旅の話 その5(街路樹)

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アジアの街路樹の話です。
インドをドライブしていると焼ける様な日差しの中をひたすら歩いている人達がいます。
インドの田舎ではバスの本数も少なく、自転車もあまり利用されていません。
多少の距離は歩きます。
本来街道には樹木が植えられ日影がつくられていたはずですが現代では所々残っているだけです。
街路樹として植えられた樹木は、実が食用になるタマリンド、
1タマリンド
歯ブラシや虫除けになるニーム、
2ニーム
紫檀やローズウッドとよばれるシーシャム、巨大なマメがぶら下がるビルマネムノキ、
3ビルマネムノキ
火炎樹と呼ばれる鳳凰木(西インドで女性が髪に編み込む火炎樹の花は砂漠に映え美しい)、
4火炎樹グルモハル
釈迦が悟りを開いたインド菩提樹(とても大きな日影をつくるので樹下は人々の語らいの場になる)などがあります。
またマンゴーは沢山の美味しい実を作りますし、最近日本でも見られるようになったジャカランダはとても美しい紫色の花を咲かせます。
5ジャカランダ
初めて見た時は余りの美しさに絶句しました。
日本では桐の花が美しいですね。
バンコクではタイの国花ゴールデンシャワーが渋滞の町を黄色く染めてくれます。
6ゴールデンシャワーじゅ
私が好きなのはプルメリアです。
7プルメリア
花も綺麗ですが香りが素晴らしく、寺院の階段の両側に植えられています。
日本の桜も美しさでは世界でトップです。
街路樹は人々の生活と密接な関係を持ちます。
インドの村を訪れるとたいてい大きな菩提樹やガジュマルがあります。
周囲をレンガや石で囲われ、そこに村の男衆が集まります。
女性はあまり見かけません。
女性は水場や家の周りに集まり仕事をしながら世間話や夫の悪口(たぶん)で盛り上がります。
男衆は特に何するではなく日がな道路を見つめ、たまに政治の話をしているようです。
そんなところに外国人がやって来て遺跡見学しようものなら、興味で村は大混乱です。
場合によっては村長まで出てきます。
あまり大きくない樹下は午睡の場所です。
遺跡の内部も勉強や午睡の場所に最適です。
日影に入れば湿度は低く風が通るのでとても快適です。
大きな古い木には精霊が宿っていそうです。
すくなくとも何百年と人間の歴史を見て来ています。
従って地元の人はとても大事にします。
東南アジアやインドではこのような木の根元に石像や木像、お供え物などが祀られています。
特にインドでは「ナーガッカル」といって多産や豊饒を祈願するヘビ(ナーガ)の像を祀ります。
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日本では沖縄にとても古く大きなガジュマルやアカギの木が有ります。
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とても古い木には精霊のキジムナーが住みついていると言います。
キジムナーは子供にしか見えません。
私がふざけて見たと言ったらそれは悪い霊ですぐにお祓いを受けて下さいと真剣に言われました。
上原正三 「キジムナー kids」はすべての人にお勧めの必読書です。

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旅の話 その4(名車アンバサダー)

