FC2ブログ

映画の話 その57(キリングフィールド)

87サクトレム
アンコールワットに行きたい症候群に罹患していた私にとって、映画のキリング・フィールドは喉から手が出るほど見たい作品でした。
キリングフィールド6
1986年当時カンボジア入国は夢のまた夢でした。
1970年代カンボジアを支配していたポルポトのクメール・ルージュが1978年にベトナムに侵入し、バチューク村の住民を虐殺したことにより、始まったカンボジア・ベトナム戦争は、圧倒的な力を持ったベトナム軍がカンボジア領内を進み、わずか半年でプノンペンを占領し、1979年にポルポト政権を追放しました。
そして親ベトナムのヘンサムリンが誕生するのです。
キリングフィールド2
ところが問題はさらに複雑化して反ベトナム派の人たちが出てくるのです。
もともとカンボジア人のベトナム人に対する感情は良くありません。
そしてベトナムのバックにはソ連、カンボジアのバックにはアメリカがいるので大変です。
さらにゲリラ化したクメール・ルージュをタイが後押しするため、めちゃくちゃです。
そんな状態があるのでアンコールワットなどに構ってはいられない状態です。
しかし新ベトナム政権が続くうちにカンボジア人のアイデンティティーであるアンコールワットを目玉に、昔のように観光国家を築こうと思い始めます。
キリングフィールド3
それには遺跡の修復と安全を確保しなければなりません。
こうして遺跡周囲のクメール・ルージュ一掃作戦が始まりますが、タイ政府をバックにしたクメール・ルージュはなかなか引き下がりません。
しかし1987年ごろから安全が一部確保されたため観光再開が始まりました。
そして1988年に日本でも団体旅行に限り、観光が許されます。
そして1988年末に私の夢のカンボジア旅行が決まったのです。
詳しくは巡礼その4カンボジアに書いてあります。
キリングフィールド4
前置きが長くなってしまいましたがキリング・フィールドはニューヨーク・タイムズ記者としてカンボジア内戦を取材し、後にピューリッツァー賞を受賞したシドニー・シャンバーグ(Sydney Schanberg)の体験に基づく実話を映画化したものです。
時期はクメール・ルージュが全土を支配し、プノンペンに入ってくる少し前です。
アメリカ人ジャーナリストのシドニー・シャンバーグと、現地の新聞記者であり通訳でもあるディス・プラン(カンボジア人)はカンボジア内戦を取材しています。
キリングフィールド5
しかし、カンボジア内戦はポル・ポト率いるクメール・ルージュが優勢となり、アメリカ軍が撤退を開始します。
この時、シャンバーグはプランの一家をアメリカに亡命させようとしますが、プランは仕事への使命感から妻子のみをアメリカに逃がし、自分はカンボジアに残ることを決意するのです。
そして、シャンバーグとプランは取材活動を続けていきます。
やがて、カンボジアは完全にクメール・ルージュに支配され、シャンバーグたちはフランス大使館に避難します。
シャンバーグや他社の記者は、外国人であるから帰国により逃れることができるが、カンボジア人であるプランは逃げることができません。
そこで、シャンバーグらはパスポートを偽造してプランをアメリカに亡命させようと画策しますが、粗悪な印画紙に焼き付けたため、偽造パスポートの写真の画像が消えてしまい、プランを逃すことに失敗します。
そのためプランはフランス大使館を出ることを余儀なくされ、クメール・ルージュの支配する集団農場サハコーへと移送されてしまいます。
ここからクメール・ルージュの支配下の信じられない生活が始まります。
そして奇跡的に脱出をしてタイの難民キャンプに保護されます。
一方シャンバーグはアメリカに戻り、ピューリッツァー賞を受賞しますが、プランを捨てたと自責の念に駆られます。
そしてあらゆる情報を使ってプランを探し、ついに難民キャンプで再会するのです。
初めから終わりまで息もつけないスリルの連続です。
私が初めて行った88年のプノンペンの街は静かで、車はほとんど走っていません。
オートバイもです。
プノンペン008
オープンエアーの食堂に入ると地雷で手足を無くした若い物乞いがたくさん集まってきます。
それでも市場は活気があり、子供の澄んだ美しい瞳に救われる思いでした。
この映画は私たちの知らない時期のカンボジアの状況を克明に教えてくれます。
クメール・ルージュの殺戮によって殺害されたカンボジア人は120〜170万人と言われています。
プノンペン066
当時彼らの政府「民主カンプチア」を日本だけでなく欧米も支持したのです。
政府だけでなくマスコミ全てが支持をし、全貌が明らかになって驚愕したのです。
中国の文化大革と全く同じです。
しっかりしろよ日本!
当時のカンボジア旅行は巡礼04カンボジアでご覧ください。

