音楽の話 その50(フロック)

ガンジーファ - 003
フロックについて話したいと思います。
1969年頃CBSソニーからニューロック(良い言葉です)のレコードが沢山発売されました。
「フィルモアの奇跡」「スーパーセッション」「エレクトリック・フラッグ」「スライ&ファミリーストーン」「ブラッド、スウェット&ティアーズ」など有名無名のミュージシャンのレコードが沢山発売されました。
その中に混じって「The Flock」と言う無名のバンドがありました。
ジャケットも特徴がなくまず買わないアルバムです。
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そのアルバムが友人の家にあったのです。
とりあえずA面に針を落とします。「Introduction」 はギターとエレクトリックヴァイオリンでとても美しいメロディを奏でます。
ここで虜になってしまいます。
当時有名だったジャン=リュック・ポンティとは全然別物のヴァイオリンです。
クレジットを見るとFred Glickstein (Lead Vocals, Guitar)、Jerry Smith (Bass)、Ron Karpman (Drums)、Rick Canoff (Tenor Saxophone)、Tom Webb (Tenor Saxophone)、Frank Posa (Trumpet)、Jerry Goodman (Violin)です。
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Fred GlicksteinとJerry Goodman の抜群のコンビネーションです。
続くベースから入る「Clown」はブラスロック全開です。
シカゴを感じさせる部分もありますがやはりなんと言ってもJerry Goodman のヴァイオリンです。
中間部のサックスが交差するインプロビゼーションもなかなかです。
ベースから主題にもどり終わります。
そして名曲「I Am the Tall Tree 」です。
ギターからボーカルが入り、ヴァイオリンです。
「Introduction」「Clown」「I Am the Tall Tree 」の流れは最高です。
レオン・ラッセルの「カーニー」、ビートルズの「サージャント」と共にLPレコードにおける最高の流れです。
FlockBandOrig2.jpg
フロックはこれだけで十分です。
一時期毎日のように聞いていました。
セカンドアルバム「Dinosaur Swamps」 はジャケットが最高です。
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恐竜好きにはたまりません。
ジャケ買いするでしょう。
一曲目の「Green Slice」から何か出てきそうな雰囲気のサックス、続く「Big Bird」はオドロオドロした曲かと思ったら陽気なブラスカントリーでした。
「Hornschmeyer's Island 」や「Mermaid 」など不思議な曲が入っていますが、あまりジャケットと関係ない様です。
かなり実力のあるバンドですが、ヒットには恵まれず、ヴァイオリンのジェリー・グッドマンがジョン・マクラフリン、リック・レアード、ビリー・コブハム、ヤン・ハマーらとマハヴィシュヌ・オーケストラを結成して有名になったぐらいです。
ANDWELLAと共にフロックは私の秘密のアルバムです。

Ωベストアルバム 「The Flock」

8-2ウィジョヨクスモの花

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寺院の彫刻 その54(シヴァ4 ナタラージャ2)

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今回は石積寺院に彫刻されているナタラージャを見ていきます。
シヴァ派の寺院ではシカラの正面のメダリオンにナタラージャが彫刻されています。
壁龕などの彫刻はやはり南インドに集中しています。
アランプール近郊のSANGAMESHWARA寺院はチャールキア朝で最も早い6世紀中頃の建立で素晴らしい彫刻が沢山あります。
ナタラージャは恐らく18腕で下部にはミュージシャンが彫刻され、カーライッカルアンマイヤールも確認できます。
1sangameshwara
  SANGAMESHWARA寺院 6世紀中頃 
  同じ時期のバーダーミの石窟に勝るとも劣らない
  18腕の欠損が惜しまれる
  足の間から顔を出すカーライッカル・アンマイヤールの
  スタイルはこの時には出来ている
  

  








この像によく似た像がアランプールのSVARGA BRAHMA寺院にあります。
7世紀の建立で、窓のパネルに彫刻されています。
16腕で下部にはナンディ、ガネーシャ、ミュージシャン、カーライッカル・アンマイヤールなどが彫られています。
2SVARGA BRAHMAA
  SVARGA BRAHMA寺院 7世紀
  この像も保存状態の悪さが惜しまれる。
  足下の取り巻き連中が素晴らしい