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私がインド旅行を始めた頃は、ほとんどの車は「走るシーラカンス」と呼ばれるアンバサダーでした。
公用車も自家用車もタクシーも観光用の車もすべてアンバサダーです。
アンバサダーは1942年にイギリスのモーリス・オックスフォードをもとにヒンドゥスタン・モーターズで製作されました。
アンバサ3
私達が利用するタクシーも観光用の車もボロボロです。
モデルチェンジをしないので私達にはどのくらい古いのか解りません。
みんなレストアして上手に使っています。
私の旅行は観光用のアンバサダーでインド国内を回ります。
遺跡はとんでもない所にありますので国道の悪路はもとより、砂地、湿地、岩地など4WD顔負けで走ります。
というとカッコよいのですが実際パンクは日常茶飯事、ラジエターの故障、シャフトが折れたりとか様々な災難がふりかかります。
その都度車を押したり大変です。
しかしどんな時でもちゃんと戻ってこれるのでとても不思議です。
1500cc OHVで頑張るのです。
スピードメーターが壊れている場合が多いので、おそらく最高速度は80km位で100kmは出ないと思います。
リヤーシートは天井が高く乗りやすいのですが、シートがへたっているので、コーナーでは滑ってお尻が安定しません。
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また冷房の調節が出来ないので、ONか0FFかです。
車によっては後から冷気が出る場合もありますので、遺跡見学で汗だくになった身体にすぐ後からの冷気は耐えられません。
インドでは村の入口にスピードを出させないようにするため、道路に段差が洗濯板のように付けられています。
クッションのへたった車では10kmでもかなりの衝撃なのに、30〜40kmで突っ込んだら天井に頭をぶつけます。
したがっておちおち眠ることも出来ません。
そんなアンバサダーですが、ついに2011年にはタクシーに使用出来なくなり、2014年には製造中止になりました。
アンバサ
お金持ちはBMWやベンツに、タクシーや自家用車は日本のスズキや韓国の現代に変わりつつあります。
もちろんインドのタータも頑張っています。
あの愛くるしい顔のアンバサダーは絶滅危惧種のレッドデーターです。
インドの旅では必ず一緒だったアンバサダー、楽しいことも苦しいことも一緒だったアンバサダー、 君は不滅です。

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旅の話 その3(コロニアルホテル3)