8-2ウィジョヨクスモの花


ホームページ  www.ravana.jp


映画の話 その56(5時から7時までのクレオ)

86マヌモヨソ
今回はヌーヴェル・ヴァーグの「左岸派」に属し、同じく左岸派のジャック・ドゥミ監督の妻でもあったアニエス・ヴァルダが監督・脚本共に手がけた「5時から7時までのクレオ」です。
クレオ5
あらすじは「夕方5時、歌手のクレオ(コリンヌ・マルシャル)は、自分が癌に侵されているのではないかと不安な気持ちで過ごしていた。病院での精密検査の結果が出るのが7時。占いや不吉な迷信により不安は膨らむばかり。ショッピングで気を紛らわそうとしても無駄で、恋人にもその不安を打ち明けることができない。歌のレッスンを抜け出し、街中を彷徨い歩けば、人々の視線がすべて自分に向けられているような錯覚すら覚える。友人のドロテとドライヴするも気が晴れず、公園をひとり歩いていると、アルジェリアからの帰還兵、アントワヌと出会う。見知らぬ男に不思議と心開かされ、悩みを打ち明けたクレオは、アントワヌに付き添われ病院へと向かう。」というものです。
いきなりタロット占いから始まります。
クレオと占い師との会話でクレオの現在の状況がわかります。
このシーンはカラーなのでカラー映画と思ってしまいますが、モノトーンです。
特徴的なのは画面毎に5時から7時までの時刻が表示され、ほぼ実際の時間の流れに従って、私たちはクレオの心理や行動を共にすることになります。
占い師のアパートを出てパリの街を歩き付き人(マネージャー)とカフェに入ります。
クレオ1
この時の鏡の使い方が素晴らしい。
次は帽子屋に入り帽子を買います。
帽子屋でも鏡が有効的に使われます。
クレオ8
タクシーで家に帰りますがこの時のタクシーの運転手は女性です(1962年ですよ)。
ドライブもクレオの視線でパリの街を流します。
クレオの自宅も面白い設計です。
まず恋人が来ますが忙しくすぐに帰ってしまいます。
次に現れるのは作曲家のボブ(ミッシェル・ルグラン)と作詞家で歌のレッスンをするのですがルグランが歌う嘘つき女が最高。
クレオ6
三人で歌う歌もとても良いです。
生のルグランが見れて最高です。
クレオの歌う「クレオパトラ私はそなたを熱愛する」も良い曲です。
ルグランらしい曲です。
ヴァルダ監督の夫ジャック・ドゥミ監督は「シェルブールの雨傘」「ロッシュフォールの恋人たち」の監督で素晴らしい音楽はルグランです。
そんな関係で昔からの知り合いだったので音楽を担当してもらい、友情出演みたいなものです。
レッスンを中座して街に出てカフェに入りますが余計孤独感を募らせ、友人がモデルをやっている美術学校へ行き、二人でパリの街をドライブします。
そして彼女の恋人ラウルのところで無声映画を見ます。
なんと主演はゴダールとアンナ・カリーナです。アンナはまるでフランス人形です。
クレオ7
すごいサービスです。
二人はタクシーに乗りクレオは公園で降りて散歩します。
そこで階段を下りながら歌うシーンは必見です。
滝のところでアルジェリアからの帰還兵、アントワヌ(アントワーヌ・ブルセイエ)と出会います。
クレオ4
二人はいろいろ話し合い心を開き、二人で病院へ結果を聞きに行くことにします。
結果は癌でしたが怖くはありませんでした。
アントワヌがいるから。
とても良い映画でした。
それにしてもクレオはでかい。

8-2ウィジョヨクスモの花


ホームページ  www.ravana.jp

映画の話 その55(パリ、テキサス)