アランプールの博物館にも11〜12世紀のナタラージャが展示されています。
4腕です。
3alampur博物館
  アランプール博物館 11〜12世紀
  














パッタダカルの寺院群(8世紀)にも見つかります。
KASHIVISHVANATHA寺院の内部の柱に彫刻されています。
6腕みたいです。
4KASHIVISHVANATHA
  KASHIVISHVANATHA寺院 8世紀
  この寺院の柱にはシヴァやヴィシュヌの
  素晴らしい彫刻パネルがある
  







JAMBULINGA寺院のシカラにあるメダリオンはナンディとパールヴァティーが彫られています。
5JAMBULINGA
  JAMBULINGA寺院 8世紀
  北型のシカラにメダリオン
  8腕で女神とナンディ
  上部にはガンダルヴァ、下部にはナーガ












MALLIKARJUNA寺院の壁龕のナタラージャは8腕で上部の楣にはシヴァとパールヴァティーが彫刻されています。
6MALLIKARJUNA
  MALLIKARJUNA寺院 8世紀
  上部には座すシヴァとパールヴァティーと
  ナンディ、左右にはマカラが掘られているが
  未完成












PAPANATHA寺院の天井には4腕でパールヴァティーを伴った素晴らしいナタラージャが彫刻されています。
7PAPANATHA
  PAPANATHA寺院 8世紀
  矮人の上で踊るシヴァ
  ハスの上にパールヴァティー
  ナンディ
  足下にミュージシャン





VIRUPAKSHA寺院の壁龕のナタラージャは4腕で矮人を踏みつけています。
頭髪のドクロを始めアクセサリーなどの彫刻がとても細かく綺麗です。
上部にはアプサラとガンダルヴァが彫刻されています。
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  VIRUPAKSHA寺院  8世紀
  アクセサリーが素晴らしい
  ナンディの杖を持っている
  上部のアプサラとガンダルヴァの動きが良い










東インドのブヴァネーシュヴァルにある7世紀初めのSATRUGHNESHWAR寺院は最初期の寺院で保存状態は良くありませんが、壁龕に素晴らしいナタラージャがあります。
恐らく性器が勃起していたと思われます(初期のシヴァ像は勃起例が多い)。
下部に孔雀に乗るスカンダ、ナンデイが彫刻されています。
9SATRG012
  SATRUGHNESHWAR寺院 7世紀初め
  右下にナンディ
  左下に孔雀に乗るスカンダ












8世紀のVAITAL DEUL寺院は特殊な屋根の形をしています。
シカラ正面のメダリオンには12腕のナタラージャが彫刻されていますが性器が勃起しています。
独特の素晴らしい彫刻です。
9VAITAL020
  VAITAL DEUL寺院 8世紀
  顔の表情が素晴らしい
  右手にはヘビ、足下にナンディ
  左手で女性の顎を撫でている(?)






ブバネーシュヴァルの寺院のシカラに掘られたメダリオンはどれも素晴らしい出来です。
ピンクの美しい砂岩 のMUKTESHWAR寺院(10世紀)のシカラにもメダリオンではありませんがナタラージャが掘られています。
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  MUKTESHWAR寺院 10世紀
  シカラの中央にガンディのボーと呼ばれる彫刻
  その上に龕を作りナタラージャの彫刻












南インドのホイサラー寺院では、必ずと言って良いほど見かけます。
HALEBID のHOYSALESHWARA寺院ではカーライッカル・アンマイヤールと楽団を引き連れた12腕のシヴァと矮人の上で踊る12腕のシヴァが見られます。
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  HOYSALESHWARA寺院 12世紀
  ホイサラー独特の衣裳
  ミュージシャン達が良い













南インドのカンチープラムのKAILASANATHA寺院の壁龕です。
しゃがんだシヴァのナタラージャです。
10腕です。
13KAILASANATHA2
  KAILASANATHA寺院 8世紀初め
  いわゆるタイプEと言われるナタラージャ