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東南アジアのコロニアルホテルのお話をします。
ラングーン(ヤンゴン)のストランドホテル(THE STRARAND YANGON 1910年開業)には間に合いました。
当時ミャンマーの個人旅行はなかなか難しいのでツアーで行きました。
たまたまヤンゴンではストランドホテルに宿泊です。
ストラッド
外国人が泊まるホテルはここしかなかったのです。
チークを多用した重厚な内装、高い天井、その天井で優雅に廻る扇風機、昔の手動のエレベーター、全て映画のセットの様です。
しかし長年の間に痛みがひどくなっています。
部屋もとても広いが当然のごとく床が少し傾いています。
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次に個人旅行で行った時にはリニューアルされ、あまりに高額の料金で泊まれませんでした。
シンガポールのラッフルズ(RAFFLES HOTEL SINGAPORE 1887年開業)も間に合いました。
入り口にシーク教徒の様なドアマンがいて気分が盛り上がります。
ここはコロニアルホテルの典型で,廊下もオープン、部屋も広くインテリアも最高ですが、床のゆがみは致し方ありません。
ラッフルズ
回廊から眺める中庭は小さなプールもあってとても手入れが行き届いています。
廊下にはところどころエマニエル夫人が座る籐のイスが置いてあります。
モームに習って、ロングバーでシンガポールスリングを飲みます。
ここもリニューアルに入りました。
ラッフルズ2
タイではオリエンタルホテル(MANDARIN ORIENTAL BANGKOK)に泊まりましたが残念ながら新館の普通の部屋でした。
しかしサービスは素晴らしく従業員はゲストの名前とルームナンバーを覚えます。
何気なくエレベーターに乗ると挨拶し部屋の階のボタンを押してくれます。
これが世界のサービスです。
インドネシアジャワ島のスラバヤにあるホテルマジャパピ(HOTEL MAJAPAHIT SURABAYA 1910開業)には間に合いませんでした。
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まだリニューアルしたばかりのピカピカのホテルに泊まりました。
写真で見た以前の状態に忠実に再現してあるように思われました。
本当のコロニアルホテルです。
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特に庭が素晴らしく背の高いヤシとコリドーが印象的です。
カンボジアではプノンペンのホテル レ ロイヤル(RAFFLES HOTEL LE ROYAL)は休館して泊まることは出来ませんでした。
シェムレアップにあるグランドホテル(RAFFLES GRAND HOTEL D’ANGKOR 1935年開業)もホテルとしては泊まることが出来ませんでしたがレストランだけは営業していました。
アンコール遺跡を見学して汗だくでレストランへ行くと入り口で冷たいおしぼりを出してくれたことを思い出します。
当時は最高級のホテルでしたが長引く内戦でぼろぼろになってしまいました。
グランドホテル
しかしアンコール遺跡を見学するためにはこのホテルは不可欠です。
その後ホテルも営業再開したので、旅行社の知人がこのホテルに滞在するツアーを企画してそれに参加しました。
シャーワーは水だけでそれも断水します。
トイレの便座はありません。
しょっちゅう停電になり、エアコンも使えません。
ソファーはボロボロで、ベットのスプリングは散々です。
ホテルの従業員はほとんど素人で制服はつぎはぎだらけです。
でも窓からアンコールワットの尖塔が見えるこのホテルが一番好きです。
グランドホテル2
このホテルもリニューアルされ最高級ホテルに生まれ変わりました。
早朝ソ連製のおんぼろバスで誰もいない、アンコールワットやバイヨンに行ったことが夢の様です。
べトナムのサイゴンはプチパリと呼ばれとても綺麗な町でした。
古いホテルも沢山ありましたが内戦でボロボロになってしまいました。
今はほとんどリニューアルされています。
私が初めて泊まったホテルはドップラックホテル(カラヴェルCARAVELLE HOTELE 1959年開業)でドンコイ通りの角にありました。
ロケーションはとても良いのですが、特にクラシックではないし特徴のあるホテルではありません。
窓からドンコイ通りの並木と商店が見え、シエスタの時間になると誰も通らなくなります。
コンチネンタルサイゴン(HOTEL CONTINENTAL SAIGON 1880年開業)は市民劇場の隣にあり、当時はリニューアルのため休業していました。
従って一番早くリニューアルしたホテルで内装やベランダが歴史を感じさせます。
宿泊したホテルで一番良かったのはマジェスティックホテル(HOTEL MAJESTIC 1925年開業)です。
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サイゴン川に面してドンコイ通りの突き当たりにあるとても素敵な建物です。
作家の開高健もここに泊まっていました。
ロケーションが抜群でここに泊まり、目の前のサイゴン川をクルーズするのが最高です(川は汚れていますが)。クルーズで茹でた河エビ、揚げ春巻き、鳩のロースト、蛙 のフライ、腎臓と椎茸の炒め物、空芯菜のオイスター炒めなど、川風にふかれながら食べます。
至福の一時です。
ハノイではソフィテル メトロポール ハノイ(1901年開業)が有名ですがホアビンホテル(HOA BINH HOTEL 1926年開業)に泊まります。
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とてもフレンドリーなこじんまりしたホテルで階段が素晴らしい。
この階段を見るだけで泊まる価値があります。
ホアビン
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ロケーションもとても良く、地下にマッサージがあるのが嬉しいです。
フエではレジデンス(LA RESIDENCE HUE)に泊まりました。
かつてフランス統治時代の総督の邸宅であった建物は丹念に改装され、豪奢な造りと雰囲気はそのままに、他に例を見ない独特の美しさをたたえるホテルに改築されました。
レジデンス
1930年代に人気を博したアールデコ様式がホテルのいたるところ見受けられ、その昔の雰囲気を今に伝えています。
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ロケーションもフォン川沿いに位置して申し分ありません。
庭の美しさに感激です。
ホイアンでは町中にある昔の町家風ホテル(築200年)のビンフンホテルに泊まりました。
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2階の通りに面した良い部屋で古いどっしりした家具がすばらしいホテルです。
天井は低いですが友人のお宅に泊めてもらった感じです。ベランダから外を眺めているととても楽しく飽きません。
ホイアンの人々の生活が垣間見られます。早起きをして町を散策するのがおすすめです。
東南アジアではラオスを始め、新しいホテルを建てるより、王族や、外国人の別荘をリニューアルしてコロニアルなプチホテルにすることが流行っている様です。
この方が景観も雰囲気も良いと思います。
さて次はどこのホテルに行きましょうか。

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旅の話 その2(コロニアルホテル2)

