王があります。
千燈寺の十王によく似ていますがこちらの方が細部まで彫刻され持ち物もよく彫られています。
顔の表情も優れています。
保存状態が良い像です。
               「富貴寺 大分豊後高田」
4富貴寺
                 十王と浄玻璃鏡
5富貴寺6
                 十王と檀拏幢
6富貴寺8
国宝富貴寺参道入り口の左右に石殿が一つずつあります。
石で作られた小さな仏殿で入母屋造の屋根と側面に彫刻があります。
1つの石殿に5体ずつ、計10体の十王と浄玻璃鏡、檀拏幢が彫刻された非常に珍しいものです。
南北朝時代の作です。
また境内にも十王石仏が安置されています。
7富貴寺4
野外のため保存状態は良くありません。
               「轟地蔵 大分杵築」
8轟地蔵003
道脇から谷に降りたところに白粉を塗られた轟地蔵が安置されています。
そこに苔むした十王が並んでいます。
とてもすぐれた彫刻で十王の表情が素晴らしく、苔とマッチして素晴らしい雰囲気を醸し出しています。
               「願成就寺 大分日出」
9願成就寺2
国東六郷満山霊場 第三十三番で山門を登ると中門があります。
中門の左右に保存状態の悪い十王が5体ずつ安置されています。
境内には1311年の立派な国東塔が安置されています。
       「堂の迫磨崖仏 六地蔵・施主夫婦像・倶生神 大分豊後高田」
10応暦寺016
                六観音・十王像・六地蔵
11応歴寺013
応暦寺の奥の院へ行く途中の崖の上にあります。
室町時代初期の作で崖の上部に50cmほどの大きさで六観音・十王像・六地蔵・施主夫婦像・倶生神(司録像)を半肉彫りしています。
そらく、倶生神に夫婦の善行を記録させ、死後、冥界の十王に、報告させて、極楽往生を願ったものと思われます。
               「倉成磨崖仏 大分山香」
12倉成005
石切場の窟の中に地蔵菩薩を中心に左右に2体の十王像と、その他、倶生神像2体、童子形像2体の計7体の像が彫られています。
極楽往生を願って彫られた摩崖仏と思われます。
今回大分県を中心に十王像を見てきました。
大分県は石仏の宝庫です(遺跡の旅XXXⅠ)。
磨崖仏だけではなく、寺院の彫刻その9でお話しした仁王像、庚申塔など面白い石造物がたくさんあります。
次回は近畿地方の十王を見ていきます。

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