同じ形のナタラージャがパッタダカルのVIRUPAKSHA寺院にあります。
保存状態は良くありませんが10腕でそっくりです。
14VIRUPAKSHA4
  VIRUPAKSHA寺院 733〜746年
  タイプEのナタラージャ














タミルナードでの必見はCIDAMBARAMのその名もNATARAJA 寺院です。
12〜13世紀の寺院で参拝客がひっきりなしに訪れる大寺院です。
ここにはシヴァの踊りの108のポーズ全てが壁面に彫刻され、この寺院は舞踊家の聖地です。
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  NATARAJA 寺院 12〜13世紀
  南インド独特の巨大なゴープラム
  ゴープラムの壁面にダンスのポーズ














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  NATARAJA 寺院 12〜13世紀
  108の小さなパネルにポーズが
  彫刻されている。













GANGAIKONDACOLAPURAMのBRIHADISHVARA寺院の壁龕には矮人の上で踊る4腕のシヴァの足元に三本足のブルンギ、さらに基壇にミュージシャンとカーライッカル・アンマイヤールが彫刻されています。
17GANGAIKONDACOLAPURAM2
  BRIHADISHVARA寺院 1025年
  このパネルには全て揃っている
  足下は矮人、左に三本足のブルンギ
  右にドゥルガー女神
  基壇にカーライッカル・アンマイヤールと
  ミュージシャン









次回は東南アジアのナタラージャを調べます。

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映画の話 47(アポロンの地獄)

73カルトウィヨゴ
今回はパゾリーニ監督のアポロンの地獄です。
この映画を観たのは70年頃だったと思います。
狭い新宿の名画座で観ました。
当時はフェリーニ、パゾリーニ、アントニオーニが3大イタリア監督でした。
三大監督の映画を見ていないと仲間外れです。
アポロン5
ソポクレスのギリシャ悲劇「オイディプス王」を原作としています。
オープニングの男の子が誕生する家とエンディングの成長して盲目になった男が何事もなく通過するその家が印象的です。
『一人の女が、男の児を生んだ。
あどけないその赤ん坊の顔をみて、父親は暗い予感にとらわれる。
「この子は、私の愛する女の愛を奪うだろう。そして、私を殺し、私の持てるすべてを奪うであろう」。
舞台は古代、太陽に焼けただれた赤土の山中に、一人の男が赤ん坊を捨てにきた。
アポロン2
泣きさけぶ赤ん坊をさすがに殺すことはできず、男はそのまま立ち去った。
捨て子は、コリントスの王ポリュボスに届けられ、神に授かった子として王妃メローペ(A・バリ)の手で大事に育てられ、たくましい若者エディポ(F・チッティ)となった。
ある日、友だちと争い本当の子でないとののしられたエディポは、父母に事実を問いただし、否定されたがどうしても真実を知りたくて、神託をきくために思いたって旅に出る。
アポロン1
神託は恐しい言葉を、エディポに投げかける。
「お前は父を殺すだろう。そして母と情を通じるであろう。お前の運勢は呪われている」ポリュボスとメローペを実の父母と考えていたエディポは、コリントスには再び帰らぬ決心をして長い絶望の旅を続けた。
テーベの近くまできたとき、エディポは数人の兵士と従僕をしたがえたテーベの王ライオスの一行と出会った。
ライオス王に乞食あつかいにされ侮られたのを怒ったエディポは、兵士たちをつぎつぎ殺し、ライオス王をも殺した。
ただ一人、老従僕だけが、エディポの剣をのがれた。
予言は実現したが、エディポには知るよしもなかった。
テーベに到着したエディポは、人々が続々と、町を逃げて行くのに会った。
聞くと、暗黒の国からきたスフィンクスが、人々を恐怖と災いのどん底に突きおとしているとのことだった。
アポロン3
エディポは単身スフィンクスに挑戦、殺した。
スフィンクスを退治した者は、ライオス王の后イオカステ(C・マンガーノ)を妻とし、テーベの王になれるという布告が出ており、エディポは、テーベの王となった。
それから間もなく、テーベにはおそろしい疫病が流行しはじめた。
イオカステの弟クレオンが、アポロンの神託を受けてきた報告によると、これは天の怒りで、その怒りをとくためには、ライオス王の殺害者を捧げねばならないとのことだった。
エディポは犯人探索もはじめた。そのため予言者ティレシアスが召された。
ティレシアスの言葉から、その犯人が自分であるとエディポは聞かされた。
それが真実かどうか、エディポはライオス王の死を知らせたという羊飼いにあった。
その男こそが、彼を山中に捨てた男だった。
今こそエディポは真実を知った。
真実を知ったイオカステは首をつって自殺した。
エディポは自らの手で両眼をえぐり、あてのない放浪の旅に出た。
アポロン4
そして現代。
一人の盲人が、若者の肩につかまり、さまよって行く。
その顔は、エディポに、そっくりである』という話です。
全編モロッコで撮影され荒野や城が美しい。
そして主人公たちや住民のコスチュームが素晴らしい。
特に被り物がユニークです。
音楽はモーツアルト、ルーマニアなどの民族音楽、インドネシアのケチャ、特に日本の雅楽のような古典音楽がマッチしています。
極端に少ない台詞と場面場面に入る無声映画のカットタイトルの字幕が画面を引き締めます。
シルヴァーナ・マンガーノは美しい。
自殺のシーンはサービスショットなのでしょうか。
とても印象に残る映画でした。