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コロニアルホテルではありませんが、インドのホテルを語る上でムンバイのタージマハル・ホテル(TAJ MAHAL PALACE&TOWER)は外せません。
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インドの近代工業の父でタタ・グループの創始者でもあるジャムセットジ・タタは、ムンバイ(旧ボンベイ)の当時最大のホテルだったワトソンズ・ホテルに入ろうとして白人専用であることを理由に宿泊を断られました。
これに怒ってもっと豪華なホテルをインド人の手でつくろうとインド人建築家を使って、1903年にタージマハル ホテルを開業しました。
私が大好きなイタリアの作家アントニオ・タブッキの「インド夜想曲」の主人公と同じ所に泊まってみようと思い、オールドウイングのインド門が見える部屋をリクエストしましたが、取れずセミスイートにしてくれました。
ぜひインド門が見える同じ部屋に泊まりたく、次の旅行で目的を達成しました。
タージ
ここは別世界で外は40度に近いのにロビーは22〜24度、したがって利用客はスーツやワイシャツにネクタイです。
館内ではビジネスマンが当時まだ珍しい携帯電話をかけまくっています。
そんな中、ゴアから来たとは言え、汗だくのTシャツに半ズボン、サンダルでチェックインしたときの恥ずかしさは言葉では言い表せません。
どこをとっても絵になるホテルです。
デリーではTHE IMPERIAL NEW DELHIのリニューアル前に何とか間に合いました。
インペリアル
1931年開業のコロニアルなホテルで部屋もそんなにぼろぼろではありません。
都会の中のオアシスと言う雰囲気です。
当時日本人の観光客がよく利用したホテルです。
インドで一番有名なリゾートホテルはウダイプルのレイクパレスでしょう。
レイクパレス
1743〜46年にジャガト・シングが避暑地、ジャグニワース宮殿として建て、後にバグワッド・シングがウダイプル初の高級宮殿ホテルに改装し現在はタージ系です。
私が泊まったときはリニューアル前でだいぶくたびれていましたがこの雰囲気はここだけのものです。
とにかく風が気持ちよかった。
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カルカッタ(コルカタ)のGREAT EASTERN HOTEL(1840年開業)にも幸運なことにぎりぎりセーフでした。
どうしても泊まりたかったのです。
GREAT EASTERN HOTEL
GREAT EASTERN
もうボロボロで宿泊客は2〜3組の様です。
驚かされるのが館内の暗さです。
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部屋までが迷路を歩いている様です。
部屋は広く天井は高いです。
GREAT EASTERN3
レストランはインド料理のレストランのみで従業員がみんなでテレビを見ています。
最高の雰囲気です。
味は普通でした。
翌日は早朝の出発だったので朝食はランチボックスにしてもらいました。
電車の中で食べたのですが絶品のチキンサンドでした。
本当に泊まれて良かったと思います。
次の年には営業停止でリニューアルに入ってしまったからです。
その他のコロニアルホテルはオリッサ州のプリーにある(あった?)S.E.RAILWAY HOTEL(1922年開業)です。
聖地プリーの海岸に立つ素晴らしいホテルです。
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本当のコロニアルホテルで長い廊下はフレンチウィンドウの鎧戸が続きます。
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部屋の前には籐の長椅子が置いてあり、窓から海岸が眺められます。
早朝と午後にティーブレイクがあり紅茶とぱさぱさのサンドウィッチを鉄道の制服姿のおじいさんが運んできます。
この長椅子に座り紅茶を飲んでいると窓から海風が入ってきてとても良い気分になります。
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もちろんここのレストランで夕食です。
コンチネンタルディナーしかなくメインは魚のムニエルで、スープとサラダとパン、デザート、コーヒーがついています。
とても広いダイニングに客はもう一組インド人家族だけです。
最高の雰囲気です。
本当にここに泊まって良かったと思いました。
夜中に嵐が来て海上に雷が沢山落ちました。その美しかったこと,ずうっと見ていました。
スリランカにも歴史の詰まったコロニアルホテルがあります。
その一つがコロンボのゴールフェイスホテル(GALLE FACE HOTEL 1864年開業)です。
ゴールフェイス5
ここもギリギリ間に合いました。
インド洋に面したゴールフェイスグリーンの目の前にたたずむ姿は歴史を感じさせます。
ゴールフェイス
ここで一番のおすすめはオープンエアーのベランダレストランでインド洋からの風が最高の気分にさせてくれます。
高齢のウエィターに白の制服がとても似合います。
ゴールフェイス4
歴史の三角地帯と言われる古都、アヌラーダプラとポロンナルワにもあります。
私の遺跡の旅は遺跡に近いホテルが最優先されると言いましたが、この2つのコロニアルホテルは遺跡公園内に建っているのです。
泊まらない手はありません。
アヌラーダプラにはTISSAWEWA REST HOUSE (1916 年開業)があります。
ANURADHAPURA,TISSAWEWA REST
ポロンナルワにはPOLONNARUWA REST HOUSE(1870 年開業)があります。
POLONNARUWA,REST2
両方とも国営なのでサービスは期待出来ません。
設備もぼろぼろですが歴史があります。
なんとエリザベス女王が泊まったのです。
ここも近年リニューアルされました。
紅茶で有名なヌワラエリアにも歴史のあるコロニアルホテルがあります。
グランドホテル(THE GRAND HOTEL NUWARAERIYA 1891開業)は1830年から1850年の間、スリランカの知事だったサー·エドワード·バーンズの元邸宅です。
グランドホテル
ここは高地で大変涼しくとても可愛い部屋にはマントルピースが設置されています。
夜寒かったので暖炉をつけてとお願いしたら、電気ストーブを持ってきてくれました。
グランドホテル2
ビリヤード室や図書室もありとても優雅です。
ここもリニューアルされました。
近くにハッガラ植物園があります。
ここは1861年にマラリアに対する特効薬であるキニーネを採るためのキナノキの栽培地であったものが始まりで、1884年に現在のような植物園になった歴史のある植物園です。
ぜひ訪れることをお薦めします。
次回は東南アジアのコロニアルホテルです。