85ドルストジュムノ
ヴィム・ヴェンダース監督のロードムービーの傑作と言われた作品です。
パリテキサス1
当時はジャームッシュの「ストレンジャー・ザン・パラダイス」もあり、甲乙つけがたい作品です。
モノクロ対カラー、ジョン・ルーリー対ハリー・ディーン・スタントン、ライ・クーダ対スクリーミン・ジェイ・ホーキンス、ニューヨークの下町エスター・バリント対テキサスの砂漠です。
私としてはジャームッシュの勝ちです。
しかし「パリ、テキサス」は名画です。
4年前に妻子を捨てて失踪した兄のトラヴィス(ハリー・ディーン・スタントン)がテキサスの砂漠で行き倒れていたという連絡を受けたウォルト(ディーン・ストックウェル)は病院に引き取りに行く。
パリテキサス3
トラヴィスは口をきかないため、記憶があるのかないのか、何を考えているのかまるでわからない。
自分の家に連れて帰ろうとするが飛行機に乗ることは拒絶する。
仕方がないのでレンタカーで妻とトラヴィスの息子が待つカリフォルニア州ロサンゼルスへと向かう。
当初、全く喋らなかったトラヴィスだが、やがて自分がテキサス州のパリスへ行こうとしていたことを明かす。
トラヴィスによると、パリスは彼らの両親が初めてセックスをした土地であり、それ故トラヴィスはパリスに土地を買ってあるのだという。
ウォルトはロサンゼルスに住んでいて、妻のアン(オーロール・クレマン)と共に8歳になるトラヴィスの息子ハンターを我が子のように面倒を見ている。
再会したもののぎこちないトラヴィスとハンターではあるが、5年前にトラヴィス、トラヴィスの妻ジェーン(ナスターシャ・キンスキー)、ハンター(ハンター・カーソン)、そしてウォルトとアンヌの5人で撮影した8ミリフィルムを見たときから少しずつ二人の関係は変わっていく。
パリテキサス2
アンヌは最初はハンターをとられてしまうのではと思い不安になっていたが、ハンターの様子を見てやはり本当の親にはなれないと理解した。
そこでトラヴィスに「ジェーンがヒューストンの銀行から毎月送金してくる」ことを教えた。
トラヴィスは中古で車を買い、ハンターにジェーンを探しに行くと告げると、ハンターも自分も行きたいと言い出し、そのままヒューストンへ旅立つ。
銀行の駐車場で見張っているとジェーンらしき人物がのった赤い車を見つける。
パリテキサス4
二人は車を追うが不思議な建物に入る。
トラヴィスはハンターを車に残して建物に入った。
そこはいわば「のぞき部屋」でブースの中にはマジックミラーをつけていて、客からしか見えないようになっている。
ジェーンを呼んでその姿を確認したが、トラヴィスは黙って出て行った。
翌日、トラヴィスはハンターにテープレコーダーで別れを告げて再度のぞき部屋へ行く。
再びジェーンを呼び、自分の気持ちを語る。
パリテキサス5
姿は見なくてもそれがトラヴィスであることを知ったジェーンも自分の気持ちを語った。
最後にハンターのいるホテルのルーム・ナンバーを告げ、トラヴィスは去った。
ホテルで一人でいるハンターの前にジェーンが現れた。
寄り添う二人の影を確認して、トラヴィスは闇の中に去って行く。
ベランダに靴を並べるシーン、ハンターとトラヴィスが打ち解けてくるシーン、覗き部屋の二人、見どころ満載です。
ドイツ人が作ったアメリカ映画の傑作です。
ジョンルーリーもチョイ役で出ているよ。

8-2ウィジョヨクスモの花

ホームページ  www.ravana.jp



映画の話 その54(さらば青春の光)

84ゴンドモノ
この映画はイギリス音楽好きには必見です。
この映画はスウィンギング・ロンドン好きには必見です。
この映画は映画好きにはオススメしません。
はっきり言って、脚本、映像、音楽どれも並みです。
しかしドキュメンタリー映画としては中々です。
モッズが好きな人には涙ものです。
原作はザ・フーのピート・タウンゼントが1964年のブライトンビーチの思い出を元にモッズの少年のを主役にした風景を綴る青春物語でザ・フーの「四重人格Quadrophenia」を原作にしています。
1さらば青春の光
映画を観る前にモッズの定義を考えます。
モッズとはモダニストのことで1958年のロンドンで生まれた若者の風俗のことです。
1)ファッション
  細身の三つボタンスーツでサイドベンツ、ボタンダウンシャツにナローネクタイを身に着け、ミリタリーパーカー(M-51)を羽織るのがモッズファッションの基本です。リーヴァイスのジーンズ、フレッドペリーのポロシャツも正統派です。
  靴はデザートブーツ。
2)乗り物
  ライトやミラー、シートを派手にカスタマイズした「ベスパ」や「ランブレッタ」などのスクーター。理由はエンジンがむき出しのバイクだと、スーツが汚れてしまうから。M-51もスーツを風などから守るため。
3)音楽
  彼らが好んだ音楽はアメリカのモダンジャズ、R&Bやソウル、スカなど。初期はUKスーから出されたシングル、その後の2大バンドはザ・フーとスモール・フェイセス
4)嗜好品
  アンフェタミン。特に紫色のパープルハーツ(アンフェタミン+バルビツール)がお気に入り。これを飲んでクラブで踊る。特に「The Scene」「Marquee」「The Flamingo」などがお気に入り。 TV番組「Ready Steady Go 金曜日の夕方」はどんなことがあっても見る。
などが定義です。
5さらば青春の光
物語は1964年ロンドン、モッズの若き青年ジミー・クーパー(フィル・ダニエルズ)の生活をたどります。
まさに上記の通りの生活、ロッカーズとの対立、ハイライトは有名なブライトンのモッズ対ロッカーズの大乱闘、尊敬するモッズのカリスマ「エース・フェイスースティング」が実は平凡なベルボーイであることを知り、エースのスクーターを盗み、崖の上からスクーターを転落させたところで終わります。
4さらば青春の光
オープニングはエンディングでスクーターを転落させたジミーが戻ってくるところから始まります。
そしてスクーターに乗ってロンドンの街を走るところはまるでイージー・ライダーです(音楽はThe Real Me)。
ジミーの表情が最高。
2さらば青春の光
私が一番興味を持ったのはジミーの生活です。
クラブでのダンスや男女のファッション、ジミーの部屋、バスタブを貸すお風呂屋さん、食堂での食事、自宅でのパーティー、お気に入りのカフェ、父親、母親とジミー、床屋、テレビで「Ready Steady Go」を見るところ(もちろんザ・フー)、などです。
クラブやパーティーでかかる曲はまさに私たちが行っていたディスコと同じです。
ダンスも同じようなものでした。
3さらば青春の光
とても親しみが持てる映画です。
リアルタイムのロンドンが楽しめる映画でした。
6さらば青春の光
ザ・フーはとても面白いバンドです。
気になる話 その10(スウィンギングロンドン)と映画の話 その13(欲望)も見てね。