8-2ウィジョヨクスモの花

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石の巡礼 その1(十王)

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ホームページに掲載した巡礼記の34a序章日本でも書きましたが日本の石造物に対して興味が湧いて、自然や温泉、食べ物など旅行の楽しみをプラスした石の巡礼を始めることにしました。
時代は関係なく自分の興味の対象となる石仏、石造物を探しての旅です。
旅で集めた情報をまとめて石の巡礼としました。
第1回は閻魔大王はじめとする十王です。
1永観堂十王図
十王(じゅうおう)とは、道教や仏教で、地獄において亡者の審判を行う10尊の、いわゆる裁判官的な尊格です。
人間を初めとするすべての衆生は、よほどの善人やよほどの悪人でない限り、没後に中陰(霊魂身)と呼ばれる存在となり、初七日 - 七七日(四十九日)及び百か日、一周忌、三回忌には、順次十王の裁きを受けることになります。
その十王とは
2秦広王
  秦広王 不動明王 
  初七日(7日目・6日後)
  三途の川の手前で罪に対する嘘の有無を
  審議をしている











3初江王
  初江王 釈迦如来 
  二七日(14日目・13日後)
  秦広王の裁きを受けた亡者が、三途の川を正しく
  渡ったかを審議することに加え、生前亡者と関わりに
  あった動物が呼ばれて、その亡者についての
  証言を聞く










4宋帝王
  宋帝王 文殊菩薩 
  三七日(21日目・20日後)
  猫と蛇を用いて、主に性犯罪や痴漢などの
  「邪淫罪」の疑いを審議する











5五官王
  五官王 普賢菩薩 
  四七日(28日目・27日後)
  亡者の罪の業を秤で量って裁く












6閻魔王
  閻魔王 地蔵菩薩 
  五七日(35日目・34日後)
  冥界の王として死者の生前の罪を裁く
  浄玻璃の鏡で生前の行いを調べる
  また嘘も調べる











7変成王
  変成王 弥勒菩薩 
  六七日(42日目・41日後)
  地獄には八大地獄があり、どの地獄に
  流刑されるかを決める












8太山王
  泰山王 薬師如来  
  七七日(49日目・48日後)
  転生先での性別や寿命を決める












9平等王
  平等王 観音菩薩 
  百か日(100日目・99日後) 
  遺族の貪欲の罪を戒める

  