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旅の話 その1(コロニアルホテル1)

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西洋の列強は南アジア・東南アジアに進出して次々に植民地化してきました。
19世紀半ばの蒸気船航路の開発、スエズ運河の開通によって欧米人のアジア来訪がいっきに増大します。
欧米人のアジアに対する興味や、客船の居住性が良くなったことも一因です。
しかし寄港地に着いても船舶内の狭い部屋に寝泊まりするのは苦痛です。
そこに目をつけ、港にヨーロッパ並みのサービスを提供するホテルを建てた人々がいます。
アルメニア人のサーキーズ兄弟はアジアの港市にヨーロッパ人向けの豪華ホテルを展開しました。
サーキーズ兄弟
ペナン島ジョージタウンに1884年イースタンホテルを開業しました。
EOホテル
またシンガポールに立てたホテルを敬愛するトマス・スタンフォード・ラッフルズにちなみラッフルズホテルと命名しました(1899年)。
ラッフルズ
さらにヤンゴンにザ・ストランド・ヤンゴンホテル(1901年)を建て、さらにインドネシアのスラバヤにマンダリン・オリエンタル・マジャパピ(1910年)を建てました。
ストランド
マジャパイト
これがアジアにおけるコロニアルホテルの始まりです。
コロニアルホテルとはコロニアル形式の建築でギリシャ・ローマ風の列柱とペディメント(破風)と呼ばれる三角形の切妻を持つフロントなどが特徴とされますが、熱帯気候に合わせて、ルーバー付きの広い窓、オープンエアーの渡り廊下、高い天井、ベランダの設置などの独特の様式を持つホテルです。
サーキーズ兄弟に続く、西欧人達によって、タイ、ベトナム、フィリピン、マカオ、香港、台湾、中国などにも西洋人向けのホテルが次々に建てられました。
現在も残る代表的なホテルにバンコクのオリエンタルホテルがあります。
オリエンタル
私が旅行していた80年代は、これらのコロニアルホテルの老朽化が進み、あるホテルでは取壊され、あるホテルでは昔の姿に忠実にリニューアルされる転換期でした。
私自身コロニアルホテルを始め古い歴史のあるホテルが大好きで、古くささや、不便さはあまり気になりません。
残念ながらリニューアルされたホテルは当然のことながら宿泊料金がとても高額になり、泊まることが出来なくなりました。
私の遺跡の旅は遺跡に近いホテルが最優先されます。もし旅行の途中あるいは都市や空港の近くにコロニアルホテルがあれば多少無理をしても泊まります。
コロニアルホテルは歴史そのものです。
その中に入り五感を研ぎ澄まし、見て、聞いて、感じることがコロニアルホテルの楽しみです。
hotel des indes
リニューアルされたホテルは快適に過ごせますが、この感覚が薄くなってしまいます。
古い味のあるホテルは消える運命にあります。
次回は私が泊まったインドのコロニアルホテルのお話をします。

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