8-2ウィジョヨクスモの花

ホームページ  www.ravana.ne.jp

  






映画の話 その53(奇跡の丘とジーザスクライストスーパースター)

82コンソ
今回はイエスの生涯の話です。
ヒンドゥー教がテーマの私ですが、キリスト教も大好きです。
一つは1964年の、ピエル・パオロ・パゾリーニ監督の「奇跡の丘」です。
奇跡の丘1
「マタイの福音書」を題材に処女懐胎、イエスの誕生、イエスの洗礼、悪魔の誘惑、イエスの奇跡、最後の晩餐、ゲッセマネの祈り、ゴルゴダの丘、復活を忠実に描いた作品です。
驚くのは舞台となるエルサレム周辺です。
奇跡の丘2
まさにタイムトラベルしたようなリアルなロケで、イタリア南部マテーラの洞窟住居をはじめ、イタリアやモロッコで撮影されたそうです。
まるでドキュメンタリー映画を見ているようです。
奇跡の丘3
そして感心させられるのが音楽の使い方です。
バッハやモーツァルト、そして、アメリカのブルース、オデッタやブラインド・ウィリー・ジョンソンなど、特にオデッタの「時には母のない子のように」が印象的です。
衣装も斬新です。
奇跡の丘4
これらはそのまま「アポロンの地獄」に引き継がれます。
ほとんど素人の俳優を使用しているそうですが、その一人一人のアップがとても味があるのです。
プロにはできない表情です。
ヒエロニムス・ボスの絵に出てくる人物のようです。
もう一つはロック・ミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」でイエスの最後の7日間を描いたものです。
作詞のティム・ライス、作曲の、アンドリュー・ロイド・ウェバーはここからブレイクします。
ジーザス1
日本では浅利慶太の演出によって劇団四季が公演しました。
「ヘアー」でミュージカルの魅力にとりつかれた私は早速、中野サンプラザへ行きました。
歌舞伎の隈取などを取り入れて、素晴らしい舞台でした。
ジーザス4
そして1973年にノーマン・ジュイソン監督により映画化されました。
イスラエルの砂漠の中にロケバスが到着します。
普段着の俳優は衣装に着替え大道具も小道具も舞台を作ります。
なかなか面白い演出です。
ジーザス2
この時期はヒッピーを始めカウンターカルチャー全盛で、聖書の解釈も様々なものが出てきます。
この映画も舞台もイスカリオテのユダに焦点を合わせ、人間イエスを描きます。
またマグダラのマリアも表に出ます。
音楽は特別にヒットしたわけではありませんが、どれも大好きです。
ジーザス3
カヤパ大司祭と司祭長のアンナスで歌う「イエスは死ぬべし」とマリアの歌う「私はイエスが分からない」は秀逸です。
この二つの映画によって私のキリスト教に対する興味は倍増しました。
特に弟子の福音書は読み比べるととても面白いです。
このブログを読まれた方に、神のご加護を。

8-2ウィジョヨクスモの花

ホームページ  www.ravana.jp