10都市王
  都市王 勢至菩薩 
  一周忌(2年目・1年後) 
  罪の重い死者は地獄に落とされるが、
  遺族が一周忌法要を心から行うと
  罪が許される 











11五道転輪王
  五道転輪王 阿弥陀如来 
  三回忌(3年目・2年後)
  平等王、都市王でも決められなかった時に
  この判決が本当の最終判決になる











となります。
十王に仏名がついているのは鎌倉時代に十王はそれぞれ相対する十の仏の化身であるとする「本地垂迹―仏菩薩を本来の姿とし、神を仮の姿とする神仏習合」という考えが生まれたからです。
十王の他には地獄で働く懸衣翁、奪衣婆、閻魔王の補佐官司録、司命、倶生神、鬼などがいます。
12奪衣婆
  奪衣婆
  三途の川の岸の衣領樹という大木の下にいて、
  死者の衣服をはぎ取り、樹上の懸衣翁に渡す
  という老女の鬼。











13司録jpg
  司録
  司命と共に裁判で罪状を読み上げ、
  判決文を記録する書記官













14司命
  司命
  司録と共に裁判で罪状を読み上げ、
  判決文を記録する書記官













15倶生神
  倶生神
  人が生まれると同時に生まれ、常にその人の両肩に
  在って、昼夜などの区別なく善悪の行動を記録して、
  その人の死後に閻魔大王へ報告する 
  左肩にある男神を同名(どうめい)といい、
  善行を記録し、右肩にある女神を同生(どうしょう)
  といい、悪行を記録する










16鬼
  鬼
  閻魔王の配下の異類異形のばけもの

  












そして地獄の裁判に欠かせない浄玻璃の鏡(閻魔王庁に置かれており、この鏡には亡者の生前の一挙手一投足が映し出されるため、いかなる隠し事もできない)、人頭杖(檀拏幢とも言い閻魔王が持つ杖。杖の上には通称「見る目」「嗅ぐ鼻」と呼ばれる2つの頭部が乗っており、これらは閻魔王が冥府で亡者を裁く際に善悪を感知する)、業の秤(地獄にあって亡者の罪業をはかるという秤)の三点セットがあります。
17浄玻璃の鏡
  浄玻璃の鏡
  閻魔が亡者を裁くとき、善悪の見きわめに使用する鏡 
  亡者が生前に犯した罪の様子がはっきりと映し出される
  もしこれで嘘をついていることが判明した場合、
  舌を抜かれてしまう











18人頭杖
  人頭杖(檀拏幢)
  閻魔王が持つ杖。杖の上には通称「見る目」「嗅ぐ鼻」
  と呼ばれる2つの頭部が乗っており、これらは閻魔王が
  冥府で亡者を裁く際に善悪を感知する












19業の秤
  業の秤
  地獄にあって亡者の罪業をはかるという秤
  













まずは死後の世界(冥土の旅)へ出発です。
「冥土の旅」
冥土の旅の最初は、死出の山路です。六日間ひたすら歩きます。800里の遠い道のりです。
                 「初七日 泰広王」
20誓願寺地蔵十王3

最初の裁判官。
死後七日目における裁きを担当します。
倶生神(人の両肩にいる神で、片方は生前の善行を、もう片方は悪行を記している)からの報告を元に、無益な殺生を初めとする仏教の五戒に反していなかったかについての審理を行います。
また、その死者がどこから三途の川を渡るかを決めます。
(山水瀬・江深淵・有橋渡の三箇所があるから三途の川と言われます。山水瀬は罪の軽い人、江深淵は罪の重い人、有橋渡は金銀七宝で出来ており、善人が渡ります)
すると三途の川が見えてきます。三途の川には橋がかかっているので比較的罪の軽い人は、渡ることができます。罪が重い人は、川を歩いて渡らなければなりません。渡し船もありますが六文かかります。この川を渡ると戻ることができません。
                 「懸衣翁と奪衣婆」
三途の川
三途の川を渡るとそこには脱衣婆(だつえば)と、懸衣翁(けんねおう)がいます。
奪衣婆は服を脱がす老婆で、懸衣翁は脱がせた服を衣領樹(えりょうじゅ)」という木の枝にその服をかけます。
すると、生前の罪の重さにしたがって、枝がしなります。
ここで罪の重さの第一チェックをします。
罪の重い亡者は三途の川を渡る際、川の流れが速くて波が高く、深瀬になった場所を渡るよう定められているため、衣はずぶ濡れになって重くなり、衣をかけた枝が大きく垂れることで罪の深さが示されます。
また亡者が服を着ていない際は、懸衣翁は衣の代わりに亡者の生皮を剥ぎ取るといわれています。
身ぐるみ剥がれて、あとは裸一貫で死出の旅を続けることになります。
                 「二七日 初江王」
21誓願寺地蔵十王5

二番目の裁判官。
死後十四日目の審理を行います。
泰広王の審理結果や三途の川の亡者である懸衣翁などからの報告を元にし、主に盗みに関しての審理を行います。
これ以降の審理では、少しでも改心の見込みがあったり、裁きに不完全な部分があったり、現世の遺族側の回向が十分に行われていたりすると、次の裁判にまわされます。
                 「三七日 宗帝王」
22誓願寺地蔵十王7

三番目の裁判官。
死後二十一日目の裁きを行います。
性に関する罪の審理を行い、邪な性に溺れたものやか弱い女性を欺いたものなどに裁きが下されます。
男性には猫を、女性には蛇を審理の際にあてがわれ、宋帝王の問いに正しく答えない場合はそれらによる苦痛を与えられます。
                 「四七日 五官王」
23誓願寺地蔵十王9

四番目の裁判官。
人の五官が元となる悪業や罪を審理対象とし、特に妄言(嘘)に関する詮議を行います。
その際に亡者の罪の軽重を量る秤を用い、罪深い人は重い分銅の大石を軽々と持ち上げてしまうと言います。
                 「五七日 閻魔王」
24誓願寺地蔵十王11

五番目の裁判官。
生前の行い全てを移す浄玻璃の鏡を持ち、司録、司命と呼ばれる補佐官を従えています。
十王の中で最も有名であり、これまでの裁きの結果を元に死者が六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)の何処に生まれ変わるかを決定します。
                 「六七日 変成王」
25誓願寺地蔵十王2

六番目の裁判官。
死後四十二日後の審理を行い六道に振り分けられた死者が、その中でもどのような場所に生まれ変わるかの審理を行います。
十王の中では比較的寛容で、亡者側の意見や願いを聞き入れてくれるとされます。
人間の善悪を見破る三つ目の赤鬼と青鬼を従えています。
                 「七七日 泰山王」
26誓願寺地蔵十王4

死後四十九日目に最終審理を行う裁判官。
どのような姿で生まれ変わるか、寿命などが決定されます。
この審理を終えるとそれぞれ六道と繋がる六つの鳥居が示されます。
しかし、死者はどれがどこに繋がっているかは分からず、鳥居をくぐって初めて裁きが分かるようになっています。
                 「百日 平等王」
27誓願寺地蔵十王6

死後100日目の審理を行う裁判官。
内に慈悲の心を持ちながらもその形相は恐ろしいと言います。
死後百日目の裁きを行うが、これ以降の審理は再審で、死者に対する一種の救済措置です。
遺族が供養に努めれば、悪道に堕ちたものは救済され、善道に行ったものは更に徳をつめるようになっています。
                 「一周忌 都市王」
28誓願寺地蔵十王8

死後二年目の審理を行う裁判官。
これで喪は明けたとされます。
光明箱とよばれる箱を持ち、中にはありがたい経文が入っているが、悪業の深い者があけると業火に焼かれると言います。都市王の裁きの場から極楽に行くことが可能ですが、その距離は十万億土(一説には三十光年)とされています
                 「三回忌 五道転輪王」
29誓願寺地蔵十王10

死後三年目の裁きを行う裁判官。
十王最後の王。
その裁きは地獄の責め苦が行われている現場のすぐそばで行われます。
道服を着用して合掌した姿だというが詳細な持ち物は不明。
その両脇に司録、司命を従えています。
以上が死後の世界で十王の裁きを受ける様子です。
そして十王と関係の深い地蔵菩薩ですが釈迦入滅後、弥勒菩薩が出現するまでの間、現世に仏が不在となってしまう為、その間、六道すべての世界(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)に現れて衆生を救う菩薩であるとされています。
                 「地蔵菩薩」
誓願寺地蔵十王地蔵

次回は各地の十王石像を見ていきます。

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気になる話 その9(岡倉天心)

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私が敬愛する日本人の1人が岡倉天心です。
「東洋の理想」の冒頭で述べられた「Asia is one」アジアは1つであるという言葉に触発され、私のアジア巡礼が始まったと言っても過言ではありません。
天心は大きな転換期の明治時代、すべての骨格を西欧を基準とした西欧至上主義の中で、日本及びアジアの行く末について憂い、独自の主張を世界に向けて発信しました。
しかし「Asia is one」と言う言葉は天心没後に日本軍部の大東亜共栄圏という植民地政策に利用され、違う方向に一人歩きしてしまいました。
とても哀しいことです。
天心1
そして今、時代が天心を求めています。
福井の下級武士の父親は横浜に出て生糸を扱う商いを始めました。
何と父親はこの時代にあって英語の必要性を感じ英語塾に天心を通わせます。
東京外国語学校、東京大学卒業後文部省に勤務、アーネスト・フェノロサと日本美術を調査します(1884年法隆寺夢殿を開扉し秘仏の救世観音をフェノロサとともに拝する)。
天心2
文化財保護を痛感し、適切な対策を提案します。
フェノロサと欧米視察旅行後、1890年東京美術大学(芸大)の初代校長になります。
しかし排斥され辞職しますが日本美術院を谷中に発足させます。
1901年インド訪遊しタゴール、ヴィヴェーカーナンダ達と交流します。
タゴールは詩人で思想家でアジア人として初めてノーベル賞(文学賞)を受賞しました。
天心7タゴール
インドでは非常に尊敬され生涯にわたって交友が続きました。
ヴィヴェーカーナンダは宗教家でラーマクリシュナの高弟であり西欧諸国の宗教、哲学を学び、ラーマクリシュナミッションを作りました。
tensin8.jpg
シカゴで行われた第1回世界宗教会議にヒンドゥー教代表として出席しました。
そして「すべての宗教は1つの真理に対する異なったアプローチである。それらは違いにより補い合う。1つの教義に真理は収まりきらない。多様な宗教の全体が真理である。」と演説し大成功をおさめ名声は広まりました。
ヴィヴェーカーナンダは親日家でインドの若者はイギリスではなく日本に留学した方が良いとまで言っています。
1904年天心はボストン美術館中国・日本美術部に迎えられます。
天心は英文による著作物「The Book of Tea(茶の本)」、「The Ideals of the East(東洋の理想)」、「The Awakening of Japan(日本の覚醒)」を出版します。
一方日本美術院を別荘があった茨城県五浦に移します。
天心5
以後五浦とボストンを往復することになります。
1913年体調がすぐれず、アメリカから帰国した天心は静養のために行った新潟県赤倉温泉の山荘で永眠いたしました。
情熱家でもあった天心は1888年パトロンであった文部官僚の男爵九鬼隆一の妻、波津子と恋に落ちます。
当時波津子は隆一の子をみごもっていました。
また1912年ボストンに向かった天心は途中インドでタゴールの親戚の女流詩人プリヤンバダ・デーヴィー・バネルジーと出会い、恋に落ちます。
以後二人の間にラブレターともいえる往復書簡が天心が亡くなるまでの1年間交わされました。
天心6
茨城県五浦の天心記念五浦美術館へ行くと2人の往復書簡を見ることができます。
とても風光明媚な所で、天心の家や墓,とても気に入っていた六角堂など見ながらの散策を御薦めします。
温泉もあり最後はアンコウ鍋で決まりです。
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